| 2000年9月、妊娠発覚と同時に子宮頸癌が発見される。 |
| 妊娠16週(妊娠5ヶ月)の時に妊娠継続をあきらめ、同年11月21日広汎子宮全摘出手術を受ける。 |
| 同年12月19日、病状報告会見を行い定期検診の大切さを涙ながらに訴え一躍時の人となる。 |
| この闘病は著書『16週あなたといた幸せな時間』(扶桑社2001年)に詳しく、その内容は同題で漫画家折原みとによりコミック化された。 |
| さらに2002年3月8日、『16週〜あなたといた幸せな時間〜』(フジテレビ)としてドラマ化され、向井亜紀役を松下由樹、夫・高田延彦役を加勢大周が演じた。 |
| 2002年8月、「(夫である)高田の優秀な遺伝子を残したい」との理由で代理出産依頼のためアメリカ合衆国・ネバダ州へ渡る。 |
| この8月、同年12月と2度、体外受精による胚を代理母サンドラの子宮に移植し着床を試みるが失敗。 |
| 自身のHPで「放射線治療の影響もあり卵子の質が落ちているらしい。 |
| 第三者による卵子提供についても勉強をはじめようと思う」と胸のうちを綴る。 |
| 自身の著書(後述の『会いたかった』)でも、ネバダ州の担当医師から提供卵を用いることを打診された経緯を説明している。 |
| 翌年2003年、新薬による成果で「奇跡的に」卵子が3つ採卵できた。 |
| 高田延彦の精子と体外受精を行い、胚を代理母シンディの胎内に移植したところ、2つの胚が着床に至った。 |
| 同年11月、代理母シンディの帝王切開出産により、双子の男児を得る。 |
| この経緯は著書『プロポーズ私たちの子供を産んでください』(マガジンハウス2002年)『会いたかった』(幻冬舎2003年)として発表された。 |
| 映像メディアでは一人目の代理母サンドラとの出会いから代理母シンディの帝王切開による出産まで密着取材がなされ、ドキュメンタリー番組としてテレビ放映された。 |
| 向井亜紀による代理出産依頼の経緯は、2004年1月に発表されたジャーナリスト・大野和基による代理母シンディの2004年1月のインタビュー記事でも発表されている。 |
| 内容はリンク先を参照のこと。 |
| 代理母シンディは、向井亜紀の双子を出産してから3年後、「女性自身」2007年1月16・23日合併号でもインタビューに答え、そこで再び日本人夫婦のために代理母になると明らかにした。 |
| 2009年に国会議員の野田聖子が医療視察のため向井亜紀と同じ不妊クリニックを訪れた際、シンディに会った。 |
| その際に向井亜紀の後も代理出産を続け、代理出産による妊娠で子宮破裂を起こし子宮を摘出したことが判明した。 |
| 2004年1月15日、都内ホテルにて代理出産による双子誕生の報告会見を夫妻揃って行う。 |
| 双子の実名も発表(記者会見の時点で2人の子供は、米国国籍を持ち、パスポートを取得して日本入り)。 |
| 子供たちの戸籍に関しての質問に対して、向井は「アメリカ人であろうが、日本人であろうが、実の親子であろうが、養子であろうが、自分たちが親子であればそれでいい。 |
| 紙の上のことは後付けでいい。 |
| 本当の家族であることに変わりない」と宣言し、父親である高田も「(法改正に)頑張ろうという気持ちはない。 |
| 今あることが僕たちの家族のスタイル」と答えた。 |
| 2004年1月22日、夫妻揃って東京都品川区役所に双子の出生届を提出。 |
| 届は出産していない向井を「母親」とする「実子」とするもので、分娩者を母親とする日本の戸籍法の解釈から区役所側は法務省に判断を仰ぐとしてこの日は書類を受理せず、「預かり」の形となった。 |
| これに関し、向井は「すべてを(役所の)対応にまかせます。 |
| 2人がすくすく育ってくれれば、(国籍や戸籍上の関係が)どうなろうと、家族が同じ地球の上に一緒にいることには変わりない」とインタビューに答えた。 |
| また子供たちの国籍の取得に関しても「日本国籍を留保する」ことを選び、その理由として高田は「日本人の父または母の下に生まれた子供にある国籍の選択権を子供たちにまかせられるようにした」と説明した。 |
| 向井も「海外で子供を産んで、アメリカ国籍を子供にプレゼントするのも案外流行していますから」と付け加えた。 |
| 2004年6月、双子の出生届は不受理に。 |
| 法務省は「日本では産んだ女性が母親。 |
| 向井さんを母とは認められない」と指摘。 |
| しかし、「日本国籍は認める。 |
| 養子とする方法もある」などとして、子供の国籍は認め、かつ子を養子に入れることを勧め、向井らに出生の経過についての書類の提出を求めた。 |
