| 東京市赤坂区青山南町(現・東京都港区南青山)に父:斎藤茂吉、母:輝子の次男として誕生する。 |
| 生家は輝子の実父であり北にとって祖父にあたる斎藤紀一。 |
| が創設し、茂吉が院長を務める青山脳病院という精神病院であった。 |
| 少年時代は昆虫採集に深く熱中する日々を送り、文学には興味を抱かなかった。 |
| 戦中から戦後の混乱の最中、旧制松本高校に入学し、学友たちと刺激しあう日々を送る中で初めてトーマス・マンの作品に出逢う。 |
| 先輩に辻邦生がおり、終生の付き合いとなる。 |
| 中でもトニオ・クレーゲルや魔の山から強く深い影響を与えられた事がきっかけとなり作家を志すようになる。 |
| 当時の松高にはマンの翻訳で名高い望月市恵がドイツ語教授として在任しており、マンの研究者としてはもとより、その人柄や教育者として望月のあらゆる面に強く尊敬の念を抱き、卒業後も交流は続いた。 |
| この件は著書である青年時代を綴ったエッセイ『どくとるマンボウ青春記』に詳しい。 |
| 文学以外には卓球部のキャプテンを務め、インターハイに出場した。 |
| また、松高を志望する大きな理由の一つであった日本アルプス登山に頻繁かつ果敢に挑むなどして高校時代を過ごす。 |
| 旧制麻布中学時代までは、恐ろしいカミナリ親父、頑固親父の存在でしかなかった父であったが、あらゆる影響を受けた松高時代に彼の短歌の素晴らしさに触れた事で認識が変わり、以後は優れた文学者として尊敬するようになるが、進路を決める際、志望外であった医学部へ進学する事を一方的に厳命し、ささやかな抵抗や交渉を試みるも父の圧倒的で頭ごなしの威力を覆すことは到底敵わず、せめて松高の環境に似た風情を持つ学校へという願いから同じ城下町に存在する東北大学医学部へ進学する。 |
| 大学卒業後はインターンとして慶應義塾大学病院に赴任する。 |
| 無給であったため、すでに所帯を構えていた兄の自宅に居候せざるを得なかった。 |
| 医師として勤める傍ら、同人雑誌『文藝首都』に参加し、川上宗薫、佐藤愛子、田畑麦彦、なだいなだらの知己を得る。 |
| 1959年、『文藝首都』に連載した『幽霊』を、田畑の『祭壇』とともに自主出版する。 |
| ナチス・ドイツの「夜と霧作戦」をモチーフにした『夜と霧の隅で』で、1960年に第43回芥川龍之介賞を受賞。 |
| また、1958年から1959年にかけて水産庁調査船に船医として乗船しインド洋から欧州にかけて航海(ドイツ訪問が乗船の動機だった)。 |
| この体験に基づく旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ航海記』が同年に刊行されると、アメリカン・ユーモアから影響を受けた、従来の日本文学にない陽性でナンセンスなユーモアにより評判となり、ベストセラーとなる。 |
| 以降、小説、エッセイとも、特に若い読者から熱狂的に支持される人気作家となった。 |
| 祖父母輝子の父。 |
| 茂吉の養父で、齋藤脳病院の創設者である齋藤紀一は「大ぼらふき」の傾向がある奇人であったが、純文学作品とされるものにも祖父のようなユニークな「ほら吹き」の人物を登場させることがある。 |
| 作品は『夜と霧の隅で』、『楡家の人びと』(奇人変人が多かった齋藤家の歴史を描いた大河小説)など純文学と位置づけられるものから、『奇病連盟』『高みの見物』などのユーモア中間小説、『怪盗ジバコ』『父っちゃんは大変人』『さびしい王様』などファンタジーといえるもの、『船乗りクプクプの冒険』のような児童文学や童話など、多様である。 |
| 他に近年の作として父茂吉の評伝4部作があり、エッセーは『(どくとる)マンボウ』ものなどが小説以上に広く読み継がれている。 |
| 1970年代に新潮社より全集を刊行。 |
| 親子で生前に全集を完成させた最初の例となった(死後刊行では幸田露伴・文親娘がいる)。 |
| 大学時代の登山経験から、1965年、カラコルム・ディラン峰への遠征隊に医師として参加。 |
| この体験をもとに『白きたおやかな峰』が書かれた。 |
| 初期のSFの愛好者・擁護者であり自身もSF的作品を執筆。 |
| 1968年・1969年には月計画さなかのNASAを訪問・取材。 |
| ただし、その取材を元に執筆した著書『月と10セント』は月計画の狂騒的な騒ぎを批判した書であった。 |
| また漫画の愛好家であったことから、小学館漫画賞・文藝春秋漫画賞の選考委員をつとめていたこともあった。 |
| 壮年期より躁うつ病(双極性障害)に罹患。 |
| みずからの病状をエッセーなどでユーモラスに記し、世間の躁うつ病やうつ病に対するマイナスイメージを和らげるのに一役買うこととなった。 |
| 躁病期の株への投資のために破産も経験している。 |
| この経験が戯曲風小説『悪魔のくる家』の執筆のヒントになったとされる。 |
| 昭和末期から、自宅を領土とするミニ独立国「マンボウ・マブゼ共和国」主席を名乗る。 |
| 同国は真の共産主義国家であると称するが、実在の共産主義国家は偽者として批判。 |
| 特に訪問経験のあるソヴィエトには辛口である。 |
| もっとも、原則として政治的発言はしない作家であり、マンボウ・マブゼ共和国についてもシャレ以上の意味を持たせる意図はない。 |
| ムツゴロウこと畑正憲と対談した際、北がムツゴロウ動物王国とマンボウ国で日本から分離独立し、同盟を結ぶ提案をしたことがある。 |
| この時の北は極端な躁状態だった。 |
| 自他共に認める熱狂的阪神タイガースファンであり、エッセイには阪神の成績に一喜一憂しつづける日常を描いたものも多数ある。 |
| また1985年の阪神タイガース優勝時には、彼の興奮ぶりがテレビ朝日系列にてドキュメンタリー番組として放送された。 |
| 1996年には日本芸術院会員となり、2006年に、日本経済新聞「私の履歴書」を連載。 |
| 2008年5月12日放送「徹子の部屋」(テレビ朝日系列)に、長女の斎藤由香と28年ぶりに出演した。 |
| 「週刊文春」連載の「新・家の履歴書」(2010年8月26日号)に登場し、在りし日の我が家を回想している。 |