| 1916年(大正6年)に神戸第一中学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)入学後は、「史記」「水滸伝」「西遊記」「三国志」などの訳書に親しんだ。 |
| 1920年(大正9年)、第三高等学校文科甲類へ進み、雑誌『支那学』の同人だった青木正児の知遇を得、また中国語を学び、1923年(同12年)、大学進学の休みに中国江南を旅した。 |
| 中国へ傾いたのには、芥川龍之介や佐藤春夫の影響もあった。 |
| 大学は京都帝国大学文学部文学科、狩野直喜・鈴木虎雄に考証学・中国語学・中国文学を学んだ。 |
| 1926年(大正15年)卒業論文『倚声通論』を漢文で書き、大学院に残って唐詩を研究した。 |
| 1928年(昭和3年)から1931年(同6年)まで、先輩格の倉石武四郎と北京に留学し、帰国後東方文化学院京都研究所(後の東方文化研究所、現在の京都大学人文科学研究所)所員となり、京大文学部の講師を兼ねた。 |
| この頃『中国』に徹するため、倉石とともに、中国服で暮らし中国語で会話し中国語で論文を書いた。 |
| 孔子を尊敬し、儒者として処世した。 |
| 字(あざな)に『善之』を用いた。 |
| 1932年(昭和7年)中村ノブと結婚し左京区に住んだ。 |
| 愛煙家で酒徒でもあった。 |
| 1935年(昭和10年)から1941年まで倉石・小川環樹らと、孔穎達著『尚書正義』(尚書の注釈書)の定本を作るための会読を続け、1939年から1945年にかけて東方文化研究所から発行された『尚書正義定本』や、1940年から1948年にかけて岩波書店より発行された『尚書正義』の日本語訳などに実った。 |
| 1939年から1947年まで、最初は青木正児が指導して『元曲辞典』編纂のため、明の臧懋循(そうぼじゅん)の『元曲選』を会読し、その成果の一部は、1951年・1976年・1977年に京大人文科学研究所より発行された『元曲選釈』に実った。 |
| この頃から、日本語の論文を発表し、一般向けの啓蒙書も書いた。 |
| 1947年『元雑劇研究』により文学博士号を得、同年京都大学に移って文学部教授となった。 |
| 先任に倉石武四郎がいた。 |
| 1949年母校旧制神戸一中の後身、兵庫県立神戸高等学校の校歌『わこうどはまなびやをたかきにぞおけ』を作詞。 |
| 初の日本語の詩であった『決定版吉川幸次郎全集27』p.412。 |
| 1951年日本学術会議会員になった(1963年まで)。 |
| NHKラジオの文化講座で、『中国の文学』を講義した。 |
| 1952年国語審議会委員になった(1956年まで)。 |
| サンフランシスコ平和条約締結後の1954年国務省に招かれ、アメリカに遊んだ。 |
| 1956年京都大学文学部長(1958年まで)。 |
| 1958年NHKの教養大学で、『中国文学入門-詩を中心として』を講義。 |
| 1959年日本中国学会理事長(1963年まで)。 |
| 1960年モスクワの『国際東洋学者会議』に参加し、ヨーロッパを回った。 |
| 1962年コロンビア大学の客員教授として約4ヶ月ニューヨークに滞在した。 |
| 1964年日本芸術院会員、1966年東方学会理事長(1975年から没年まで会長)。 |
| 1966年NHKラジオで『論語』を講義した新版で、『「論語」の話』、ちくま学芸文庫(2008)。 |
| 1967年『杜甫の詩論と詩』を最終講義として京大を停年退官、名誉教授。 |
| 杜甫に取り組み、杜詩を読む『読杜会』と学生相手の『小読杜会』とを始めた(ともに1979年まで)。 |
| 前者には足利惇氏、大山定一、野間光辰らが集った。 |
| 1968年から1970年に、『吉川幸次郎全集』を自ら編み刊行。 |
| 1969年文化功労者、フランス学士院からスラニスラス・ジュリアン(StanislasJulien)賞を贈られ、1970年NHK放送文化賞。 |
| 本居宣長には、「漢文は中国の発音で読み下すべき」とする信条の先覚として、戦前から私淑していた。 |
| 1974年勲二等旭日重光章。 |
| 1975年外務省の学術文化訪中使節団団長として40年ぶりに訪中した。 |
| 1977年より杜甫全詩の訳注を目指し、『杜甫詩注』を刊行開始。 |
| 翌年NHK教育テレビで『杜甫詩抄』を26回講義した。 |
| 1979年にも、中国文学研究者訪華団団長として3週間中国を巡った。 |
| その4ヶ月余り後、胃を一部切除の手術。 |
| 1980年2月に『杜甫私記』を刊行、4月8日、癌性腹膜炎により没す。 |
| 法名「文徳院釈幸善」。 |
| 大谷本廟での葬儀・同墓地に埋葬された。 |
| 没後従三位・勲一等瑞宝章が授与。 |
| コロンビア大学でも追悼会を催した。 |
| 教え子に竹之内静雄竹之内(1913-97年)は、筑摩書房役員で、故に創業当初より、訳注・著作や「全集」を編集刊行した。 |
| また著作に、回想・伝記集で『先師先人』、『先知先哲』(各.新潮社のち講談社文芸文庫)がある。 |
| 、黒川洋一、竹内実、入谷仙介、清水茂、高橋和巳、一海知義、筧久美子、筧文生、興膳宏、村上哲見、井波律子ら多数がいる。 |
| 実子吉川忠夫は、著名な中世中国史(魏晋南北朝・六朝期)学者で、東方学会第10代会長(2009年より)である。 |
| 蔵書の一部は、生まれ故郷の神戸市立中央図書館に寄贈され「吉川文庫」として所蔵されている。 |
| 蔵書目録『吉川文庫漢籍目録』神戸市立中央図書館編、1985年 、『吉川文庫洋書目録』神戸市立中央図書館編、1988年。 |