| 慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。 |
| 同年『男対男』で映画デビュー。 |
| 当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。 |
| 1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。 |
| NHKの『NHK紅白歌合戦』出場17回。 |
| 後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。 |
| ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している、日本テレビ系列の『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ〜私を変えてくれたあなたへ〜」は谷村新司が代表作詞し、加山が作曲したものである。 |
| 1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。 |
| 俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。 |
| ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。 |
| 1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業した実質的な経営者は加山の叔父で、加山自身と父・上原謙が役員となった(2010年7月17日付けスポーツニッポン掲載「我が道・加山雄三」より)。 |
| しかし、ホテルは1970年に倒産し、加山は父の上原とともに巨額の負債を抱えた。 |
| 加えて、女優松本めぐみとの駈け落ち同然の結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。 |
| その後、ナイトクラブ、キャバレー回りをするもギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、活動の主軸をテレビに移し、『加山雄三ショー』を始めとするバラエティや『大追跡』などのテレビドラマで徐々に息を吹き返す。 |
| 加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をするほど、「理想の家族」としても認知度が高い。 |
| 1986年-1988年まで『NHK紅白歌合戦』で3年連続で白組司会を務める。 |
| 1991年には新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業し、2010年-2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難を理由として2011年7月にスキー場の閉鎖を決定した |
| 1993年にギターのロールスロイスと呼ばれるアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。 |
| 1994年、ザ・ワイルドワンズの島英二にけしかけられて仲間内で久しぶりにエレキを弾いてベンチャーズごっこをやっていたところ、事務所の社長の鶴の一声がきっかけで「加山雄三&ハイパーランチャーズ」を結成。 |
| 1997年4月23日には、加山の60歳の誕生日を祝って石井竜也ら加山を慕う豪華メンバーが集まり、『60CANDLES』というトリビュートアルバムが発売された。 |
| 1998年3月21日、静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」開館。 |
| 2000年、Mosrite社よりパールブルーの加山雄三・芸能生活40周年記念モデルギターがハイパーランチャーズの「ハイパー」に語呂を合わせた818,000円で限定40本で発売され、即完売した。 |
| このモデルは前回のモデルと同様にファズが搭載されており、ヘッドがイニシャルのKにカットされ、指板にはLEDが組み込まれ、スイッチで光るようになっている。 |
| なお、アウトプット・ジャックは本体裏にあるなど、オリジナリティ溢れるものになっている。 |
| 2005年4月10日には新高輪プリンスホテルにて、「芸能生活45周年を祝う会」という盛大なパーティが開かれた。 |
| 関連してヤマハより芸能生活45周年記念モデルギター「SG3KY」が限定45本で発売され、ハワイのセニーザ社(CENIZA)より、加山雄三・芸能生活45周年記念モデルのウクレレが、限定45本で発売された。 |
| 2006年3月3日・4日、東京文化会館の45周年と加山雄三の芸能生活45周年を祝うガラ・コンサート(祝典)が大ホールで行われた。 |
| 同ホールは、クラシック音楽の殿堂・オペラの聖地として名高く、ポピュラー音楽が鳴ることはかつて無かったが、ポップス・シンガーとして初めてステージに上ったのが加山である。 |
| 「加山雄三With大友直人シンフォニック・ガラ・コンサート」で、千住明をはじめとする5人の編曲家によって加山サウンドをクラシックに蘇らせた。 |
| プロデューサーで構成・演出をしたのは 加山雄三の還暦の祝いに日本初のトリビュートアルバムをプロデュースした木﨑徹。 |
| 彼は東京文化会館の音楽監督である大友直人の古くからの友人であったために革命的なコンサートが実現した。 |
| この模様はDVDになり現在リリースされている。 |
| 2006年8月26日、加山と同じく湘南というイメージや、茅ヶ崎出身の有名人として名の挙がるサザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、『THE夢人島Fes.2006』に参加。 |
| 桑田がバックバンドを務めた。 |
| また、茅ヶ崎ライブでの友情出演VTRにて、「茅ヶ崎ブラザーズの兄として…」と桑田との関係をお茶目に語っている。 |
| 2007年4月29日、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキに加山雄三の手形モニュメント(加山本人の手形及び「海・その愛」という直筆の言葉が彫られたレリーフ)が設置され、服部信明茅ヶ崎市市長を始め、茅ヶ崎市関係者及び市民が参列し、除幕式が盛大に執り行われた。 |
| 2010年5月19日、神奈川県茅ヶ崎市が加山雄三芸能生活50周年を祝い、加山に茅ヶ崎市民栄誉賞を贈呈することを発表した |
| 2011年、芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞。 |
| 最近では、タレントやコメンテーターとしても活躍している。 |