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プロフィール
- 北別府学とは
- 経歴
- プレースタイル
- 年度別投手成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 出演番組
- 関連項目
北別府学(きたべっぷまなぶ、1957年7月12日-)は、鹿児島県曽於郡末吉町(現曽於市)出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
| 宮崎県立都城農業高等学校2年時、秋季大会で完全試合を達成。 |
| 1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団した。 |
| この時はまだ全国的には無名の存在で、広島スカウト陣以外には日本ハムファイターズ監督に就任したばかりだった大沢啓二が目をつけているだけだった。 |
| 大沢は関係者から得た情報を基に北別府の指名を検討していたが、フロントやスカウト陣の反応は薄く、結局獲得は見送られてしまったという。 |
| 大沢は後に、「無名の選手だったから獲得しようと思えば簡単にできた。 |
| 指名できなかったのが心残りだ」と語っている。 |
| 入団2年目から先発ローテーション入りし3年目の1978年に10勝を挙げると、この年から1988年まで11年連続二桁勝利を達成。 |
| 1982年には20勝し最多勝と沢村賞を獲得。 |
| 1986年には9月、10月で7勝0敗を記録しチームのリーグ優勝に大きく貢献。 |
| 最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞に輝いた。 |
| 1989年、1990年は10勝に届かず限界説が囁かれたが、1991年に11勝を挙げ復活すると同時に最高勝率のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝に貢献。 |
| 1992年7月16日、対中日ドラゴンズ戦で球団史上初の200勝を達成、これは同時に日本プロ野球における20世紀最後の200勝到達でもあった。 |
| 1994年、この年限りでの現役引退を表明。 |
| 1994年8月21日の巨人22回戦で松井秀喜から本塁打を浴び、金田正一の379を上回りセ・リーグの最多被本塁打記録となる380を記録した。 |
| またホーム最終戦となる9月20日の巨人戦では引退登板が予定されていたが、この年のセ・リーグは広島・巨人・中日の3チームが終盤戦まで三つ巴の激しい優勝争いを繰り広げており、この日の試合も展開が二転三転する状況で遂に登板の機会に恵まれず、試合後に引退セレモニーのみが執り行われた。 |
| なおこの試合は8対7で広島が勝利し、引退試合は翌1995年3月12日のオープン戦にて行われた。 |
| 現役時代に残した通算213勝は日本プロ野球歴代第18位記録、先発勝利数200勝は歴代第10位記録で、これらは共に広島東洋カープの球団記録でもある。 |
| 中日戦に強い中日キラーとしても有名で、通算52勝27敗という成績を残している。 |
| 一方、日本シリーズには5回出場(1979年・1980年・1984年・1986年・1991年)し先発として6試合に登板しているが、防御率3.21ながら0勝5敗と一度も勝利投手になれなかった。 |
| 引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日野球解説者に就任し、その後2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。 |
| 2005年より再び広島ホームテレビ解説者の傍ら、デイリースポーツ野球評論家を務めている。 |
| 2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版、この中で、娘が医学生であることを明かしている。 |
| 2010年からは沢村賞の選考委員を務める。 |
| http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20101022083.html。 |
プレースタイル
| 直球の球威や変化球の切れ味に飛び抜けたほどのものはなかったが、それらを補って余りあるほど優れた制球力から「精密機械」の異名を取り、投手王国と呼ばれた1980年代の広島の主軸として活躍した。 |
| 読売ジャイアンツの江川卓らと並び、1980年代のセ・リーグを代表するピッチャーの一人である。 |
| また、1980年代に挙げた通算137勝は、江川の126勝を上回るリーグ1位の成績である。 |
| 精密機械と呼ばれるほどの抜群の制球力を身に着けたきっかけは、プロ入りして間もなく、並み居る先輩投手の投球練習を見て、そのボールスピードに圧倒されたことだったという。 |
| 速度で敵わないならコントロールを磨くよう心がけ、3年頑張って結果を残せなかったら野球を辞めて故郷に帰ろうと考えていたと、後に本人は語っている。 |
| そのコントロールの良さを示すエピソードとして、本塁上の三角形地点に置いた3個の空き缶を、たった3球投げただけで全て倒してのけたという話がある。 |
| 週刊ベースボール、引退記念の達川光男との対談で発言。 |
| バッテリーを組んでいた達川光男もその投球について「ミットを動かさずに捕れる」と高く評価しており、広島投手コーチ時代に「筋肉番付」で「ストラックアウト」に挑んだ際には、現役選手ですらなかなか達成できないパーフェクトを成し遂げていた。 |
| そのようにコントロールに絶対の自信を持っていたからか、現役時代は審判の判定にクレームをつけることが多かった。 |
| 野球中継の解説においても「最近のピッチャーはおとなしいですね。 |
| 私は審判とも戦っていましたよ」と語っている。 |
| ストライク・ボールの判定に疑問のある場合には、球審を試すように平然と続けて寸分たがわない同じコースの球を連投して球審を試すこともあった。 |
| セリーグの審判部長だった田中俊幸は北別府について、「他の投手が先発した試合の倍は疲れた」と述べている。 |
タイトル
| 最多勝利:2回(1982年、1986年)。 |
| 最高勝率:3回(1980年-1981年、1991年) ※タイトルではない。 |
| 最優秀防御率:1回(1986年)。 |
表彰
| MVP:1回(1986年)。 |
| 沢村賞:2回(1982年、1986年)。 |
| 最優秀投手:2回(1982年、1986年)。 |
| ベストナイン:2回(1982年、1986年)。 |
| ゴールデングラブ賞:1回(1986年)。 |
| 月間MVP:3回(1982年5月、1986年9月、1992年4月)。 |
記録
| 初出場:1976年9月16日、対ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)。 |
| 初勝利:1976年10月12日、対ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)。 |
| オールスターゲーム出場:7回(1979年-1980年、1982年-1984年、1988年、1992年)。 |
| 1984年6月28日、100勝達成。 |
| 1985年8月4日、1000奪三振達成。 |
| 1987年9月29日、150勝達成。 |
| 1990年7月30日、1500奪三振達成。 |
| 1992年7月16日、200勝達成。 |
背番号
| 20(1976年-1994年)。 |
| 73(2001年-2004年)。 |
出演番組
| 北斗晶の鬼嫁運動記者倶楽部(準レギュラー)(後に恋スポになる)。 |
| サンデー恋すぽ (レギュラー)。 |
| ほこ×たて 2011年9月19日放送の「必ず割れる防犯ボール」を「どんな衝撃も吸収して壊さない衝撃吸収マット」に正確に投げ込む役割を担当した。 |
| しかし、3mの距離から2投なげて1球外し、4mからは1球投げて外しており、合計3球投げて1球しかマットに当てられなかった。 |
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1957年
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北別府 学(きたべっぷ まなぶ)は、鹿児島県... |
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1976年
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初出場:、対ヤクルトスワローズ戦(神宮球場) |
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