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プロフィール
- 千代の富士貢とは
- 少年時代~入門まで
- 初土俵~幕内定着
- 三役から横綱へ~ウルフフィーバー
- 相撲界唯一の国民栄誉賞受賞
- 年寄から理事へ
- 強さなど
- ほか現役時のエピソードなど
- 関連サイト
千代の富士貢(ちよのふじみつぐ、本名:秋元貢(あきもとみつぐ)、1955年6月1日-)は、大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は玄洋社記念館館長や玄洋ビル社長を務めた進藤龍生。夫人は進藤喜平太(第二代及び第五代玄洋社社長)の曾孫で、 進藤一馬(第十代玄洋社社長、元福岡市長)の姪孫。次女はファッションモデルの 秋元梢。他に息子と娘(梢の兄と姉)が1人ずついる。史上2位の記録である通算31回の幕内最高優勝、共に歴代2位の通算勝星1,045 ...
少年時代~入門まで
| 漁師の息子として生まれた。 |
| 漁業の手伝いで足腰が鍛えられ、少年時代からスポーツ万能。 |
| 特に陸上競技では走高跳、三段跳で地方大会に優勝し、オリンピックにもいける、といわれた逸材だったという。 |
| 中学時代虫垂炎の手術をした際、彼の腹の筋肉が厚くこれにてこずっているうちに、予定を大幅に上回る長時間の手術になってしまい、終わる前に麻酔が切れた。 |
| それでもなお耐え続ける貢少年を見た執刀医は、感心して知り合いにこの話をしたという。 |
| その知り合いというのが、かつて千代の山(後の九重)をスカウトした若狭龍太郎で、その後貢少年が運動神経を買われて町の相撲大会に引っ張り出され、勝ちを収めたと聞いた若狭はスカウトに乗り出す。 |
| 話を聞いた九重も若狭と共に乗り出し、直々に説得。 |
| 貢少年本人は相撲に殆ど興味がなく、両親も反対したため一旦は断わっていた。 |
| しかしそれでも諦めない九重は、貢少年に対して「取り敢えず東京に行こう。 |
| 入門するなら飛行機(全日空のフォッカーフレンドシップだったとされ、当時は地元福島町の町長でさえも乗ったことが無い乗り物であった)に乗っけてあげるよ」また「中学の間だけでもやってみて、後のことを考えたら」などと持ちかけると、結局貢少年はその飛行機にどうしても乗りたいがために、家族の反対を押し切ってまで九重部屋に入門を決めた、という話がある。 |
| この相撲界入門時のエピソードは、現役引退後に自らトーク番組などでよく語っている。 |
初土俵~幕内定着
| 本名で初土俵を踏み、翌場所には大秋元と改名。 |
| その後、千代の冨士、後に点をつけて千代の富士となる。 |
| 相撲は始めたが、転入した中学でも陸上を続け、区大会入賞するなど活躍、中学卒業後は帰郷するつもりでいた。 |
| しかし土俵での成績も概ね好調で、逸材を手放すのを恐れた師匠は、後援会に世話を頼んで貢少年を明大中野高校に通わせる。 |
| 高校で学業と相撲の両立をはかったが困難となり、退学して相撲に専念することに決し、ここに至って貢少年は本格的に力士の道を歩むことになる。 |
| 千代の富士の四股名の由来は、師匠の四股名である「千代の山」と同じ部屋の先輩横綱「北の富士」。 |
| 異名の「ウルフ」については、魚を捌いていたところを見た師匠が「狼みたいだな」と言ったことからついた。 |
| 当初は狼と呼ばれていたのがいつしか変化したそうで、これを聞いた当時の春日野理事長は「動物の名前で呼ばれる力士は強くなる、儂はマムシだった、狼は若乃花の昔のあだ名だ」と言ったという。 |
| 小兵ながら(幕内定着の頃まで体重は100kg以下)気性の激しさを表す取り口で順調に出世して、史上初の5文字四股名の関取になり、1975年(昭和50年)9月場所で新入幕。 |
| しかし相撲の粗さもあってその後幕下まで陥落する。 |
| さすがに短期間で関取の座にカムバックするものの、今度はそれまでも課題ではあった先天的に両肩の関節のかみ合わせが浅いという骨の形状からくる肩(特に左)の脱臼癖が顕在化する。 |
