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プロフィール
- 加藤紘一とは
- 来歴
- 人物
- YKK時代
- 小泉政権時代以後
- 北朝鮮による拉致問題での発言
- 歴史観
- 親族・縁戚
- その他
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加藤紘一(かとうこういち、1939年6月17日‐)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)。自由民主党山形県連会長。防衛庁長官(第45代)、 内閣官房長官(第61代)、自由民主党幹事長(第32代)、自由民主党政務調査会長(第40代)を歴任。鶴岡市長、衆議院議員を務めた 加藤精三の五男。
来歴
| 愛知県名古屋市で出生し「政治家人名事典」日外アソシエーツ、山形県鶴岡市で育つ。 |
| 1952年、鶴岡第三中学校に入学。 |
| 父・加藤精三が自由党推薦で第25回衆議院議員総選挙に出馬し、旧山形県第2区でトップ当選を果たす。 |
| その後、加藤一家は東京へ移り住み、加藤も麹町中学校に転校。 |
| 麹町中での同級生岸田森に標準語を習う。 |
| 1955年、麹町中を卒業し東京都立日比谷高等学校に入学。 |
| 同級生に保岡興治、利根川進、山尾三省らがいた。 |
| 1958年、日比谷高校卒業。 |
| 東京大学理科一類を受験するも合格できず、補習科に所属。 |
| 翌1959年、東京大学文科一類に合格する。 |
| 日比谷高校の同窓である外交官の渡辺伸(松本清張の娘婿)に誘われ、東大水泳部に入部。 |
| ゼミの指導教官は坂本義和。 |
| 1963年、東大法学部政治学科を卒業。 |
| 朝日新聞の入社試験には合格したが、外交官試験は不合格であった。 |
| そのため4月に法学部法学科公法コースに内部学士入学する。 |
| その後あらためて外務省を受験し直し、合格。 |
| 1964年、東大法学部公法学科を卒業し外務省に入省した。 |
| 在職中台湾大学、ハーバード大学に留学する。 |
| 1967年、香港副領事在職中に結婚。 |
| 1970年に帰国し、外務省アジア局中国課次席事務官。 |
| 1971年5月、次期衆議院議員総選挙への出馬を表明し、同年12月をもって外務省を退官。 |
| 翌1972年2月、法眼晋作外務事務次官の仲介で大平正芳に会い、大平派に加わる。 |
| 同年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧山形県第2区から自由民主党公認で出馬し、初当選を果たした。 |
| 1978年、当選2回で第1次大平内閣の内閣官房副長官に抜擢される。 |
| 同年12月、将来有望な若手が任命されるケースの多い衆議院議事進行係を務める。 |
| 1979年、第35回衆議院議員総選挙で3選を果たし、これを受けて成立した第2次大平内閣でも官房副長官に再任された。 |
| 1984年、第2次中曽根改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣を果たした。 |
| 第2次中曽根再改造内閣、第3次中曽根内閣でも留任。 |
| 1991年、宮澤内閣で内閣官房長官に就任し、2度目の入閣を果たす。 |
| 官房長官在任中、第二次世界大戦中、従軍慰安婦の強制連行への旧日本軍の関与を認める談話を発表し、この談話は後に保守派から強く非難されている。 |
| 1994年7月、自民党は第40回衆議院議員総選挙での敗北以来10ヶ月ぶりに与党に復帰し、加藤は河野洋平総裁の下、自民党政調会長に就任。 |
| 一貫して自社さ連立を支持し、梶山静六ら保保連合派を牽制し続けた。 |
| 翌1995年、橋本龍太郎総裁の下で自民党幹事長に起用される。 |
| 1998年12月、宮澤喜一元首相から派閥を禅譲され、宏池会会長に就任した。 |
