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プロフィール
- 加藤茶とは
- ドリフターズ加入まで
- ドリフターズ加入後
- 『全員集合』終了後
- 人物像
- タレントとしての評価
- 加藤茶のギャグ
- テレビ
- CM
- ゲーム
- 新聞掲載
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加藤茶(かとうちゃ、1943年3月1日-)は、日本のドラマー・歌手・コメディアン・俳優であり、 ザ・ドリフターズの一員である。本名、加藤英文(かとうひでゆき)。身長:160cm。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「カトちゃん」「 ヒデ坊」「 チャー坊」など。父はギタリストの平八郎(たいらはちろう)。
ドリフターズ加入まで
| 生まれは東京都とするものが多い |
| 5歳の夏の1ヶ月間だけ、母親の実家・愛媛県新居浜市に住む『朝だ!生です旅サラダ』テレビ朝日系、2011年8月13日放送。 |
| 父親が癌を患ったため、母親、妹と共に父親の郷里・福島県福島市に転居し、高校卒業まで福島で育った。 |
| 実父もバンドマンであった。 |
| 出典をお願いします 幼い頃両親が離婚し、物心つく前に母親に引き取られ小学校から高校卒業までで妹と共に暮らす。 |
| -->学法福島工業高校卒業後、1960年東京の叔母を頼って上京。 |
| 上京後、トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイをやるが、ある日手当ての100円をマネージャーに催促したところ、マネージャーに100円を投げつけられ、頭に来てマネージャーと喧嘩してクビになる。 |
| その後、先輩から捨てておいてと頼まれたドラムスティックを使い練習、ドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(現・仲本工事)と出会う。 |
| 1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期正確には加藤が先に「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に加入していた朝日新聞『人生の贈りもの』よりに、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」にメンバー入り。 |
ドリフターズ加入後
| 1964年には、ドリフターズの初レギュラー番組『ホイホイミュージックスクール』にて、「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者になる。 |
| これは、付け髭の糊が剥がれやすかったために、度々2本指で押さえていたものがギャグとして通用したと本人が語っている。 |
| 1964年、ドリフターズ内部で発生したクーデター(''詳細はドンキーカルテットとの分裂を参照'')の際、碇矢と共にドリフターズに残り、新生ドリフターズを立ち上げる。 |
| 新生ドリフターズ結成直後、当時所属していた渡辺プロダクションの先輩・ハナ肇に「芸事で飯を食っていこうとするのなら、水に係わりのある芸名にした方がいいサラスヴァティー・弁才天信仰からの連想と思われる。 |
| お前は、みんなから「加トちゃん」って呼ばれてるんだから、加藤茶にしなさい」と言われ、加藤茶になった加藤へのインタビューでは、当時普段から「加藤ちゃんでございますよ」と自ら言っていたのをハナ肇が聞き、現在の芸名となったと語っている。 |
| 1969年より『8時だョ!全員集合』(以下『全員集合』)にて、さまざまな一発芸をヒットさせ、1970年代前半には小学生の間でカリスマ的存在になる。 |
| この時代のトレードマークは禿げヅラにビン底メガネにちょびヒゲであり、現在タレントショップ等で売られている彼のキャラクターグッズも、それらを装着した姿をモチーフにしたものが多い。 |
| 社会や人間関係の縮図をディフォルメした初期のコントや映画に於いては、お笑い(いつも損をする役、イジメられ役、道化)の中心で、ドリフターズ・メンバーの中で最も持ちネタやギャグが多かった。 |
| 特に1972年から1973年までの間『全員集合』で毎週たった一度だけ「タブー」の曲に合わせて踊る「ちょっとだけよ」は大ブレークした。 |
| ちなみに「ちょっとだけよ」のネタは、仕事で出かけた広島市のストリップ劇場で見たストリップショーにヒントを得たという2010年3月3日放送の「ごきげんライフスタイルよ〜いドン!」(関西テレビ)で自ら語る。 |
| 新生ドリフターズは、『全員集合』終了までソロ活動を行なわせなかったといかりやは語っているが、加藤のみクレージーキャッツの植木等と映画で共演していた。 |
| 共演した映画『日本一のゴマすり男』(1965年 東宝)では、本名の”加藤英文”とクレジットに出ている。 |
| 志村の人気がブレイクした後は一手にギャグを受け持つ存在から、志村とのコンビで笑いを生み出す存在へと立ち位置を変化させた。 |
