| 千代大海の大関昇進により、若乃花と貴乃花に次ぐ新しい時代のヒーローとして期待された。 |
| しかし新大関の1999年3月場所は、初日から3連敗を喫するなど不調で星が伸びず、さらに10日目の武蔵丸との取り組み中に、武蔵丸の頭突きが鼻に当たって鼻骨を折ってしまい、鼻血を流しながらしばらく立ち上がれず、途中休場する羽目になってしまった。 |
| その後も怪我などでふるわない場所もあり、大関としてやや頼りなさを感じさせたが、2002年には優勝1回・同点1回とようやく大関として上を期待できるようになり、2004年前半まではそれなりに強い所を見せ、綱取りを期待される場所もあった。 |
| しかしながら、2004年3月場所に13勝を上げたのを最後に成績は低迷し、優勝争いどころか勝ち越すのがやっとという場所も多く、更に怪我も多くなって最大の武器である突っ張りもだんだん効かなくなっていった。 |
| 2005年この年は1月場所、5月場所、9月場所において角番となり、当時の史上最多記録に並ぶ8度目の角番大関となる。 |
| 7月場所には左膝側副靱帯損傷のため9日目から途中休場している。 |
| 2006年7月場所には大関在位45場所となり、元大関・北天佑を抜いて歴代単独2位となる。 |
| 7日目の露鵬戦では勝ったものの、勝負決着後の土俵下で露鵬とにらみ合い、口論となった。 |
| 千代大海は自ら北の湖理事長の所へ行き謝罪したものの、厳重注意を受けた。 |
| 2007年は存在感を見せた1年となった。 |
| 5月場所12日目にはこれまで相性の悪かった横綱朝青龍を押し出して勝利している。 |
| 7月場所では大関在位51場所となり、初代貴ノ花の持つ大関在位50場所の記録を抜き史上単独1位(当時)となった。 |
| 11月場所では破壊力の戻った突き押しを武器に、終盤まで優勝争いを展開するが、14日目に横綱白鵬と相星決戦を闘い敗れて、さらにこの一番で右肘を負傷、千秋楽を休場し、不戦敗となった時点で白鵬の優勝が決定となる。 |
| 又千代大海はこの11月場所で11勝4敗の好成績を挙げたが、2桁勝利はこれが最後となった。 |
| また、この右肘の怪我が、彼の力士生命を縮める結果となった。 |
| 2008年1月場所は前場所の右肘が殆ど回復していなかった影響により、初日からの皆勤7連敗を喫した(8日目以降は休場)。 |
| これは一場所15日制になってからは清國が1973年11月場所で初日からの皆勤6連敗(7日目以降は休場)を塗り替える大関ワースト記録である。 |
| 2008年5月場所は6日目から6連敗を喫し、11日目に白鵬に敗れ負け越し。 |
| 翌12日目に朝青龍を破ったものの最終的に5勝10敗に終わり、幕内では初の2桁敗戦を喫した。 |
| 7月場所は自身12度目の角番となったが、9勝6敗と勝ち越して角番脱出。 |
| 7月場所では前5月場所中に右肘の痛みが再発した影響もあってか、史上単独1位の12度目の角番となった。 |
| 2009年は1月場所こそ8勝7敗で辛くも勝ち越したものの、3月場所は2日目から6連敗し師匠の九重と休場を相談した。 |
| しかし、10日目に負け越しを喫した際に両親から15日間取り切るように進言され、皆勤を決意。 |
| 結局大関としては1988年9月場所の小錦ら5人の記録を更新する、皆勤場所最多敗となる13敗という不名誉な記録を残してしまった。 |
| また、千秋楽には自身が2008年3月場所から糖尿病を患い、2009年3月場所に症状が悪化したことを明らかにしている。 |
| 翌5月場所は史上最多13度目の角番を迎えることとなった。 |
| 2009年5月場所中の5月23日に本名を須藤龍二に改姓したことを発表した。 |
| 2009年の5月場所では、12日目で5勝7敗、更に左足太もも肉離れという絶望的な状況に追い込まれたが、その後大関琴光喜と魁皇、関脇把瑠都に対し3連勝をし、8勝7敗で13度目の角番を脱出した。 |
| しかし、角番を脱出した取組となった千秋楽の把瑠都戦が、故意によるものでは無いが「無気力相撲」に相当すると判断され、両者に対して師匠を通じ注意処分を受けた「大相撲夏場所:千秋楽、千代大海と把瑠都「無気力」監察委が「注意」」毎日新聞2009年5月30日東京朝刊。 |
| 翌7月場所は序盤から勝ち負けを繰り返し、14日目には魁皇に負け7勝7敗になるも、千秋楽に関脇鶴竜に勝って勝ち越したが、これが最後に勝ち越した場所となった。 |
| 2009年9月場所では10日目に負け越し、翌11日目より途中休場。 |
| 次の11月場所では史上最多を更新する14度目の角番を迎えることになった。 |
| その11月場所直前の2009年11月12日、千代大海は同場所で負け越して関脇に陥落した場合でも現役を続け、2010年1月場所に関脇の地位で6敗目を喫し大関復帰を果たせなかった時点で、現役引退する意向を表明した。 |
| その2009年11月場所では、初日に時天空を叩き込み、2日目も鶴竜を押し出して2連勝スタート(この鶴竜戦が現役最後の白星となった)するも3日目からは8連敗を喫する。 |
| 10日目の対朝青龍戦で立ち合い千代大海が先に突っ張るも、朝青龍の吊り出しにより敗北。 |
| 2場所連続負け越しとなり、65場所続いた大関の地位(当時歴代1位、現在魁皇と並び1位タイ)からついに関脇へ陥落が決まってしまった。 |
| 翌11日目からは前場所に続いて途中休場(不戦勝の相手は2場所連続で琴光喜であった)。 |
| 大関復帰のチャンスを生かすため、場所前に表明した意向を変えることなく、次の2010年1月場所は1999年1月場所以来11年ぶりの関脇で出場する事となった。 |
| なお2009年の幕内成績は30勝52敗8休で、同年幕内を6場所務めた力士の中では最低となり、また大関で年6場所務めて(公傷制度適用時を除く)の年間30勝もワーストタイの記録となってしまった。 |