| 向井は5月13日に更新した自身のHPにおいて「担当官に今日も面談を拒否され、どんどん省庁不信になっていく今日このごろです。 |
| またまたひっどい発言があった」「いつか法務省とのやり取りを実名入りで詳しくまとめて自費出版します。 |
| 」などと不信感を露わにした。 |
| 法務省とのやりとりは、『家族未満』(小学館2007年)で詳細な内容が明らかにされている。 |
| 向井・高田夫妻は出生届不受理決定を不服とし、東京家裁へ処分取り消しを申し立てる(東京家庭裁判所平成17年(家)第844号市町村長の処分に対する不服申立事件)が、翌年2005年11月、東京家裁は申し立てを却下。 |
| 向井側が東京高裁に即時抗告した(東京高等裁判所平成18年(ラ)第27号市町村長の処分に対する不服申立却下審判に対する抗告事件)。 |
| この理由について向井は自身のHPで「実母として認めてほしいとは言っていない。 |
| 子供たちに説明できる納得のいく(不受理の)理由を教えてほしいだけだ。 |
| 」と語っている。 |
| 2004年7月25日、「妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会」の依頼で都内で講演。 |
| これを取材したTBSは深夜のニュースと翌7月26日早朝の『ウォッチ!』の中で計3回にわたって報道、講演内で向井が発言した「産みの親より育ての親」「分娩しただけの人が親といえるでしょうか」というコメントを取り上げた。 |
| オンエア後、この発言に批判が寄せられたため、向井は自身のホームページで「(発言は)前後の脈絡をまったく無視した編集によるもの」と説明、TBS側に抗議。 |
| 同年7月27日づけ、自身のHPのダイアリーで、謝罪に訪れたTBS記者、その上司である部長の実名もHPで公表。 |
| この出来事に傷ついたとして同年8月2日、HPの休止を宣言したが、その後も数回にわたり書き込みの追加・更新を行う。 |
| 2004年8月、講演内容を真意とは違う意味にとれるように編集し放送され精神的ダメージを受けたとして、TBSに謝罪などを求めて東京地方裁判所に名誉毀損に基づく損害賠償請求を提訴したが、2005年12月27日、同裁判所はこの請求を棄却、向井側の一審敗訴となった。 |
| 2005年9月、新しく公式サイトとしてブログを立ち上げる。 |
| 2006年9月29日、東京高等裁判所(東京高裁)は「子供の福祉の観点」「米国の確定裁判を承認すべき」との理由により、品川区役所に出生届受理命令の判断を下す |
| 同日、向井はこの判決について「区側が上告する可能性もあります」としながらも「嬉しい」との素直な気持ちを告白。 |
| 2006年10月6日、法務省は、上記東京高裁の判断について「我が国の従来の考え方と異なり、問題が残っている」「(法解釈では)出産した女性を母親とする」「議論を深める必要がある問題だ」として最高裁判所の判断が必要と不服申し立てをするよう品川区役所に指示。 |
| 同月10日、品川区役所によって、高等裁判所の判例において判例違反及び法令解釈上、非常に重要な問題が含まれている場合に抗告の許可を求めて行われる、許可抗告が申し立てられた(最高裁判所平成18(許)第47号市町村長の処分に対する不服申立て却下審判に対する抗告審の変更決定に対する許可抗告事件)。 |
| これにより、代理出産により生まれた双子の出生届受理に関する結論は最高裁へ持ち込まれた。 |
| 2006年10月25日、血尿の為入院。 |
| 2005年の夏の検査から細胞診(ガン細胞があるかどうかの検査)にてクラス4の陽性も出ていたため、右腎臓摘出手術を受ける。 |
| 右尿管にいれていたステントの癒着が酷く、大腿部からの血管移植など10時間に及ぶ大手術となった。 |
| 自宅療養後、同年12月3日、カラオケ大会の審査員をする自身役で、声優をつとめた映画『ふたりはプリキュアSplashStarチクタク危機一髪!』完成披露試写会で仕事復帰を果たす。 |
| 2007年3月2日、ドラマ『会いたかった〜向井亜紀・代理母出産という選択〜』(フジテレビ)が放送。 |
| 向井亜紀役に(向井本人の要望により、前作『16週』に引き続き)松下由樹、夫・高田延彦役に沢村一樹。 |
| 2007年3月23日、最高裁は、「立法による速やかな対応が強く望まれる」としながらも、東京都品川区の出生届の受理を命じた東京高裁決定を破棄し、受理は認められないとする決定をした |