| 築地座の舞台を見て演劇に惹かれ、1931年に創作座の研究生となる。 |
| 1935年に初舞台の「温室村」で主役を務める。 |
| 1936年、新協劇団へ入団し築地小劇場の『どん底』ナスチャ役で同劇団での初舞台を踏み注目を集める。 |
| 久保栄を「お師匠さま」と仰ぎ、宇野重吉、信欣三北林のエッセイによれば、信欣三とは同時期に同じ幼稚園に通っていたらしいとのこと。 |
| とともに3人でサークル「文殊会」を組む。 |
| 1940年、左翼的とみなされた同劇団は政府の政策により強制的に解散させられた。 |
| 戦時下の1942年、北林は宇野重吉、信欣三らとともに移動劇団・瑞穂劇団(大政翼賛会参加の日本移動演劇連盟に加盟)を結成、各地を巡演。 |
| この時期に『左義長まつり』(とんどまつり、久保田万太郎演出)で、宇野の強い押しで初めて老女役を演じる。 |
| 1945年に画家の河原冬蔵と結婚し1男1女を儲けたが、北林が仕事で地方に出かけている最中に幼い娘が火傷で不慮の死を遂げ「自画像」『蓮以子八〇歳』28-40頁『九十三齢春秋』54ページ、夫とは後に離婚している。 |
| 画家の河原朝生は長男。 |
| 1947年、宇野重吉や滝沢修らと民衆芸術劇場を設立。 |
| 1950年には劇団民藝創立に加わり、以後舞台のみならず、映画やテレビドラマなど幅広いジャンルで活躍し、劇団民藝を代表する演技派の名女優として紀伊國屋演劇賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など数々の賞を受ける。 |
| 若い頃から老け役が多く、日本を代表するおばあちゃん役者と称えられた(現在でも老け役を多く演じた笠智衆と並び称されている)。 |
| 特に、映画・テレビ共に、田舎の農村・漁村・山村で生活するおばあさんを演ずることが多い。 |
| 衣装は自前である。 |
| 「生活の苦汁」がしみ込み「生活の垢」がついたキモノを集めて愛蔵し、さまざまな役に応じて着なしていた。 |
| たとえば盛岡の朝市のおばさんの着物や朝鮮人のおばあさんの古着など「生活の苦汁を着る」『蓮以子八〇歳』「人はボケるにあらず」『九十三齢春秋』112-118ページ。 |
| 地方公演の際、農家に案山子の服がほしいと頼んだこともある1995年サライ13号掲載インタビュー。 |
| 『上手な老い方』所収。 |
| (「クイズダービー」第789回(1991年6月1日放送分)最終問題より)。 |
| 1956年、市川崑監督で映画化された『ビルマの竪琴』には、物売りの老婆役で出演し、民衆のたくましさ、豊饒さを演じた「北林谷江さんのこと」『民藝の仲間』第226号1983年。 |
| 『石牟礼道子全集 不知火 第14巻』(藤原書店 2008年)所収。 |
| 1985年に、同監督で再度映画化された『ビルマの竪琴』にもに同じ役どころで出演している。 |
| ただし、本人の生まれ同様の口跡爽やかな江戸っ子(『鬼平犯科帳』第1シーズン第13話「笹やのお熊」1989年)・東京っ子(『銀座わが町』1973年)も演じた。 |
| 1974年公開の映画『華麗なる一族』では、他作品でのおしゃべりな印象の演技とは異なり、台詞は「あっ、そう」の一言と笑い声だけという佐橋総理夫人を演じ、静かな話題を呼んだ。 |
| 1975年には大泥棒ホッツエンプロッツを元にした『お尋ね者ホッツェンプロッツ』を作・演出。 |
| 1978年、紫綬褒章受章。 |
| 声優としてはベティ・デイヴィスやヘレン・ヘイズの吹き替えを担当。 |
| 特に1988年春公開の『となりのトトロ』では、「サツキのクラスメイト・大垣勘太(カンタ)のおばあちゃん」の役を担当。 |
| 幅広い世代に名前を知られることとなった。 |
| 1989年7月19日にドラマ撮影のため滞在していたアメリカ・オレゴン州で脳動脈瘤破裂で倒れ、一時は生死すら危ぶまれた「開頭手術からの生還」『蓮以子八〇歳』この際、甘美な臨死体験をしたと語っている。 |
| 詳細は『証言・臨死体験』および『話せばわかる』参照。 |
| が大手術とリハビリが功を奏し、翌1990年に舞台で復帰。 |
| 1991年公開の映画『大誘拐/RAINBOWKIDS』で老ヒロイン柳川とし子刀自・役を演じ、映画もヒットし、日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞した本編クレジットのキャスティングは風間トオルらがトップに出て来るが、実質的には北林が主演で、公開後の作品紹介では北林が主役の扱いになっている。 |
| 2002年公開の『阿弥陀堂だより』では、既に脚が悪くなり、歩きも覚束ない状態だったが、主演を務めたのが劇団民芸創設時からの盟友だった故・宇野重吉の息子寺尾聰であることから出演を快諾し、阿弥陀堂を守る老女を好演、日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を受賞した。 |
| 2003年4月11日から13日まで世田谷パブリックシアターで催された舞台「北林谷栄の世界『蓮以子93になった』」が公の場に出た最後となった。 |
| 以後も出演交渉はあったがすべて断り、静かに余生を送っていた。 |
| 2010年4月27日午後8時40分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去 |
| 北林死去の報に劇団民藝の後輩である奈良岡朋子、大滝秀治が哀悼のコメントを発表した |
| 没時、北林は日本の演劇人の中で長岡輝子に次ぐ高齢者だった。 |