| 取り口も力任せの強引な投げ技を得意とするものだったため更に肩に負担がかかり、度重なる脱臼に悩まされた。 |
| このため、2年ほどの歳月を十両で過ごすことになるが、当時のNHKアナウンサーであった向坂松彦はこの頃から「ケガ(脱臼癖)さえなければ幕内上位にいる人だと思う。 |
| ウルフと言われる鋭い目はいつの日か土俵の天下を取るものと見ている」と将来性を見抜いていた。 |
| 1977年(昭和52年)頃から頭をつける体格にマッチした相撲が見られるようになり、その成果もあり脱臼も幾分かおさまり、1978年(昭和53年)1月場所には再入幕する。 |
| 5月場所では大関貴ノ花を破るなど9勝をあげ、初の敢闘賞を受賞。 |
| 翌7月場所では新小結の座についた。 |
| しかし、幕内の地位に定着したと思われた1979年(昭和54年)3月場所播竜山との取り組みで右肩を脱臼して途中休場し、入院して脱臼との戦いをまたも強いられることとなる。 |
| この時、肩を筋肉で固めるという対策に活路を見出し、毎日500回の腕立て伏せやウェイトトレーニングに励んで脱臼を克服した。 |
| 翌5月場所は十両に陥落したものの怪我が取組中であったため、公傷制度を利用して肩の治療に専念するはずであった。 |
| しかし、手続きの不手際で公傷と認められないことが場所の直前に発覚。 |
| 3日目から強行出場することとなったが、9勝を挙げて翌7月場所に幕内に復帰。 |
| 以後は着実に力をつけ、幕内上位に定着することとなる。 |
三役から横綱へ~ウルフフィーバー
| 肩の脱臼癖もあってそれまでの強引な投げから、前廻しを取ってからの一気の寄りという形を作りあげ、1980年(昭和55年)3月場所から幕内上位に定着。 |
| 横綱大関陣を次々と倒して人気者となり、特に大関昇進後の増位山に対しては6戦6勝であった。 |
| 同年9月場所に小結で幕内初の二桁勝利となる10勝を挙げた(ちなみにこの場所以降引退するまで、皆勤した場所ではすべて二桁勝利を挙げた)。 |
| 同年11月場所に新関脇。 |
| この場所は11勝を挙げ、大関を目前として1981年(昭和56年)を迎えた。 |
| 1981年(昭和56年)1月場所は前場所をはるかに上回る快進撃で、初日から14連勝した。 |
| そして千秋楽、1敗で追いかけた横綱北の湖との直接対決を迎えた。 |
| 本割では吊り出しで敗れ全勝優勝こそ逃すものの、優勝決定戦では北の湖を右からの上手出し投げで下し、14勝1敗で初優勝を果たした。 |
| 場所後に大関昇進。 |
| 千秋楽が行なわれた1月25日の大相撲中継視聴率は、52.2%、瞬間最高で65.3%に及び、これは今に至るまで大相撲中継の最高記録である(ビデオリサーチ調べ)。 |
| 3月場所(11勝)、5月場所(13勝)と連続して千秋楽まで優勝争いに残り、横綱昇進が懸かった7月場所に2度目の優勝(14勝1敗)を果たして横綱に推挙される。 |
| 横綱土俵入りは師匠と同じ雲龍型を選んだ土俵入りの型は一門、部屋ごとに伝統があり、横綱個人の意思で選択できるというわけではない。 |
| 新横綱となった同年9月場所の2日目、ライバルと言われた隆の里との取組で場所前から痛めていた足を負傷し、新横綱が途中休場という憂き目を見る(新横綱の休場は昭和に入って武藏山、吉葉山に次いで3人目)。 |
| 新横綱誕生の期待が失望に変わり、「11月場所は進退が懸かる」などと報じたマスコミもあった。 |
| しかし、11月場所では朝汐との優勝決定戦を制し、横綱として初優勝を飾ることで復活を見せた。 |
| 隆の里はその後も千代の富士の天敵と言えるような存在で、千代の富士を長く苦しめることになった。 |
| この1981年には、同一年中に関脇、大関、横綱の3つの地位で優勝するというかつてない記録を達成した。 |
| 関脇から横綱へと駆け上がるとともに、新横綱での挫折、翌場所の復活優勝と、1981年は千代の富士にとって激動の1年であったと言える。 |
| こうした事情から、関脇千代の富士(不詳)、大関千代の富士(テレビマガジンにおける永谷園「味ぶし」の宣伝に登場)と記された各種記録は数が多くない。 |
