| 半田の尊敬するボーカリストは尾崎紀世彦。 |
| 毎年恒例の仮面ライダー卒業式イベント(仮面ライダースーパーライブ)にて、当時19歳の半田は蝶ネクタイ・タキシードを着込み、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を熱唱して、観客の度肝を抜いた(通常は、演じた役のキャラクターソングを披露する)。 |
| 雑誌「団塊パンチ5号」誌上にて対談が実現した際、半田は持参した全アルバムを傍らに置き、尾崎さえも忘れていたアルバム収録曲をも引っ張り出してきて語った。 |
| その半田の尾崎フリークぶりは、尾崎に「俺より俺のことを知ってるんじゃない?」と言わしめた。 |
| 尾崎と半田は、2007年10月『カラオケ★バトル3』の番組内でカラオケ対決を行う。 |
| 曲目は「また逢う日まで」で、カラオケマシーンが採点した結果91対79で半田が勝利する。 |
| なお尾崎の点数が低かったのは、極端に原曲をアレンジして歌ったためである。 |
| 2004年2月『クイズ!ヘキサゴン』に出演。 |
| 歌謡曲の知識とポーカーフェイスを駆使して心理戦を制し、1度も×をつけられることなく、パーフェクト優勝を成し遂げた。 |
| なお、このころのクイズ!ヘキサゴンは現在、放送されている番組とは全くルールが違う。 |
| 昭和の名曲を後世に伝えたいという思いから「歌謡見聞録」と銘打ったライブを渋谷のクロコダイルで2006年7月から同年12月まで、月に1度のペースで開催。 |
| 毎回特集する作詞家・作曲家を決めて行った。 |
| 特集されたのは、なかにし礼・馬飼野俊一・馬飼野康二・千家和也・阿久悠・川口真・都倉俊一といった、昭和歌謡を代表する面々である。 |
| 2007年7月、「通(つう)」(NHK)にて、ますだおかだを相手に落ち着いた口調で持論を展開、東京放送管弦楽団によるピンク・レディー「サウスポー」のフルオーケストラ演奏を例に、歌謡曲は「楽器の数だけ楽しみがある」と熱く語り、その様子をVTRで観察し実況解説していた歌謡界の重鎮・阿久悠をも、「やるな、小僧!」「気にいった」と唸らせ、当初ヘッドホンで歌謡曲を聞くという半田に批判的だった阿久悠が「科学者の聴き方」であるとして持論を撤回するまでに至った。 |
| さらに、歌謡曲の歌詞の世界観や歌手の演出法、さらには歌謡曲の楽しみ方を語る半田のVTRを見て、「彼、本当に23(歳)ですか?」と言わしめた。 |
| これをきっかけに一度対面の予定が組まれたそうだが、阿久が急逝したため果たせなかった。 |
| 結局この番組が阿久悠にとって最後のテレビ出演となった。 |
| 亡くなった阿久悠を偲び2007年12月22日に「時代に生きた歌たち~Allsongfor悠~」と銘打った阿久悠追悼ライブを新橋のSOMEDAYで開催するほど「通(つう)」で評価された事に対し感銘を受けている。 |
| 『スタジオパークからこんにちは』でゲスト出演したとき、沢たまきの「初めての日のように」(作詞・なかにし礼、作曲・川口真)を熱唱。 |
| 当時の歌手を髣髴とさせるカメラ目線で、視聴者に衝撃を与えた。 |
| その歌謡曲等に対する熱心さと深い知識には、パーソナリティたちにも「同年代と話している気がする」とまで言わしめた。 |
| 2007年2月『夢ヶ丘レジデンス』(MUSICONTV)にゲスト出演した際、その場で「歌謡曲復興財団」を立ち上げ、番組MC中川翔子も歌謡曲好きなので財団に勧誘した。 |
| 2008年6月『中川ブロードウェイ・ストリート』ギガヲタバトルネ申降臨の番組内で中川ブロードウェイ城のギガヲタ戦士として究極のクイズバトルに挑み、昭和歌謡部門で勝ち抜き、見事「ネ申」の称号を手に入れた。 |
| なお、番組内の中川ブロードウェイ国は、ヲタクのワンダーランドでヲタク度が高ければ高いほどエラいという階級制度が敷かれており、最下層がムシュミ、次にヲタ、ギガヲタ、最高峰に君臨するのがネ申という設定になっている。 |
| 2007年3月、『草野キッド』内の「草野さんに受けさせたい授業」のコーナーで講師を務め、草野仁相手に高層ビルの歴史と歌謡曲の変遷をたどる「高層ビルで見る昭和歌謡史」の授業を行い、草野より5点満点中6点の評価をされる。 |
| また同番組の司会者で西新宿出身の浅草キッドの玉袋筋太郎と昭和40年代の西新宿話で盛り上がり、水道橋博士に「まるで同級生の会話」と言わしめた。 |
| 2008年7月放送の『ザ・クイズマン!』の昭和40年代・50年代の懐メロ特集で、当時のヒット曲にまつわる秘話などを披露。 |
| その詳しさに、当時を知る同じゲストの錦野旦(にしきのあきら、1970年デビュー)や司会の関根勤らは驚嘆し、「君、ほんとは歳いくつ?」と聞いていた。 |
| 昭和時代への傾倒が高じて大阪万博に関心を持った半田は、万博会場特有の空気を体感するために、仕事の合間を縫って愛知万博に7回訪れた。 |
| 大阪万博当時の雰囲気を少しでも知るために、万博跡地に出向き、当時の会場の地図を片手に歩いて回った。 |
| 昭和歌謡にはまるきっかけになったのは、小学生時代に聞いた渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』と自ら述べている。 |