| スペインのマドリッド郊外、ハラマで迎えた最終戦、FIMGPでは、急遽代替開催としてカレンダーに組み込まれたにも関わらず、近年のシーズンにしては、珍しく、客席が空席なく埋まるほどの大観衆でレースは開催された。 |
| 原田がタイトルを獲得するには、たとえ最終戦で優勝しても、チーム・ピレリのカピロッシが4位以下でチェッカーを受けなければ、タイトル獲得は成らないという非常に厳しい中での最終戦だった。 |
| カピロッシのマシンはホンダ・NSR250。 |
| 対する原田はワークスマシンとはいえ、直線スピードの劣るヤマハ・TZ250Mで、周囲の目はカピロッシ断然優位と見られていた。 |
| 序盤、レースはチェスターフィールド・アプリリアのジャン・フィリップ・ルジアが優位にレースを進め、単独トップに躍り出ていた。 |
| この年のルジアは非常に安定しており、リタイアする場合はマシントラブルでのリタイアだけだった。 |
| しかし、この時の最終戦に限り、ルジアはフロントからスリップダウン。 |
| 自らの責任による転倒を喫してしまい、リタイアとなってしまう。 |
| 代わって、トップに躍り出たのは、同じく、アプリリアのロリス・レジアーニ、2位にロスマンズ・カネモト・ホンダのマックス・ビアッジ、3位争いをカピロッシと原田で争っていた。 |
| 原田の後ろを走っていれさえすれば、タイトル獲得決定のカピロッシではあったが、カピロッシはそれをよしとせず、果敢に原田を攻め、表彰台に上がってのタイトル獲得を目指していた。 |
| 原田のTZ-Mはストレートでは何度かカピロッシのNSRに並びかけるものの、直線でカピロッシのNSRをかわすことはできなかった。 |
| ようやくカピロッシをかわし、3位に踊り出ると、ここから、奇跡とも言えるドラマが始まった。 |
| 原田にパスされたことで、焦りを感じたカピロッシがコースを大きくオーバーラン。 |
| 転倒こそ免れたものの、原田から大きく離されてしまう。 |
| 原田がタイトルを獲得するには優勝しなければならず、これだけでは、カピロッシの優位は動かなかった。 |
| 原田は前を行く、ビアッジとレジアーニのトップ争いに加わり、まずは、ビアッジをパス。 |
| そして、トップをいくレジアーニを捕らえ、トップに踊り出るものの、レジアーニもやすやすとは前を行かせてはくれず、1コーナーで原田を再びパス。 |
| 1コーナーでパスされた原田であったが、負けじと2コーナーで再び、レジアーニをパスして、後続を引き離しにかかった。 |
| これ以上、原田に関わるのは危険とレジアーニは原田を深追いすることはせず、2位キープにまわった。 |
| 最終ラップ前、コントロールタワーをトップで通過していくのは原田、レジアーニ、ビアッジという順位で4番手に立っていたのは、地元スペインのアルベルト・プーチだった。 |
| カピロッシはプーチにも抜かれ、5番手に甘んじていた。 |
| 最終ラップ、原田のマシンは時折振られるものの、無難にコーナーを立ち上がり、見事最終戦を優勝で飾り、1度は逃げかかっていたワールドタイトルをその手に引き寄せた。 |
| この優勝は単なるシーズン通算4勝目の優勝ではなく、日本人ワールドチャンピオン誕生の瞬間をも意味する優勝であった。 |
| 1961年にホンダの高橋国光がホッケンハイム・リンクでの西ドイツGP・250ccクラスで優勝してから、16年後の1977年、片山敬済が350ccクラスで日本人初のワールドチャンピオン。 |
| 更に16年後の1993年、前年の全日本チャンピオンがシリーズチャンピオン、ワールドチャンピオンに輝いた。 |
| このときの模様は地上波ではテレビ大阪(TVO)の千年屋俊幸が、BS放送ではWOWOWの柄沢晃弘(解説・八代俊二)が現地から実況を担当し、日本の茶の間にレースの模様を伝え、WOWOWの放送センター内では現地からの生中継で一部のファンに公開された。 |
| (このとき、TVOのブースとWOWOWのブースが隣同士だったため、WOWOWの音声に千年屋の音声が飛び込むハプニングも発生した)。 |
| チェッカーを受けた後も原田本人はチャンピオンを獲得した事は知らず、大喜びするスタッフを見て「何でそんなに喜んでいるのかな?」と思ったらしい。 |
| ピットに帰ってきてようやくチャンピオンになった事を知らされた。 |
| レース後の記者会見でも「タイトルのことは頭になく、とにかく、レースに勝つことだけに集中してました。 |
| ピットに帰ってきて、みんなが大騒ぎしていて、タイトルが獲れたと聞いて驚いてます。 |
| 」と語っていた。 |
| イタリアのプレスからはレジアーニにも質問が向けられ、「君が原田を抑えれば、カピロッシがタイトルを獲れたではないか?」との質問に対し、レジアーニは「今日の原田はとても速かった。 |
| だから、今日の原田は誰にも抜けなかったんだ。 |
| 表彰台での原田を迎えたのは、あまりにドラマチックなレースに酔いしれた大観衆の歓声だった。 |
| 大観衆は東洋から来た小さな若者をスタンドが震えんばかりの「オーレ」の大合唱で迎え、歓喜の大歓声がハラマの空にこだました。 |
| このときの映像はWOWOWの93年シーズン総集編で放映された。 |