| 地元福岡では未だに彼らのことを改名前の「鶴屋華丸・亀屋大吉」と言う人が多く、現在の芸名がなかなか浸透していないのが現実であり、「博多華丸・大吉」と名乗る彼らを「博多大丸」(福岡の有名デパート)と勘違いする人も多い。 |
| R-1優勝者の発表の直後、華丸は「博多のみんな、やったばい!!」とガッツポーズ。 |
| 続けて「児玉さんに何てお礼を言ったらいいか…」と児玉清に感謝の意を述べた。 |
| 優勝後の会見で、「児玉さんがこんなに浸透しているなんて。 |
| 皆さんのおかげです」と再び児玉に感謝の弁。 |
| 司会の宮迫博之に「優勝賞金500万円のうち450万円くらいは児玉さんにあげなあかん」と言われると、うなずきながらも「賞金はネタを一緒に考えてくれた相方と分けます。 |
| 残りは中洲でボンバーします!!」と発言。 |
| 相方の大吉は「嬉しい。 |
| けれど、賞金はもらえない」、2人で「次はコンビで上方お笑い大賞を狙います」と大きな夢を語る。 |
| 後日別の番組で華丸が「2人で半額に分けることを提案したが大吉から却下され、『(華丸の)嫁にあげればいい』と言われた」と語った。 |
| なお、同番組で大吉は、華丸が賞金をもらえないのはかわいそうなのでこの250万円は相方のために使うと語っていた。 |
| ビートたけしに対する憧れが強く、本当は吉本興業よりむしろオフィス北野に入りたかったが、福岡吉本ができたために、吉本入りすることにした。 |
| たけしとは、「たけしの誰でもピカソ(テレビ東京系)」で初共演した。 |
| 「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝し感想を聞かれた時は、児玉のモノマネで「大変結構でございます」と答えた。 |
| 2006年2月、東京MXテレビ『談志・陳平の言いたい放だい』で漫才を披露し、立川談志にその芸を誉められる。 |
| 2006年4月、コンビでTBS系『アッコにおまかせ!』に出演した際、オープニングで和田アキ子に「何かネタやって」と言われた時、華丸はすかさず児玉のものまねをしたが、和田アキ子には理解されず「これ本当に似とんの?」と言われ、疑われてしまった。 |
| 2006年4月16日放送の『あっぱれ!!さんま大教授(第59話)』(フジテレビ)にブラックマヨネーズと共にコンビで出演した際、華丸の「児玉清さん御本人が自分のネタのことをどう思っているか気になる」という話から番組スタッフが児玉の元へ取材に行き、華丸が演じる自身のモノマネ芸のVTRを見せて感想を求めるという企画を放映した。 |
| この時の取材が、児玉自身が華丸の芸を初めて目にする機会でもあった。 |
| VTRで華丸のネタを視聴した児玉は少し戸惑いながらも「モノマネをしてくれてありがとう」と礼を言い、「でも僕は絶対左手では“アタックチャンス”はやりません、必ず右手です」と華丸の芸の間違いを指摘した(なお、これは間違いではなく、「本物である児玉さんが右手でやっているのに、真似をしている自分が右手でやるのは恐れ多い」という気持ちから行っていることである)。 |
| 2006年5月7日放送の『R-1・2006リターンズ』(関西テレビ、全国ネット)で児玉から華丸あてのビデオメッセージが披露された。 |
| 児玉によると「僕は正直似ているとは思っていないんだけれども、まわりは似ていると言ってくれている。 |
| これは僕が素晴らしいのではなく華丸さんの芸が素晴らしいのであって、感嘆しております」と最大級の賛辞を贈り、最後に「博多華丸さんに、アタックチャンス!」と特別なアタックチャンスを披露した。 |
| 2006年7月5日TBS「はなまるマーケット」に出演した時点で、それまで華丸は児玉と直接会っていなかったが、9月3日放送の朝日放送パネルクイズアタック25「芸能人大会」で華丸・大吉のペアでクイズに挑戦した。 |
| 東京に渡り、知名度・人気共急上昇した現在もなお福岡ローカル番組への出演を続けており、毎週必ず生放送や収録のため福岡に戻っているが、近年は3カ月分貯め撮りすることもあるという。 |
| しかし、大吉が自身が司会であるテレビ西日本のDRAGONGATE龍の扉に出演する程度で、福岡ローカル番組への出演が減って来ており、TNCのピィース!の人気コーナーである『華大東京化計画』や『サラリーマン華太郎の中洲ぶらぶらでよかろうもん』は2006年9月以降放送されていなかった(『サラリーマン華太郎の〜』は2006年12月から不定期ながら放送されている)。 |
| 前述の通り、華丸は福岡ソフトバンクホークスの大ファンだが、2006年はなぜか彼が球場で試合を観戦すると負けてしまうというありがたくないジンクスが出来てしまった。 |
| これはあくまでも2006年に限ったことであり、以前TVQスーパースタジアムの副音声に出演していた頃は勝率が良かった。 |
| レギュラー番組であるTNCのピィース!のコーナー『華大東京化計画』において、コンビ結成秘話を語りつつ当時よく通った店などを巡るという企画を行い、当時大吉が住んでいたアパートの近くにケン坊田中が住んでおり、よく大吉のところに遊びに来ていたらしく(当時ケン坊は実家で暮らしており、大吉の部屋にちょっとした家出的な形で遊びに来ていたという)福岡吉本のオーディションを知ったのも、ケン坊に聞いて知ったと告白している。 |
| 二人は「サングラスが来たらどうする?」などと、タモリに迎えられることを期待してしまった。 |
| が、実際に待っていたのは福岡吉本の同期でもあるカンニング竹山であった。 |
| 「テレビ西日本の番組にタモリさんが出るわけないだろ!TNCの局にタモリさんが来たとき、スタッフの目つきが変わったこと、お前らも知ってるだろ!」とは竹山の弁。 |
| タカアンドトシやチュートリアル、麒麟が多忙で学園祭に出られなかった分の仕事が回ってきた「棚ぼたのようなもの」らしい11月18日の「ナイトシャッフル」での発言より。 |
| 福岡吉本出身の華丸・大吉は、札幌吉本出身のタカアンドトシと何かにつけ比較され、共通点も多い。 |
| 華丸・大吉も、吉本興業福岡事務所開設時のオーディションにより、91年にデビューし、瞬く間に福岡吉本を代表する売れっ子芸人となった。 |
| タカアンドトシは、後輩のBコース、アップダウンらが次々と東京に進出する中、2001年にようやく活躍の場を東京に移し、2006年前後から「○○か!」のツッコミで、全国区でブレークした。 |
| 華丸・大吉も東京進出では同期のカンニング竹山や後輩のヒロシ、バッドボーイズらに先を越されたが、2005年にようやく上京し、とりわけ華丸が児玉清のモノマネを武器に、2005年にとんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜で優勝したことや、2006年の『R-1ぐらんぷり』で優勝したことにより、コンビ揃ってテレビに出る機会も爆発的に増え、一躍全国区の人気者となった。 |
| 華丸・大吉の大吉も、交際して11年の彼女がいることを2007年1月のテレビ番組出演時に公表、結局2007年11月18日に結婚した。 |
| トシも2010年5月23日に結婚している。 |