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プロフィール
- 坂田健史とは
- 人物
- 新人時代
- 日本王座獲得
- 世界王座挑戦
- 世界王座獲得
- 世界王座防衛
- 再起
- 引退
- 関連サイト
坂田健史(さかたたけふみ、男性、1980年1月29日-)は、東京都稲城市議会議員。日本の元プロボクサー。広島県安芸郡府中町出身。元WBA世界フライ級王者。協栄ボクシングジム所属。山陽高等学校卒業。愛称は"BurningFist"。入場曲は EUROPEの""。
人物
| 元世界王者の竹原慎二と同じ府中町出身である。 |
| 総合格闘家・中村和裕は坂田の卒業した府中緑ヶ丘中学校を1年先に卒業している。 |
| 高校入学と同時に入部したボクシング部は3か月で退部した |
| 高校2年生の秋に竹原慎二の実父が経営する広島竹原ボクシングジムに入門し、ボクシングを再開した |
| 協栄ジム前会長・金平正紀の最後の弟子と言われ |
| スパーリングはデビュー以来スタミナアップ効果を高めるため、室温35度、ラウンド間のインターバル30秒で行っている |
| 2006年7月に入籍、2007年7月にハワイ・ホノルルで挙式を行い、2009年10月には長女が誕生した。 |
| 特に激戦の続いた2007年には胸囲が1年間で5cm、それまでの3年間で7cm大きくなった。 |
| デビュー以来、直接の筋力トレーニングらしいことはほとんどせず、2007年の1年間はサンドバッグを打つことをやめ、ミット打ちとスパーリングで動き回ってパンチを打つ練習に徹していた |
| また2008年には脈拍数が40bpm台に減少した |
| 2007年7月1日の初防衛・王座統一戦以降、「あこがれのグローブだった。 |
| 世界タイトルマッチでしかできないこと」 |
| デビュー10周年に当たる2008年、陣営は坂田のボクサーとしての有り様を「王道」という言葉で表現した。 |
| この「王道」については、今できることを常に全力ですること |
| 、など詳細な解釈は分かれる。 |
新人時代
| 1998年12月5日、3RTKO勝利でプロデビューを果たした。 |
| 1999年1月18日のプロデビュー2戦目は協栄ジム前会長・金平正紀がセコンドについた最後の試合となり、現会長の金平桂一郎にとっては、父親と2人でセコンドについた唯一の試合となった。 |
| 坂田の勝利を見届けると前会長は入院したが、その時点で余命は2週間と医師から告げられていた。 |
| 坂田は試合後に見舞っている |
| 前会長は約2か月後の3月26日に大腸癌のため65歳で死去した。 |
| 1999年11月6日、東日本フライ級新人王を獲得。 |
| 同年12月18日、有永政幸との全日本新人王決定戦では序盤はリードされたが4Rから挽回し、最終回まで打ち合いが続いた。 |
| 三者ともに58-57の判定勝利を収め、全日本フライ級新人王を獲得したボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日ISBN4-583-03784-8、188頁。 |
日本王座獲得
| 2001年4月9日、セレス小林の世界挑戦決定にともない空位となった日本フライ級王座を同3位として、世界挑戦経験のある2位川端賢樹と争った。 |
| 中盤以降は接近戦に持ち込み、最終回まで打ち合い、3-0で判定勝利を収めて無敗のまま日本王者となった「2001全タイトルマッチ-日本タイトルマッチ」『日本ボクシング年鑑2002』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2002年3月30日ISBN4-583-03687-6、25頁上段。 |
| 同年7月16日、1位内藤大助を迎えて無敗同士の日本王座初防衛戦。 |
| 序盤は主導権を握られ、5Rから反撃。 |
| 9R中盤にバッティングによるカットで流血し、終盤は主導権を奪い合った結果、0-1(96-96、96-96、95-97)での引分防衛となった「2001全タイトルマッチ-日本タイトルマッチ」『日本ボクシング年鑑2002』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2002年3月30日ISBN4-583-03687-6、25頁下段。 |
| この後、2位の八尋史朗、4位の仲田端男を相手に3度の防衛に成功した。 |
| ;トラッシュ中沼との1度目の試合。 |
| 2002年4月30日、WBA14位・WBC9位の日本王者としてWBA9位・WBC7位のトラッシュ中沼を迎えて4度目の防衛戦。 |
| トレーナーの大竹重幸は足を使うように指示していたが、中沼の堅いガードにパンチをブロックされて指示を守れず、初回から足を止めての打撃戦となった。 |
| 7R、9Rにはクリーンヒットを受け、最後まで頭をつけあう接近戦で激しく打ち合ったが、96-97、96-98、96-96の0-2で判定負けとなり、王座を失うとともに初黒星を喫した「2002全タイトルマッチ-日本タイトルマッチ」『日本ボクシング年鑑2003』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2003年4月30日ISBN4-583-03746-5、25頁上段。 |
| ;トラッシュ中沼との2度目の試合。 |
| 2003年4月5日、WBC14位としてWBA2位・WBC4位の日本王者トラッシュ中沼への雪辱戦。 |