| このことが、『全員集合』の後番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『KATO&KENテレビバスターズ』へつながっていく。 |
『全員集合』終了後
| 『加トケン』終了後は単独でバラエティ番組に出演する傍ら、俳優業にも進出。 |
| NHK新大型時代劇の『武蔵坊弁慶』ではそれまでのイメージを覆す、非常にシリアスな役を演じた。 |
| また「加トちゃんBAND」、「こぶ茶バンド」を率い、お笑いだけでなく、本来の持ち芸であるミュージシャンとしての活動も活発化させた。 |
| 「はぐれ刑事純情派」では鑑識官を演じ、「自分の警官役といえばコントの、“自転車で走ってて壁にぶつかるお巡りさん”ばっかりだったのに、格好いい鑑識官とは……」と照れていた。 |
| 1987年11月に結婚した18歳年下の妻とは、2003年3月に熟年離婚をしたが、病気療養中のいかりやに心配をかけないようにとの心遣いから、離婚のことはいかりやの死後まで公表しなかった。 |
| その後はバラエティ番組においても「家に帰っても誰もいないんだよ」などと、自らの離婚をネタにした自虐的トークを繰り広げることが多くなった。 |
| 特に、『行列のできる法律相談所』において離婚を決意した日のことを語った時には、あまりの内容の重さに司会の島田紳助から「その続きは『その時歴史が動いた』でやってもらいましょ」と言われるほどだった。 |
| 2004年、いかりや長介が死去したことにより、ザ・ドリフターズの最古参メンバーとなった。 |
| いかりや長介の葬儀の際には、最古参メンバーということで、年長の高木ブーに代わって弔辞を読んだ。 |
| この中で、加藤は「これからオレたち4人で、ドリフターズ、やっていくよ。 |
| あんたが残した、財産だからね。 |
| (中略)あ、でもそっちからいきなり『全員集合』って言われても、俺たちすぐには行けないからね…」と語りかけた。 |
| 2006年10月30日、微熱と体のだるさが1ヵ月以上続く体調不良により緊急入院。 |
| 同年12月のこぶ茶バンド公演も出演中止が決まった。 |
| 病名は、“StanfordA型大動脈解離”であると本人が2006年12月26日の会見で発表、生還を果たしリハビリ中であることを語った。 |
| 実際の会見では「StandardA型大動脈解離」と言い間違えている加藤の場合、過去に冠動脈ステント挿入術の経験があり、この関係で抗凝固剤の服用をしていたために、緊急手術が必要な症状だったにもかかわらず、薬の効果が弱まるまで手術に踏み切れなかったようである。 |
| 加藤の術式はこの冠動脈治療も同時に行うためにバイパス術も同時に行われ、かつ抗凝固剤によるリスクを最小限にするために低体温にしての施術となり、通常の上行大動脈置換術より難易度が格段に高く、3時間近い心停止と人工心肺使用を伴う10時間にわたる長時間の手術となった。 |
| 記者会見の際にギャグを求められ、「加トちゃんペッ!」をした。 |
| なお、この手術の際の検査により、長年AB型だと思っていた血液型が実際にはA型であると判明した2007年5月15日放送の『ライオンのごきげんよう』より。 |
| 仕事復帰は困難とも言われたが、わずか4ヵ月で『鬼嫁日記いい湯だな』に出演する形で復帰したこの時の大動脈は1700万円とのことである。 |
| 2009年12月7日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』より。 |
| 2011年、68歳にして、自分の長女(20歳)とほぼ同年代である23歳の一般人女性と再婚したことが報じられた。 |
| 入籍は6月23日で、再婚相手とは45歳の年齢差であるという(『スポーツ報知』2011年8月1日)。 |
| さらに、再婚相手の父親の年齢は37歳、母親は44歳(いずれも2011年当時の年齢)であるという(『女性セブン』2011年8月18日号)。 |
人物像
| ドリフターズを辞めようとした事がある。 |
| いかりやに反旗を翻した小野ヤスシらがドンキーカルテットを結成する際に加藤を誘うが、プロダクションといかりやの慰留の説得によって残留した。 |
| 加藤がこの時のことを語る際、いかりやから「お前、どうするんだ!!」と凄まれたため、あまりの怖さに「残ります!」としか言えなかった、と面白おかしく紹介するのは、あまりにも有名である。 |
| ただし、いかりやの著書『だめだこりゃ』によれば、この頃はプロダクションには所属しておらず、前リーダーの桜井輝夫がオーナーとして関わっており、前出の「お前、どうするんだ?」と説得したのは桜井とされている(いかりやは加藤を直接は説得していない、また桜井も普通に「どうするんだ?」と尋ねたにすぎない)。 |
| また、ドンキーカルテット側からも「加藤はドリフターズに残った方がいい」と進言されたとされている。 |
| 荒井注のドリフターズ脱退の際、加藤も一緒に脱退しようとした事がある。 |
| だが荒井が先にドリフターズ脱退を発表してメンバーのみならず世間も大騒ぎになってしまい、結局脱退を言い出せなかった事があり、加藤本人も笑い話としてテレビで度々この話を披露する。 |
| いかりやは加藤より12歳年長であり、加藤の師匠だと思われがちだが、実際は師弟関係ではない。 |
