| 5場所連続優勝した1978年前後が全盛期と見られる。 |
| 「憎らしいほど強い」と言われ、敗れると観衆が湧いた。 |
| 悪役的な扱いをされることも多く、1960年代に子供の好きなものが「巨人、大鵬、卵焼き」と言われたのをもじり、嫌いなものの代名詞として「江川、ピーマン、北の湖」という言葉が生まれた(ただし「巨人、大鵬、卵焼き」ほど定着しなかった)。 |
| 他にも「不沈艦」や「モンスター」というあだ名も生まれた。 |
| 北の湖が嫌われた大きな理由の1つに挙げられているのが、「倒した相手が起きあがる際に手を貸さず、背を向けてさっさと勝ち名乗りを受けてしまう」ことだった。 |
| この理由については、北の湖自身が「自分が負けた時に相手に手を貸されたら屈辱と思うからだ」と語っている。 |
| 1977年3月場所は全勝の北の湖を1敗の輪島が追いかける展開だったが、14日目の結び前に輪島が敗れ、結びで北の湖が若三杉(のちの2代若乃花)を破って優勝を決めた瞬間、館内には不満や抗議の意味で座布団が舞うという異常な事態となった。 |
| 強い横綱が敗れ金星を提供してしまった際に、勝った下位力士を讃える意味で座布団が舞うことは多いが、横綱が勝って座布団が舞うというのは前代未聞だった。 |
| しかしこれに動じず北の湖は千秋楽も勝って自身初の全勝優勝を果たしている。 |
| また、1978年1月場所は3回目の全勝優勝を果たすと共に、当時の通算(幕内)連続勝ち越し記録保持者だった玉の海の27場所を塗り替え、単独1位となる28場所目の新記録を達成。 |
| さらに1978年9月場所は14回目の優勝と同時に、幕内連続12勝以上勝利が12場所となったが、これも当時歴代1位の記録だった。 |
| そして1979年11月場所では10勝5敗に終わったものの、当時幕内連続2桁勝利記録保持者だった大鵬の25場所を上回る、26場所目の新記録を達成した。 |
| 北の湖と同時代には絶大な人気を誇った美男力士が多く(貴ノ花、2代若乃花、千代の富士、蔵間など)、そういった人気者をなぎ倒す北の湖は必然的に敵役となる運命にあった。 |
| それでも真摯に土俵を務める姿や圧倒的勝負強さから、北の湖に魅了されるファンも多かった。 |
| 先輩横綱の輪島は最高の好敵手であり、2人で「輪湖(わうみ、りんこ)時代」を築いた(輪島との通算成績は21勝23敗でほぼ互角。 |
| 優勝は両者合わせて38回で、これは柏鵬の37回を上回る)。 |
| 特に1975年9月~1978年1月までの15場所間は、千秋楽結びの一番は、全て輪島-北の湖という対戦であり、千秋楽結び対戦連続回数15回は史上1位である。 |
| 2位は、朝青龍-白鵬の7回。 |
| ちなみに、輪島-北の湖による千秋楽結び対戦回数は22回あり、曙-貴乃花の27回に次いで、史上2位である。 |
| また、1976・77年は12場所のうち輪湖両横綱による千秋楽相星決戦が4度(1976年1月、1976年11月、1977年1月、1977年11月)、両者優勝圏内による対決が3度(1976年5月、1976年7月、1977年7月、その結果優勝決定戦が1度(1976年5月))実現した。 |
| 優勝も輪島5回、北の湖5回と実力は全く伯仲して、真の「輪湖時代」を迎えたといってよい。 |
| 1976年~1977年の2年間の輪島、北の湖の成績は、下記の通りである。 |
| 1976年=輪島:77勝13敗(優勝2回)、北の湖72勝18敗(優勝3回)。 |
| 1977年=輪島:75勝15敗(優勝3回)、北の湖80勝10敗(優勝2回)。 |
| ※このように、1976年~1977年の2年12場所間で、輪湖両横綱が千秋楽結びの対戦で、両者とも優勝圏内での対戦が7度実現した。 |
| (そのうち、相星決戦は4度である)。 |
| ※また、1974年(昭和49年)7月場所も、千秋楽輪島2敗、北の湖1敗(当時大関)で対戦が実現。 |
| この時は、輪島勝利。 |
| 優勝決定戦も輪島が制し、逆転優勝を果たした。 |
| 北の湖は、場所後横綱昇進を果たしている。 |
| 優勝回数24回、連勝記録32勝、幕内での50場所連続勝ち越し、37場所連続2桁勝利の堂々たる記録を持つ。 |
| 1978年に記録した年間通算82勝は、2005年の1月~11月の年6場所で第68代横綱・朝青龍(年間通算84勝)に超えられるまで、27年間も保持された最高記録である。 |
| また、1977年9月~1978年7月場所までと数え方を変えた場合ではあるが、かつて1年6場所で85勝5敗という最高記録も保有していた。 |
| これも第69代横綱・白鵬が、2008年7月~2009年5月場所にかけて北の湖の記録に並んだ後、さらに2009年1月~11月場所の年6場所で86勝4敗の年間最多勝ち星でこの記録を更新した白鵬はその後、2010年3月~2011年1月場所の6場所にかけて88勝まで更新した。 |
| 現在も大相撲史上最長記録である、37場所連続2桁勝利を続けていた1975年9月場所から1981年9月場所までの6年間は、ほぼすべての場所で終盤まで優勝争いの中心に存在し続けた。 |
| また初土俵から1度も休場しない抜群の安定感を誇ったが、1981年の夏巡業中に右膝を痛めたのが響いて、同年11月場所9日目でついに不戦敗・途中休場に。 |
| 翌1982年1月場所は優勝したものの、次の3月場所は11勝止まり。 |
| 以後は足腰の故障との戦いが続き、5月場所は途中休場、7月場所は初の全休。 |
| 休場明けの9月場所は初日に平幕大寿山(のちの太寿山)に吊り出される、という全盛期には考えられない負け方。 |
| しかし、明くる1984年1月場所では8勝7敗に終わり、場所後の横綱審議委員会でも「気の毒で見ていられない」「きれいに引退したほうが良い」などの声が相次いだ。 |
| ついに第一人者の座を千代の富士や、隆の里に明け渡し、完全に世代交代してしまったかと思われていた5月場所、久々の優勝を15戦全勝で果たした。 |
| この場所13日目に弟弟子の大関北天佑が、優勝を争った隆の里を下した瞬間に北の湖の優勝が決定したのだが、控えに座る北の湖に北天佑が土俵上でニッコリ微笑むと、北の湖も思わず笑みを返したシーンは、好角家の間では特に有名である。 |
| 翌7月場所は序盤こそ前場所の勢いを継続するかのように、快勝の連続であったが、6日目旭富士に敗れたのをはじめ4敗、11勝にとどまり、これが最後の皆勤場所となった。 |
| 翌年の1985年1月場所、こけら落としの新両国国技館の土俵に現役で臨んだが、実は怪我が完治せず土俵に上がれる体ではなかった。 |
| 新国技館での北の湖は初日旭富士、2日目多賀竜に全く良い所無く敗れて2連敗、結局勝ち星を一つも挙げることなく、持っていた年寄株を人に貸していたため、横綱特権での5年時限の年寄襲名前提で引退届を提出した(当時は優勝32回の大鵬しか一代年寄の例が無かった)。 |