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つながりの強いひと
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山田守(やまだまもる、1894年4月19日-1966年6月13日)は日本の建築家。逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的... |
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南一誠 新曲 「愛を眠らせて」
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磯崎新(いそざきあらた、1931年(昭和6年)7月23日-)は日本の建築家で、ポストモダンの代表的な建築家。建築設計活動のみならず活発な評論活動、芸術文化活... |
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プロフィール
吉田鉄郎(よしだてつろう1894年5月18日-1956年9月8日)は日本の建築家。庭園研究家としても知られる。逓信建築の先駆者のひとり、多くのモダニズム建築を設計した。
来歴
| 富山県東砺波郡福野町に郵便局長を務める五島寛平の3男として生まれる。 |
| 中学卒業後は美術学校への進学を志望したが、兄の反対に遭い断念。 |
| 旧制四高を経て、1919年東京帝国大学建築学科を卒業。 |
| 逓信省営繕課に入った。 |
| 同年吉田芳枝と結婚。 |
| 以後吉田姓となる。 |
| 逓信省には同時期に山田守らの俊英が在籍していた。 |
| 初期はドイツ表現主義やエストベリなど北欧建築の影響を受け、後にモダニズム建築の傑作を生み出した。 |
| ブルーノ・タウトが来日した際は桂離宮など各地を案内した。 |
| タウトは吉田の設計した東京中央郵便局を、モダニズムの傑作と讃えた。 |
| 第二次世界大戦中は、逓信省を辞して一時故郷に戻ったが、終戦後に上京。 |
| 1921年、日本大学教授に就任した。 |
| 1949年、病気のため、辞任。 |
| 脳腫瘍に侵され寝たきり状態の中、『DerjapanischeGarten』『スウェーデンの建築家』などを口述で著した。 |
| 1953年、著書「日本の建築」で日本建築学会賞を受賞。 |
| これらの吉田の著作はドイツで出版され、日本の建築を欧米諸国に伝える一助となった。 |
| ドアノブに触れないほど神経質であり、常に消毒液を持ち歩いていたという。 |
主な仕事
| 旧・福野郵便局の離れ(1923年)。 |
| 旧山田郵便局電話分室(1923年)。 |
| 京都中央電話局上京分局(1924年) 現・カーニバル・タイムズ。 |
| 京都中央電話局(1926年) 現・新風館。 |
| 検見川無線送信所(1926年)。 |
| 別府市公会堂(1928年、別府市指定文化財) 現・別府市中央公民館。 |
| 別府郵便局電話事務室(1928年、登録有形文化財) 現・別府市児童館。 |
| 馬場邸(1928年) 現・最高裁判所長官公邸。 |
| 東京中央郵便局(1931年)。 |
| 八戸エ郵便局電話事務室(1934年)現存せず。 |
| 仙台逓信診療所(1935年)現存せず。 |
| 旧京都中央電話局下分局(1935年)。 |
| 馬場烏山別邸(1937年) 現・第一生命グラウンド光風亭。 |
| 大阪中央郵便局(1939年)。 |
| 馬場熱海別邸(1940年)。 |
| 北陸銀行新潟支店(1950年)現存せず。 |
著作
| 『''DasJapanischeWohnhaus''』(1935年)日本の住宅。 |
| 『''JapanescheArchitektur''』(1952年) 日本の建築。 |
| 『''DerjapanischeGarten''』(1957年) 日本の庭園。 |
| 『スウェーデンの建築家』(1957年)。 |
| 20世紀建築の傑作ストックホルム市庁舎(ラグナル・エストベリ設計)を中心に述べたもの。 |
| category:日本の建築家。 |
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