| 2002年3月、自身の秘書の逮捕を受け宏池会会長を辞任し、自民党を離党。 |
| 同年4月に衆議院議員を辞職した。 |
| 2003年の第43回衆議院議員総選挙では無所属で出馬し、11回目の当選を果たして返り咲く。 |
| その後、自民党に復党した。 |
| 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、全国的に自民党に猛烈な逆風が吹き荒れたが、山形県第3区で13回目の当選を果たす。 |
| 総選挙後、衆議院予算委員会理事に就任した。 |
人物
| 加藤の乱の失敗、秘書の逮捕による議員辞職、地元土建業者との癒着、かつて同派閥に属した谷垣禎一への派閥委譲により、政治的影響力は大幅に低下している。 |
| また、選出選挙区では、元来保守的な地域であるため加藤のリベラル志向に対して批判もある。 |
| しかし、自民党内にあって小泉・安倍政権に真正面から異を唱える数少ない議員であったため、マスコミが小泉・安倍・麻生政権批判をする場合、非建設的な煽りコメント役としてのみ重宝されていた。 |
| 中国語語学研修組でありチャイナ・スクールの系譜にあると言われる。 |
| 自民党内ではリベラル派・左派に分類される。 |
| 1991年、宮澤内閣で内閣官房長官に就任し、2度目の入閣を果たした。 |
| 在任中の翌92年10月、はじめての天皇の中国訪問が行われる。 |
| 当時、天安門事件を理由として欧米主要国が中国に対する経済制裁を実施するなか、中国側の要望に応じるかたちででの天皇訪中は、国際的な経済制裁解除に大きく資するものであった。 |
| なお、当時の銭其深中国外相はのちに、この訪中が西側同盟のもっとも弱い環である日本に働きかけた結果であることを回想録において認めている。 |
| ただしこの天皇訪中は「天皇の政治利用」であり、ひいては国益を損なうものとして平沼赳夫、中川昭一、党友組織自由国民会議初代代表黛敏郎ら保守派からは否定的な評価がなされている。 |
| 1995年の自民党総裁選では、同じ宏池会に所属していた河野洋平ではなく平成研究会の橋本龍太郎を支持。 |
| 河野は党内で総裁再選への支持を得られず、続投を断念する。 |
| 橋本が総裁に就任すると、加藤は自民党幹事長に就任した。 |
| 党幹事長時代の1996年、前年の東京協和・安全二信組の乱脈経営に絡んだ大蔵官僚への接待問題や大和銀行NY支店の不祥事に引き続いて、住専国会の最中にあり、旧大蔵省がバッシングの的となっていたが、同年2月4日、JNN報道特集の番組中、「金融と証券はできるだけ自由化して、大蔵省銀行局・国際金融局・証券局を金融庁として分離させ、日銀と一緒に大阪へ持っていく」事を話した。 |
| この発言を受けて、翌日の新聞各紙が“大蔵省の権限分散を強調”と大きく取り上げた。 |
| これをもって田原総一郎は、一連の大蔵省改革の始まりだったことを述べている『巨大な落日大蔵官僚敗走の八百五十日』田原総一郎、文藝春秋、1998年8月1日P18~。 |
| 党幹事長として臨んだ第41回衆院選では小沢一郎率いる新進党との二大政党対決を勝利に導いた。 |
| その後、党幹事長代理の野中広務と新進党議員の引き抜き工作を行い、自民党の衆院における単独過半数復帰を実現した。 |
| 第18回参院選で自民党は大敗、党幹事長を辞職するも後継総裁として小渕を支持、党内第2派閥の領袖として影響力を維持した。 |
| 1998年に宮澤派を禅譲されるが、3年前の総裁選で加藤の支持を得られなかった河野洋平らが加藤に反発して大勇会を結成し離脱。 |
| 1999年の自民党総裁選では、自由党、公明党との連立政権を目指す小渕恵三首相に反発し、山崎拓と共に出馬するも、敗北。 |
| 2000年、第42回衆議院議員総選挙で期間中民主党代表鳩山由紀夫から自民党離党した上での非自民首班指名候補期待されたが本人は一笑に付した。 |
| 低支持率ながらも政権を維持する森喜朗に反発し、盟友の山崎拓とともに内閣不信任決議案提出時の本会議に欠席、または賛成する意向を示した(加藤の乱)。 |