| スピード狂のところがあり、1970年に交通事故を起こしたり、1987年には首都高速で85キロオーバーで走るなどのスピード違反で数回処分歴があり、『ドリフ大爆笑』のもしものコントでこのことがネタにされたことがあった。 |
| 後の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でも、カーアクションシーンでの運転(実際のアクション部分はスタントか代用人形だった)はだいたい加藤である。 |
| ただし、これは志村が運転免許を持っていないため志村の運転だとリアリティに欠けるというのも一因である。 |
| その上、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が放送期間中で交通事故を起こし、それが新聞に載った上に放送日の土曜だったため、探偵コントのセットで番組冒頭で1分ほどの加藤本人による謝罪に近い映像が流れた事もある。 |
| 少年時代には平泳ぎが得意であった。 |
| 中学生の時の全校水泳大会の自由形では、他の選手が全員クロールの中、加藤だけが平泳ぎだったにも関わらず、加藤が1着だったという(『6年の学習』1979年9月号より)。 |
| ドリフターズメンバー全員の共通の趣味であったクレー射撃は加藤が一番巧く、公式大会での優勝記録も多数残しており、本人曰く「協会からオリンピック代表候補の打診もあったが、ドリフターズが一番忙しい時期だったので、事務所に行かせてもらえなかった」というほどの腕前であった。 |
| なおクレー射撃の銃所持免許は、前出の度重なる交通違反による前歴から取消処分を受けている。 |
| 「『全員集合』全盛時代には、クラブの遊興費だけで、期間中「3億円は使っていた」銀座ではよく勝新太郎を見かけていた。 |
| ギャンブルは穴狙いで、『木梨サイクル』にて見事的中させる様子が放映された。 |
| 大量の札束をポーカーフェイスで受け取る加藤に対し、木梨憲武が「加藤さん…」と言ってその後絶句したが、加藤は「え、なに?」と一切興奮した様子を見せなかった。 |
| 一時は仲本・高木と3人で競走馬を所有していた(=馬主だった)。 |
| 加藤曰く「仲本に誘われて初めて大井に行って馬券を買ったところ、いきなり1万5千円(150倍)の馬券が当たり、しかもそれを5千円も買っていたので、勢いに乗ってその金で馬を買っちゃった」という。 |
| 購入後1年ほど経った頃、仲本の「そろそろ売った方がいい」との意見でその馬を売却するが、それまでの間に7勝を挙げ「買った額以上には稼いでくれた」らしい『競馬場の達人』(グリーンチャンネル)第66回。 |
| それ以来競馬にどっぷりはまり、日本国内だけでなく海外でも競馬場に足を運んでいる。 |
| 過去にはロサンゼルスに行った際に近隣の競馬場(名前は忘れたとのこと)に行き「英語がわからないので見た目だけで馬を選んで、12レース中7レース馬券を的中させた」こともあるという。 |
| プロ野球・読売ジャイアンツファンである。 |
| 離婚後に犬(トイ・プードル)を飼い始め、犬用の服を数十着も用意しているほど溺愛している。 |
タレントとしての評価
| ドラマーとしての評価も高く、コメディアンとしての認知が高かった頃の『全員集合』でもその実力の一端を見せているほか(西城秀樹とのドラムバトルは、度々『全員集合』の回顧企画でも取り上げられている)、1974年の映画『ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!』でも加藤の長尺ドラム・ソロが披露されている。 |
| その経験の延長から、クラシックのオーケストラを用いたコントではマリンバやティンパニー、邦楽や盆踊りを題材にしたコントでは和太鼓等、打楽器の演奏も度々披露している。 |
| 「御当地加トちゃん」の第1号は、2000年に静岡県限定で発売された「茶っきり加トちゃん」である。 |
加藤茶のギャグ
| 」「ピッカピッカのー1年生、ビシッ!」(志村けんとのペア)。 |
| 「来た、来た、来た、来た、来た、日刊アルバイトニュース!」「来た、来た、来た、来た、来た、北の湖ー」。 |
| ザ・ビートルズの日本公演での前座でのギャグ。 |
ゲーム
| カトちゃんケンちゃん(1987年ハドソン、PCエンジン用ソフト、志村けんと共演)。 |
| 対戦!!加トちゃんのころろんぺ!(2008年サイバーフロント、ニンテンドーDS用ソフト)。 |
新聞掲載
| 朝日新聞夕刊『人生の贈りもの』(インタビュー)2008年12月1日〜12月5日。 |
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1943年
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加藤 茶(かとう ちゃ)は、日本のドラマー・... |
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1962年
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碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「... |
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