| この時期の千代の富士は、細身で筋肉質な体型と精悍な顔立ち、そして豪快でスピーディな取り口から、若い女や幼い子供にまで知名度が高まり、一種のアイドル的な人気を得ていた。 |
| とりわけ一気に大関・横綱への昇進を決めた1981年は「ウルフフィーバー」の年として記憶されている。 |
| 千代の富士の取組にかかる懸賞の数は他の力士に比べて圧倒的に多く、懸賞旗が土俵を一周してまだ余るような状態だった。 |
相撲界唯一の国民栄誉賞受賞
| 1982年(昭和57年)には3連覇を達成した。 |
| 横綱昇進後の最初の3年間は強い時は強いが、やや頼りない部分も見受けられ、特に1984年(昭和59年)は年明けから振るわず、3月場所は右股関節捻挫で中日から途中休場。 |
| 翌5月場所は2年ぶりの優勝を目指す北の湖に一方的に寄り切られて11勝止まり。 |
| 9月場所は入幕2場所目の新鋭小錦の突き押しにあっけなく土俵を割り、場所後横綱としての責任を問われる羽目になってしまった。 |
| (この結果、1984年11月場所終了時点で、優勝回数は10回に到達したが、蔵前国技館で開催の東京場所の優勝は2回のみ(1981年1月場所、1982年5月場所)に終わっている)。 |
| 両国国技館のこけら落としとなった1985年(昭和60年)1月場所は全勝優勝で最高のスタートを切り、5月場所から廻しの色が「青」から「黒」に変わり、この年史上3人目となる年間80勝を達成した。 |
| さらに、1986年(昭和61年)5月場所~翌年1月場所まで5連覇を達成した。 |
| 1987年(昭和62年)前半は僅かに崩れ、千代の富士時代は終わりに近づいたとの声もあり、「次の時代を担う力士は誰か」というアンケートまで実施された。 |
| 他を寄せ付けない強さで、昭和50年代後半から平成初期にかけての「千代の富士時代」の中でも、昭和最後の4年間は驚異的な成績を残した。 |
| ちなみに、53連勝でストップした大乃国との一番が奇しくも昭和最後の一番となる。 |
| なお、53連勝は2010年(平成22年)9月場所現在、双葉山、白鵬に次いで歴代3位である。 |
| 元号が平成に変わった1989年(平成元年)1月場所も優勝候補筆頭だったが、前場所に連勝記録が途切れ緊張感が無くなった為なのか、雑な相撲が目立ち、8日目に寺尾に敗れて以降優勝争いから脱落し、結局11勝4敗に終わる。 |
| 4年4か月振りに西正横綱として登場した翌3月場所は初日から他を寄せ付けない強さで14日目に大乃国を破って優勝を決めたが、この一番で左肩を脱臼。 |
| しかし1989年6月に、同年2月に誕生したばかりの三女をSIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くす不幸に見舞われる。 |
| 翌9月場所に通算勝ち星の新記録を達成し、9月28日に大相撲の世界で初めての国民栄誉賞受賞が決定した。 |
| これにより協会は一代年寄千代の富士貢を満場一致で承認するが、本人は九重(北の富士)とも相談のうえでこれを断わっているこのため彼を一代年寄に含めるかどうかは議論が分かれているが、大鵬は還暦土俵入りの際に千代の富士も含まれるとの見解を示した。 |
| 翌3月場所の7日目には花ノ国戦の勝利で、当時前人未踏だった「通算1,000勝」の大記録を達成したその20年後の2010年(平成22年)5月場所千秋楽、大関・魁皇も大相撲史上二人目の通算1000勝を達成。 |
| しかし5月場所と7月場所は旭富士に優勝を奪われ、千代の富士は2場所連続準優勝に終わり、旭富士の横綱昇進の引き立て役になってしまった。 |
| 翌1991年(平成3年)1月場所初日に幕内通算805勝目を挙げ、当時の大相撲史上単独1位(現在は魁皇に抜かれて史上2位)の記録を達成したが、翌日の逆鉾戦で左腕を痛めて途中休場。 |
| 事実、千代の富士が横綱昇進を決めた時は関取は千代の富士だけだったが、その後は北勝海を筆頭に、孝乃富士や巴富士らが関取に昇進している。 |
年寄から理事へ