| しかし、かつては盟友であった野中広務や、森派会長の小泉純一郎による派閥の分裂工作により加藤の思惑は失敗に終わり、宏池会が分裂。 |
| 2002年、事務所代表による所得税法違反の責任を取って離党、議員辞職して総裁候補としての地位は終焉した。 |
| 2007年2月、自民党の山崎拓、民主党の仙谷由人、枝野幸男、公明党の東順治、社民党の辻元清美らと超党派勉強会「ビビンバの会」を立ち上げる。 |
| 2008年6月9日、山崎拓と一緒に、森喜朗と青木幹雄のもとに出向き、加藤の乱について「迷惑をかけた」と謝罪した。 |
YKK時代
| かつて山崎拓と加藤紘一、小泉純一郎の盟友関係は、3人の頭文字からY(山崎)K(加藤)K(小泉)でYKKと称された。 |
| 「加藤の乱」以後も3人の関係は続いたものの、3人の中で最も総理に近いとされた加藤が議員辞職などで力を落としていく一方で、小泉が総理になるなどの有為転変の後、加藤が公然と小泉の政策を批判するようになり、現在では3人の関係は山崎を通してのものとなっているとされる。 |
| 加藤は橋本政権下で幹事長の要職に就き、ポスト橋本の絶好の位置に存在し、実際に竹下派(当時、小渕派)の中の有力者から総裁に推されることもあったものの、竹下派の影響力を受けた総裁では駄目だとこれを拒否。 |
小泉政権時代以後
| 2006年1月、堀江貴文が逮捕されると、第44回衆議院議員総選挙で事実上、堀江を支援した執行部に対して、「カネですべてが片付くという人物を応援したのはいかがか。 |
| 判断は誤っていたと率直に認めたほうがいいのではないか」と非難したが、加藤が政治資金疑惑で議員辞職した過去を蒸し返され「(加藤)先生は一番、政治とカネの問題では苦労したんじゃないですか」と反論された。 |
| また、2006年8月15日、右翼団体の男による加藤紘一宅放火事件が発生すると、稲田朋美議員は保守派のシンポジウムにおいて「先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話題に出し、約350人の会場の爆笑を誘った『北海道新聞』2006年9月5日朝刊「自民総裁選の底流安倍政治の行方1」。 |
| 一方、日本共産党や社会民主党の議員らは加藤の発言に同調を示したため、加藤は自民党を越えたリベラル派との連携を意識し始める。 |
| 古賀誠、山崎拓と共に「新YKK」として会合を重ね、テロ特措法の期限切れを目途に倒閣に動き、麻生太郎以外の総裁候補を擁立するという計画が立てられていたとされる産経新聞2007年9月24日が、突然の安倍辞任により、続く党総裁選で新YKKはそのまま福田康夫支持になだれこんだ。 |
| 2008年1月16日の谷垣派と古賀派の合流の正式合意に関しては、合流を報告した谷垣に対して「のどに刺さっていたとげが取れた感じだ。 |
| 非常にほっとしている」と、合流を歓迎したが、自身の派閥への復帰には慎重な姿勢を示している時事通信2008年1月17日。 |
| 森喜朗内閣の倒閣を狙った2000年11月の「加藤の乱」を振り返って、加藤に期待を寄せた若者について、「おわび行脚と称して全国65カ所をまわりメールをくれた人々と話し合ったが、そこで出会ったのは口数の少ない20、30代であり、政治への関心は高く、選挙にも行くが、他者とのつながりが薄かった」と発言した『AERA』2008年8月11日号。 |
| 2008年、盟友の山崎拓とともに、亀井静香、菅直人と会合を重ね、4名でテレビ出演を行うなど総選挙前後に予想される政界再編を機に政治的影響力の回復を狙っているという推測もなされた(YKKK)。 |
| こうした加藤、山崎の動向に対して、「「昔の名前で出ています」みたいな人たちに勝手なことを言ってほしくない」(中野正志衆議院議員)という批判も聞かれた |
| 2009年1月の地元で行われた山形県知事選挙では、現知事の斎藤弘を支援したが、斎藤は野党の担ぐ対立候補に1万票の差を付けられ落選した。 |
