20339
20540
227441
%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0
%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0
%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0
%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0
%E5%9C%9F%E4%BA%95%E6%99%A9%E7%BF%A0
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 土井晩翠の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 土井晩翠とは
- 生涯
- その他
- 家族
- 詩集
- 翻訳
- 主な校歌等
- 土井を記念する催し
- 参考文献
- 関連サイト
土井晩翠(どいばんすい、1871年12月5日(明治4年10月23日)-1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉( りんきち)。本来姓は「つちい」だったが、1932年(昭和7年)に改称した。東京帝国大学在学中に『帝国文学』を編集し、多くの詩を発表。男性的な漢詩調詩風で、第一詩集『天地有情』に対する評価では 島崎藤村と併称された。代表作には『星落秋風五丈原』や、 滝廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』などがあり、校歌、 寮歌なども多く作詞し、戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者としては、 ホメロス ...
生涯
| 1871年(明治4年)、仙台県仙台(現・宮城県仙台市青葉区)の北鍛治町18番地に、質屋の土井林七、あいの長男として生まれた。 |
| 父は文学趣味を持ち、祖母伊勢も和歌を作ったりしている。 |
| 8歳で培根小学校(現仙台市立木町通小学校)に入学。 |
| 立町小学校在学時に『新体詩抄』や『十八史略』を愛読。 |
| 進学を阻まれたが、のち許されて第二高等中学校(東北大学の前身校の一つ)に入学し、吉野作造と交友を結ぶ。 |
| 1894年帝国大学英文科に入った。 |
| 『帝国文学』を編集し、詩を発表する。 |
| 1898年にはカーライルの『英雄論』を翻訳出版する。 |
| 1899年、第一詩集『天地有情』を刊行。 |
| この詩集で島崎藤村と並び証される代表的詩人となった。 |
| 二高教授として赴任後は、滝廉太郎の作曲で有名な「荒城の月」が発表され、さらに深く国民に認知された。 |
| また、日本全国の学校の校歌を作詞したことでも有名で、特に浅水小学校(宮城県登米市)などの校歌は有名である。 |
| 母校である木町通小学校の校歌も作詞した。 |
| 1967年、晩翠が作詞した校歌を集めた歌集『晩翠先生校歌集』が作られたが、遺漏が多いとされており、いかに多くの校歌を作ったか推測できる。 |
| 詩集『暁鐘』『東海遊子吟』などを刊行後、大正期はむしろ英文学者としての活躍がみられる。 |
| 1924年(大正13年)にはバイロン没後100周年を期して『チャイルド・ハロウドの巡礼』を翻訳刊行した。 |
| 1932年(昭和7年)、生前から姓「つちい」を、誤って「どい」と多く読まれたことを受け改姓。 |
| 晩年には両姓の読みの誤りを訂正することを止めたため両方の表記が多く残っている。 |
| 1934年、二高を定年退職し名誉教授となる。 |
| このころ心霊学にも関心を示しており、1946年には財団法人日本心霊科学協会の設立に顧問として関わっている。 |
| 戦陣訓の文体作成について島崎藤村・佐藤惣之助とともに参画した。 |
| 昭和に入り妻子に次々と先立たれる。 |
| 太平洋戦争では空襲に遭い、三万冊に及ぶ蔵書を失う。 |
| 敗戦後は漢詩調詩が廃れたためにほとんど校歌の作詞に専念する。 |
| 1950年に、詩人としては初めて文化勲章を受章。 |
| 文化功労者、仙台市名誉市民。 |
| 1952年、急性肺炎のため死去した。 |
その他
| 土井は大学卒業後、郁文館中学校の英語教師、その後旧制第二高等学校の英語(最初はドイツ語)教師となった。 |
| 国文学者と思って受験した生徒が多くいたという。 |
| また格調高い授業を期待した生徒もいたが、ただ英文を読んで翻訳するだけの授業であったといわれている。 |
| 英語の発音は仙台弁丸出しであり、当時の生徒であった小野寺五一は「FatherandMother」を「ファザルエンドマザル」と発音していたと回顧している。 |
| 土井が晩年を過ごした仙台市内の住居は現在、「晩翠草堂」として同市青葉区の青葉通り沿いに残されている。 |
| これは、土井の教え子や仙台市民の有志が中心となって1949年(昭和24年)に建設されたものである。 |
| のち1980年代に、この草堂の近くを通過する道路が、土井に因んで「晩翠通り」と命名されたが、それを知った土井の子孫がパブリシティ権の侵害であるとして仙台市を訴えるという事例が起きている。 |
| 孫の中野好之著『仙台「晩翠草堂」の顛末 詩人・土井晩翠旧宅敷地譲渡をめぐる紛争の内幕』(御茶の水書房、1988年)に詳しい経緯が記されている。 |
| 土井の母校である仙台市立立町小学校には土井の胸像があるほか、2003年9月には「土井晩翠資料館」が設けられた。 |
家族
| 次女の夫は英米文学者の中野好夫だが、若くして死別した。 |
| その長男中野好之も18世紀イギリス文学研究者である。 |
詩集
| 天地有情(1899年4月、博文館)。 |
| 暁鐘(1901年5月、有千閣、佐養書店)。 |
| 東海遊子吟(1906年6月、大日本図書)。 |
| 曙光(1919年5月、金港堂)。 |
| 天馬の道に(1920年5月、博文館)。 |
| アジアに叫ぶ(1932年8月、博文館)。 |
| 神風(1937年6月、春陽堂)。 |
主な校歌等
| 旧制第二高等学校。 |
| 旧制函館高等水産学校(1935年10月)。 |
| 旧制青森師範学校。 |
| 旧制盛岡工業専門学校(1946年)。 |
| 旧制大阪理工科大学。 |
| 旧制宮城県師範学校。 |
| 旧制神戸高等商船学校岡山分校(1945年)。 |
| 旧制仙台商業学校(1914年、現・仙台商業高等学校)。 |
| 旧制東北商業学校(1942年、現・東北高等学校)。 |
| 旧制秋田県立秋田中学校(1922年、現・秋田県立秋田高等学校)。 |
| 旧制秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)。 |
