| 1933年10月27日東京府(現東京都)生まれ。 |
| 小学1年の時に父茂を失う |
| 『総特集半村良SF伝奇ロマンそして……』河出書房新社KAWADE夢ムック文藝別冊(2007年4月)によったもの。 |
| 1942年から1945年まで能登に疎開。 |
| 東京都立両国高等学校を卒業後、連込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなど30近い職業を転々とした。 |
| 広告代理店に勤務していた時代にはニッポン放送と密接な関係を持ち、5代目月の家圓鏡(現8代目橘家圓蔵)をラジオパーソナリティとして発掘した。 |
| 1962年、短編小説『収穫』が第2回ハヤカワ・SFコンテストに入選(第3席)し作家デビュー。 |
| 「日本SF作家クラブ」の事務局長もつとめるが、1960年代は数編の短編を「SFマガジン」に発表するのみで、ほぼ沈黙していた。 |
| これには、自由な作品を書こうとする半村と、当時『SFマガジン』編集長だった福島正実との対立もあったという『KAWADE夢ムック半村良』P.23の清水義範の発言より。 |
| 1971年に刊行した『石の血脈』で「伝奇ロマン」や「伝奇SF小説」と呼ばれるジャンルを開拓。 |
| この作風は、後の作家たちに大きな影響を与えた。 |
| 以降、旺盛な執筆活動を行う。 |
| 自分の職業を「嘘屋」とよぶほどの「奇想ぶり」を発揮する一方で、下積み生活が長かったことを反映しての人情小説なども書いた。 |
| また『軍靴の響き』のような、再軍備に警鐘をならす小説も発表している。 |
| 財閥や政治家を巨悪として設定する物語が多く、『戦国自衛隊』末尾では痛烈きわまる皇室批判も語られる。 |
| 1975年、SF作家としては初めて直木賞を受賞したが、授賞対象となったのは人情小説『雨やどり』であった。 |
| 以降もSF小説の直木賞授賞作はない。 |
| 1984年から1987年まで北海道苫小牧市に居住。 |
| 1988年、人情物とSFとを融合させた作品『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞。 |
| 1994年には、雑誌連載が中断し未完だった『虚空王の秘宝』を完結させて刊行。 |
| 1995年には、単行本刊行が中断していた『妖星伝』を完結させる。 |
| だが、他にも『太陽の世界』シリーズなど、未完に終わった長編・シリーズが多数ある。 |
| 1998年、栃木県鹿沼市に移住河出書房刊行のムック「半村良」略年譜。 |
| 2001年、群馬県前橋市から、家族の住む東京・調布に戻る。 |
| 2002年3月4日、肺炎のため死去。 |
| ペンネームは、イーデス・ハンソン(良いです、半村)に由来するのではないかとよく言われるが、実際は薬品のネーミング法などをヒントに語呂の良いものを選んだのだという吉行淳之介『恐怖対談』(新潮文庫、1980年)には次のような会話がある。 |
| 吉行どうして半村なんていう不思議な苗字をつけたのですか。 |
| 半村自分でもよくわからないんですけど……だいたい店の女の子につけるような要領で、ラ行の多いやつを入れて、開口音で始まって……。 |
| 吉行バーの女の子は、呼びやすい名前をつけるわけですか。 |
| 半村呼びやすいというか、ラ行が入ると何となく色っぽいんじゃないでしょうか。 |
| たいして意味ないですね。 |
| ただ、ラ行をやたら入れる時期がひと頃あって……。 |
| このほか、馬主として、自身のペンネームをもじって命名したハーフェンダールという馬を持っていた事もある。 |
| 架空戦記の源流でもある『戦国自衛隊』は、1979年に映画化され、2005年にも『戦国自衛隊1549』としてリメイクされた。 |
| パスティーシュ小説で著名な清水義範は、学生時代に作った同人誌を通じて半村と文通が始まり、大学卒業時と同時に上京する際、半村を頼ったと述べている。 |
| 当時は半村は広告代理店を退社して専業作家し、大きくブレイクしようとした時期にあたった。 |
| その後も清水に目をかけ、死まで交友が続いた。 |
| 清水は、いくつかの自伝的作品で半村をモデルにした人物を登場させており、師匠と呼んでいる。 |
| 2005年、戦後の焼け跡・闇市時代を描いた著書『晴れた空』が祥伝社より、戦後60年特別出版として、再刊された。 |