| 11月2日の衆議院予算委員会で質問に立ち、鳩山由紀夫首相が本会議の答弁で、自民党総裁の谷垣禎一の質問に「あなたがたに言われたくない」と述べたことをたしなめ、鳩山の持論である「友愛」の意味合いを問いただした。 |
| 2010年2月8日、衆議院予算委員会で質問に立った際に、鳩山由紀夫首相の秘書が政治資金規正法違反で起訴されたことを取り上げ、過去に加藤の秘書による脱税事件について鳩山首相が「秘書の罪を犯したら議員辞職をすべき」と発言していたことを上げ、「どうして過去と現在で発言が違うのか。 |
北朝鮮による拉致問題での発言
| 2008年7月7日、日本BS放送の番組において、「拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」と発言。 |
| 今日の日朝交渉停滞の原因を、当時の福田官房長官案から、途中で安倍官房副長官案に切り替えた日本が彼らを北朝鮮に返さなかったことによるとした。 |
| これに対して、拉致被害者家族会(飯塚繁雄代表)と「救う会」(藤野義昭会長)は、抗議声明を出し、「5人が北朝鮮に戻されていれば『自分の意思で戻った』と言わされたあげく『拉致問題は解決済み』という北朝鮮の主張に利用されたであろうことは少しでも外交感覚のある人には明らかだ」と指摘。 |
| 加藤は、北朝鮮に「日本は約束を破った」という不信感と口実を与えたのが現在の交渉停滞の原因という趣旨の発言であるとして、西川のりおとの対論番組での発言の前後の文脈を自身のHPに掲載することで釈明を行った |
歴史観
| 1991年1月、宮澤内閣の官房長官として「細部は論じたくないが、(慰安婦側が)強制連行されたと主張するならその通りなのだろう」と日本側の非を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表明した |
| 日本では、どう50年を迎えれば良いか議論しており、日中戦争が本格的に始まるきっかけとなった盧溝橋を訪れることができたことは意義深い」とした。 |
| また、外務官僚時代にハーバード大学に留学した際に「蘆溝橋事件が起きるまでの一年」と題した論文で修士号を取得したことを述べ、「亜州歴史的真実只有一個(アジアの歴史の真実はただ一つ)」と記して抗日記念館の館長に献じた。 |
| 2006年に自宅を放火される事件の前後から、歴史認識問題等における保守派を「小林よしのり系」だと「みのもんたの朝ズバッ!」で発言し、放火事件の背景として小林の名を著書で挙げるなどたびたび攻撃している。 |
| 加藤が「SAPIO」編集部からの討論打診を拒否したこともあいまって、小林からは「言論テロ」「異常な政治家」などと『新・ゴーマニズム宣言』において批判されている(もっとも、加藤の乱の時から小林は加藤に批判的であった)。 |
| その後、2009年に出版された小林編集の「日本を貶めた10人の売国政治家」(本書では、加藤は第9位にランクされている)の製作が縁で、一水会代表木村三浩の仲介によりようやく二人は対談を持ち、小林編集の対談集「希望の国日本」に収録された。 |
親族・縁戚
| 精三の二男・五郎は宇部興産専務取締役建設資材事業本部長、宇部マテリアルズ副会長。 |
| 祖父・幹雄も東大法学部卒の弁護士、精三の4男・次郎は中大法学部卒の弁護士『新潮45』第18巻、第9~10号,新潮社,1999年,63ページ。 |
その他
| かつての保守本流派閥の宏池会の流れを汲む3派閥(麻生派・古賀派・谷垣派)の間で宏池会再結集構想(大宏池会構想・中宏池会構想)がしばしば登場するが、加藤は派閥分裂の原因を作った張本人であり、麻生・古賀両派の中にはいまだに加藤に不信感を持っている者もいる。 |
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加藤 紘一(かとう こういち、 ‐ )は、日本... |
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