| 引退後、2010年5月場所まで毎場所中『中日新聞』に「一刀両断」と題した相撲解説コラムを連載していた(系列紙の『東京新聞』には「ウルフの目」というタイトルで掲載)。 |
| 日本相撲協会では、1994年(平成6年)武蔵川親方と共に役員待遇に昇格し、審判部副部長を務めていたが、評議員が少ない高砂一門に所属しており、さらに一門内でも外様出身千代の山が出羽海部屋から独立した際に出羽一門を破門され、高砂一門入りしたことによる。 |
| 審判部長は理事が担当するため、古くから審判部副部長職にあるにもかかわらず、先代二子山、先代押尾川、放駒と3代続いて大関止まりの理事が九重親方を抑えて審判部長になっており、「副部長を務めている」というよりも「部長になれないでいる」という感が漂っていた。 |
| だが、2007年半ばより始まる朝青龍騒動や時津風部屋力士暴行死事件で角界が大揺れの中、一門代表の理事だった高砂親方が朝青龍の師匠として逼塞を強いられたのに代わって2008年2月からようやく理事に就任し、広報部長・指導普及部長を務めた。 |
| 2010年1月26日、現役引退したばかりの元大関千代大海(現・佐ノ山)親方から、「笑っていいとも!テレフォンショッキング」に前日出演依頼を受け、同番組に初登場。 |
強さなど
| それから19年近く経過の後、魁皇(元大関、現・浅香山親方)に2010年1月場所3日目に幕内勝ち星を808勝、翌2011年7月場所5日目には通算勝ち星を1,046勝とそれぞれ更新されたが、その都度九重親方は直接魁皇に「おめでとう」と祝福の言葉を掛け、握手を交わしていた。 |
ほか現役時のエピソードなど
| 幕内→大関→横綱と一気に昇進してしばらくは絶大な人気を誇ったが、あまりの強さにファンがやや飽きたこと、稽古場の土俵上で新弟子に冗談でヘッドロックをかける、新弟子はまわしが外れて局部が露出するなど「度の過ぎたふざけ」(実際には、新弟子の緊張を和らげるための行為であった)、若手のライバル北天佑の実弟富士昇(千代の富士と同じ九重部屋に所属した三段目力士、目に余る素行不良でいわゆる「かわいがり」を受けた)を稽古でリンチまがいにシゴき重傷を負わせたという疑惑富士昇本人が週刊文春2011年3月10日号(「北天佑弟元富士昇覚悟の衝撃告発!千代の富士、わが兄弟子は八百長で横綱になった」)で語ったところによれば、かわいがりの背景には兄の北天佑が千代の富士からの八百長の申し出を断ったことがあり、また千代の富士が別の弟子を執拗にいじめたことに我慢がならず千代の富士を殴ってしまったことがきっかけでリンチを受け引退に追い込まれたというが起きたこと、週刊誌などの大相撲八百長疑惑報道で名指しされたことなどで、やや人気が低迷した時期もある(高鐵山孝之進、板井圭介を参照)。 |
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1955年
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千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、本名:秋... |
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1974年
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幕下優勝:1回(場所) |
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つながりの強いひと
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秋元貢
2005年3月時点での情報です。
2005年03月14日 午後07:58 |by PRESSMAN トラックバック URL: トラックバック LIST: |
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千代の富士貢さんについてのひとこと紹介
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