| 旧制秋田県立横手中学校(1925年、現・秋田県立横手高等学校)。 |
| 旧制鳥取県立米子中学校(1936年、現・鳥取県立米子東高等学校)。 |
| 旧制北海中学校(1911年、現・北海高等学校)。 |
| 旧制脇町中学校(1917年、現•脇町高等学校)。 |
| 旧制大村中学校(旧校歌)(1928年、現・長崎県立大村高等学校)。 |
| 旧制遠軽中学校(1943年12月、現・北海道遠軽高等学校))。 |
| 旧制一関農工学校(1944年)。 |
| 旧制宮城県女子専門学校。 |
| 旧制茨城県立潮来高等女学校(1945年)。 |
| 旧制滋賀県立商業学校(1907年、現・滋賀県立八幡商業高等学校)。 |
| 旧制島根県立大田中学校(1928年、現・島根県立大田高等学校)。 |
| 長野県第二高等女学校(未定稿)(1946年)。 |
| 高舘村立高舘中学校(名取市立高舘中学校)(1948年)。 |
| 階上中学校(未定稿)(1946年)。 |
| 山形県朝日町立大谷小学校。 |
| 東北特殊鋼株式会社社歌(1939年)。 |
| 旧制群馬県立太田中学校(1904年、現・群馬県立太田高等学校)。 |
| 城西大学附属城西中学校・高等学校(東京都)。 |
| 茨城県立つくば工科高等学校(旧谷田部農学校,谷田部高等学校)。 |
| 福岡県八女工業学校(1931年7月、現・福岡県立八女工業高等学校)。 |
土井を記念する催し
| 『晩翠あおば賞』…東北地方および仙台市国内姉妹都市の中学生が対象の詩のコンクール。 |
| 『晩翠わかば賞』…東北地方および仙台市国内姉妹都市の小学生が対象の詩のコンクール。 |
| 『杜の都にひびけ「荒城の月」市民大合唱』…晩翠の命日である10月19日に仙台城址「荒城の月」詩碑前で開催。 |
参考文献
| 黒川利雄・晩翠先生記念出版会 『生誕百年記念 晩翠先生と夫人 資料と思出』(1971年)。 |
| 小野寺五一 『土井晩翠先生を偲ぶ』(1973年詩界No121号)。 |
| 大泉きよ 『荒城の月 私記』宝文堂(1975年)。 |
| 大泉きよ 『続荒城の月 私記』宝文堂(1985年)。 |
|
1871年
|
土井 晩翠(どい ばんすい、(明治4年10月23... |
|
1898年
|
カーライルの『英雄論』を翻訳出版する |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
瀧廉太郎
日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 |
|
|
上田敏
文学者、評論家、啓蒙家、翻訳家。多くの外国語に通じて名訳を残した。号で、「上田柳村」とも呼ばれる。「山のあなたの空遠く 『幸』(さひはひ)住むと人... |
|
|
島崎藤村
日本の詩人、小説家。本名は島崎春樹(しまざきはるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『... |
|
|
山田耕筰
日本の作曲家、指揮者。日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニ... |
|
|
北原白秋
日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原隆吉(きたはらりゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作... |
|
|
高野辰之
日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。長野県尋常師範学校(現・信州大学教育学部)卒。 |
|
|
日仙
鎌倉時代中期から後期にかけて法華宗(日蓮正宗)の僧。摂津公・上蓮坊(百貫坊)と号す。日興の弟子。本六の一人。日蓮に仕え「百貫坊」という名前を与えら... |
|
|
薄田泣菫
日本の詩人。本名、淳介(じゅんすけ)。『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と... |
|
|
中田章
中田章(なかだあきら、1886年7月8日-1931年11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト。東京都出身で東京音楽学校甲種師範科及び研究科卒業。東京音楽学校教授... |
|
|
武島羽衣
武島羽衣(たけしまはごろも、明治5年11月3日(1872年12月3日)-昭和42年(1967年)2月3日)は日本の詩人、国文学者、作詞家。宮内省御歌所寄人。本名・武島... |
|
|
吉丸一昌
日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は『早春賦』など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現臼杵... |
|
|
吉野作造
大正年間を中心に活躍した政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家... |
|
|
三木露風
三木露風(みきろふう、1889年(明治22年)6月23日-1964年(昭和39年)12月29日)は日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木操(みきみさお)。異父... |
|
|
武田こうじ
【武田こうじ*ブログ*】
http://blog.livedoor.jp/poetkoji/ 武 田 こ う じ
ポエトリーリーディングライブ
■ 卸町編
武田こうじさんのポエ... |
|
|
弘田龍太郎
作曲家。1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。父の転任に従って3才の時高知を... |
|
|
佐藤惣之助
日本の詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。 |
|
|
蒲原有明
日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生れ。D・G・ロセッティに傾倒し、象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称さ... |
|
|
石川啄木
日本の歌人・詩人・評論家。本名は、石川一(いしかわはじめ)。 |
|
|
野口雨情
日本の詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。 |
|
|
土井晩翠さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|