| アマチュアプロレス団体最大手であるJWA関西の門を叩き修行。 |
| そのスピードと真面目で熱心な取り組みで将来を期待される選手であった。 |
| 後輩にはDDTプロレスリングに所属する柿本大地などがいる。 |
| 大学入学後も勉強熱心であったが、プロレスの夢を捨てられず親や周囲の反対を押し切り中退、メキシコへ渡航。 |
| 闘龍門7期生として入門した後、2000年9月2日、メキシコでの伊藤透(現:大鷲透)戦でプロレスデビュー。 |
| T2Pメンバーの中核「イタリアン・コネクション」の一員としてC-MAXと抗争を繰り広げる。 |
| デビュー当時はターザンをモチーフにしたキャラクターでトップコーナーに上がり、雄たけびをあげるパフォーマンスをしていた。 |
| 後にミラノコレクションA.T.に誘われてイタリアン・コネクション入り。 |
| リングネームをイタリアっぽくするために「YOSSINO(ヨッシーノ)」に変更(命名者はミラノ)。 |
| ギミックがイタリアン・ターザンとなった。 |
| このころウルティモ・ドラゴンにパートナーに抜擢され第1回ディファカップに(2003年2月8日・9日)で優勝。 |
| 他団体のファンにもそのスピードテクニックを魅せつける大会になった。 |
| 端正な顔に似合う長髪と、団体一と称されたスピードを持ち、多くの女性ファンの心を釘付けにした。 |
| そしてK-ness.と共に、DRAGONGATE中軽量級の活性化を図るためにオープン・ザ・ブレイブゲート王座を創設。 |
| 決勝で土井成樹に敗退するも、後に語られる一戦を繰り広げた。 |
| 2005年、イタコネ解散に伴いリングネームを本名に戻し、髪を短髪にしてBlood Generationに加入(加入前に、コスチュームの新調および美容院の予約等CIMAに確信犯と言われる)。 |
| 同じくBloodのメンバーであるCIMA、マグニチュード岸和田とオープン・ザ・トライアングル・ゲート王座を奪取。 |
| 2006年自身の創設したオープン・ザ・ブレイブゲートに挑戦表明。 |
| 2月5日に博多スターレーン大会で現王者のドラゴン・キッドに挑むも両者セコンドの乱入によりノーコンテスト、ベルトはコミッショナー預かりとなった。 |
| そして3月19日に行われたブレイブゲート王者決定トーナメントで優勝し、第3代オープン・ザ・ブレイブゲート王者に君臨した。 |
| その後、Blood Generationの分裂の際に造反組に回り、そのままマッスル・アウトローズの一員となった。 |
| 2007年からは主にかつてのライバル、土井成樹とタッグ(通称「土井吉」)を組み活躍。 |
| スーパーパワーボムやダブルインパクトなどの好連携を見せる。 |
| 2007年8月に行われたタッグリーグでは土井吉の2人が優勝を収め、獲得した賞金でオープン・ザ・ツインゲートを創設。 |
| 同年10月に当時IJタッグ選手権王者であった新井健一郎、岩佐拓とベルトの統一戦を行い勝利、同王座の初代王者となった。 |
| さらには同年11月24日、土井と共にプロレスリング・ノアのGHCジュニアヘビー級タッグ王座のベルト奪取に成功する。 |
| また、シングルプレーヤーとしても2007年9月22日の大田区体育館大会においてブレイブゲート王座を再び獲得。 |
| そこから2008年4月まで同王座を防衛し続け、ブレイブゲートの最多防衛記録を更新した。 |
| 2008年5月5日、土井成樹とともにマッスル・アウトローズを脱退。 |
| 新ユニット結成を宣言する。 |
| 5月14日にはB×Bハルク、更に谷嵜なおき、m.c.KZ.がユニットに加入した。 |
| 5月31日の神戸大会にて新ユニット名が『WORLD-1』と発表された。 |
| 6月29日の大阪大会にて、Gammaが保持していたオープン・ザ・ガンマゲートをDr.マッスルに変装して奪取。 |
| 試合当初は、まるでストーカー市川がDr.マッスルに扮しているような、市川の独特のムーヴを披露したが、一瞬のスキを突いて、トルベジーノからの横十字固めでフォール。 |
| オープン・ザ・ブレイブゲートに名称を戻し、同王座をコミッショナー預かりとした。 |
| 2008年10月、再びオープン・ザ・ブレイブゲートを獲得したが(同王座最多となる3度目の戴冠)、3月の両国国技館での選手権試合でCIMAに敗れ、ベルトを失った。 |
| その後、土井の保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦を表明する。 |
| その後、Gammaとの挑戦者決定戦に勝利して後楽園ホールで土井との3度目となるシングルマッチを行ったが、奪取することはできなかった。 |
| 2009年に、WORLD-1初の自主興行の際、ジョンソン・フロリダに「イタリアのターザン」とYOSSINO復活という無理難題を押し付けられてしまい、始めは頑に拒否していたが、興行当日に特注のカツラを着用したYOSSINOとして登場した。 |
| ただし、「YOSSINOは一度封印したキャラだから」と一夜限りの復活であると念押しした。 |
| 12月27日のマスカラ・コントラ・カベジェラ金網マッチで金網から旗を取ろうとしたものの谷嵜なおきが対REAL HAZARD用にテープでグルグル巻きにした旗を取ろうとしてしまい、最後まで残ってしまう。 |
| そして丸坊主となってしまい、号泣した。 |
| 2010年7月11日、DRAGONGATE年間最大のビッグマッチ、ワールド記念ホール大会でYAMATOを30分を超える激闘の末、ソル・ナシエンテ改で下し、デビュー10年で初めてのドリームゲート王者となった。 |
| 8月14日には長らく大阪プロレスのタイガースマスクに流出していたブレイブゲートを取り戻し通算4度目の戴冠となったが即返上(昨年の土井成樹に続いて一時的に2人目のシングル2冠となった)。 |