| 茨木市立中条小学校→茨木市立養精中学校→大阪府立春日丘高等学校卒。 |
| 1975年-大阪府立春日丘高等学校在学中(当時16歳)、笑福亭鶴光(当時27歳)に弟子入り。 |
| 友人が運転するカブで鶴光を追跡し、弟子入りを志願。 |
| 弟子入りが決まった当初嘉門は高校在学中だったので、鶴光の薦めもあって、最初は放課後師匠の家に行く「通い弟子」であった。 |
| 高校卒業後は鶴光邸に住み込み、“笑福亭笑光”(しょうふくていしょうこう)の名をもらう。 |
| 所属事務所は松竹芸能。 |
| 1978年-『MBSヤングタウン』(以下「ヤンタン」)にレギュラー出演。 |
| 1980年-笑福亭鶴光から破門を宣告され(詳細は1980年代のエピソードを参照)、松竹芸能を解雇される。 |
| 担当番組も全て降板。 |
| その後「自らを見つめ直す」と言う理由で、程なくして日本放浪の旅へ。 |
| 与論島やスキー場でアルバイトをしながら今の「コミックソング」のスタイルに行き着き、自らの目指す方向性を確立する。 |
| 1981年-日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃、偶然にもスキー場で作った曲が芸能プロダクション「アミューズ」の大里洋吉会長(当時)の耳に止まり、サザンオールスターズの『チャコの海岸物語』をアミューズの契約社員として有線等への営業回りの仕事をする事に。 |
| この時の縁がきっかけでサザンのコンサートの打ち上げ等にも参加する事もあり、バンドフロントマンの桑田佳祐とも面識が出来る。 |
| その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(桑田に依頼した理由は、所ジョージの芸名の名付け親が、ミュージシャンの宇崎竜童だったと言う話に起因していると、後に本人が語っている)。 |
| 最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”と言う名前を考えたが、嘉門が却下。 |
| その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける。 |
| 以降、“嘉門達夫”と名乗る様になった。 |
| その後、ヤンタンにも復帰する。 |
| 1983年-『ヤンキーの兄ちゃんのうた』をリリース。 |
| 読売テレビ有線放送大賞(大阪有線主催)とTBS有線大賞(キャンシステム主催)で新人賞受賞。 |
| 1984年-6月水曜スペシャル川口浩探検隊をパロった『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』リリース。 |
| 1989年-所属レコード会社を日本コロムビアからビクター音楽産業へ移籍。 |
| 1991年-『替え唄メドレー』が82万枚 |
| のセールスを記録。 |
| 自身最大のヒット曲となる。 |
| 1992年-『第43回NHK紅白歌合戦』に『替え唄メドレー~紅白バージョン』で出場。 |
| 1994年-1月1日に発売した『スモーキンブギレディース』を皮切りに、月に1枚のペースでシングルやアルバムを発売するという「マンスリーCDリリース計画」を敢行。 |
| 1997年-ビクターから代官山プロダクションの自社ブランド・DAIPRO-Xへと移籍。 |
| 移籍第1弾『新替え唄メドレー』をリリース。 |
| 1999年-アルバム『お前は間違っとる!』をリリース。 |
| 2000年-トレードマークであった黒髪のオールバックから金髪へとイメージチェンジ。 |
| 2002年-後にはなわに盗作疑惑がかかるという『ガッツ石松伝説』リリース。 |
| 2003年-4月デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』をリリース。 |
| 2003年-6月初のDVDメディア作品『達人伝説』をリリース。 |
| 2004年-11月『シングルベストコレクション2』をリリース。 |
| 2005年-4月東京都立翔陽高等学校校歌『はばたけ!未来へ』作詞・作曲。 |
| 2005年-1月コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデンベスト』リリース。 |
| 2006年-4月『働くオジサン宣言~関白宣言~』など収録したアルバム『笑撃王』をリリース。 |
| 2006年-7月USENのパソコンテレビ・GyaOの番組『嘉門達夫のナリキン投稿天国』から誕生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う『恋のチャルメラププッピドゥー!』をリリース。 |
| 2008年6月現在、シングルとアルバムを合わせた累計売上は847万枚。 |
| 2009年-9月個人事務所「有限会社さくら咲く」を設立し、独立。 |
| (同月には、所属していた芸能事務所『代官山プロダクション』が倒産している。 |