| 体格の差を生かすために足を使ったボクシングを心がけた。 |
| 中間距離を保って中沼の堅いガードの上から打ち続け、9Rに中沼の左フックがクリーンヒットとなった後も丁寧に反撃した。 |
| 10Rは接近しての打ち合いとなり、97-95、97-96、96-95の3-0判定勝利で王座を奪回した |
世界王座挑戦
| ;ロレンソ・パーラとの1度目の試合。 |
| 2004年6月4日、有明コロシアムでWBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラに同2位として挑戦した。 |
| パーラはこの時点でのプロ戦績が23勝(17KO)無敗で、前日計量には2度失敗して、3度目にクリアした |
| 試合前のハワイキャンプでは世界王者イーグル京和、日本王者中島吉謙も参加しての合同トレーニングが行われ |
| 2Rには右アッパーを受けて顎の骨を2か所折ったが、4Rには手数の減ったパーラをロープ際に後退させた。 |
| パーラは6Rに左フックをカウンターで受けるとロープに掴まるなどして防戦一方になり |
| 111-117、113-115、114-114の0-2という判定結果がコールされると場内にはブーイングが起こった。 |
| 来場した元WBA・WBC世界ミニマム級王者の大橋秀行も「あれで勝てないなら、どうやればいいのか」と話した |
| 6月9日、下顎骨骨折のため4時間半の手術を受け、10か月のブランクを余儀なくされた。 |
| 2005年9月19日、WBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラに同3位として再挑戦。 |
| この前日計量はパーラも1度でクリアした |
| 終盤は下がるパーラを何度もぐらつかせ、11Rにパーラはローブローで減点1を受けた |
| 2006年9月18日、WBA3位・WBC8位の時点で迎えた孫京辰(韓国スーパーフライ級1位)との復帰5戦目は52.0kg契約で行われた。 |
| 会長の金平は「スーパーフライ級までであればWBAでもWBCでも早々にチャンスを作りたい」と話した |
| 2006年9月28日、東京で開催されたWBA総会では世界タイトルマッチ会議が行われ、フライ級王者ロレンソ・パーラが故障した右膝靭帯の治療中であることを受け、暫定王座を設けることが確認された |
| 同年12月2日、フランス・パリのベルシー総合体育館で行われたWBA世界フライ級暫定王座決定戦を同3位として1位ロベルト・バスケスと争った。 |
| バスケスはこの年5月にWBA世界ライトフライ級王座を返上した強打のサウスポーで、この時点でのプロ戦績は23勝(17KO)1敗だった。 |
| 5R序盤にバランスを崩したところでバスケスの左ストレートがカウンターで掠り、ダウンとされてカウント8をとられたが、6R以降は徹底的に接近してボディを攻撃した。 |
| 判定は113-114、113-115、114-113の1-2でバスケスの強打を支持したが、結果的にダウンでの失点がなければ勝利もしくは引き分けだったため、レフェリングを不運とする声が高かった |
| バスケス側も「(バスケスが)負けたと思った」と言うほど王座に接近し、正規王者パーラも後に「あの試合では坂田が勝っていたと思う」と話した |
世界王座獲得
| 2007年3月15日、予備検診の結果では両者ともに減量の影響も特になく好調だった |
| 3月17日、調印式に続き、WBAスーパーバイザー、JBC、パーラ・坂田両陣営の4者立ち会いの下で、ルールミーティングが行われた。 |
| 会長の金平は、前日計量で体重を超過した場合、選手は適正体重に落とす最善の努力をし、試合の公平性を期すために当日にも体重を計測するよう要請したが、パーラ陣営の賛同が得られず、計量結果次第で改めて協議することとなった |
| 3月18日15時から行われた前日計量でパーラは53.5kgと上限を2.7kg上回り、2時間後の再計量でも52.9kgと2.1kg上回ったため、計量失格によって王座剥奪となった |
| 前日に続いての4者協議の結果、試合開始4時間前の17時に非公式の当日計量を行い、バンタム級のリミットにあたる53.5kgを下回っていることを確認した上で両選手の試合出場とタイトルマッチの開催を認めるという極めて異例の措置がとられた |
| 予備検診の結果同様、計量直前に行われたパーラの検診結果にも減量に苦しんだ形跡は特になかった |
| 前日に急遽取り決められた通り、この日17時に両選手が計量を受け、パーラが53.3kg、坂田が53.2kgとの結果をもって、ようやく変則タイトルマッチとしての決行をみた |
| 3R0分14秒、TKOで坂田が勝利 |
| 1週間後の3月26日、坂田は東京・青山の梅窓院を訪れ、金平正紀の墓前に勝利を報告した。 |
| この日は、同郷の恩師である前会長の9回忌だった |
世界王座防衛
| 9Rにはヒッティングでのカットもあったが、最終回までバスケスをロープ際、コーナーに詰めて連打を放つ展開が続き、116-112、116-113、115-113の3-0で判定勝利を収めた |
| 2007年10月11日に行われたWBC世界フライ級タイトルマッチにおける亀田大毅の反則行為をめぐって、会長の金平はJBCから3か月間のクラブオーナーライセンス停止処分を受けプロボクシング、亀田大毅選手1年間出場停止世界戦の反則行為でウィキニュース2007年10月16日、協栄ジムには抗議電話が集中し |
| 他に公開リングチェック、試合後グローブチェックの3つの点で防止策を敷いた |
| JBCは反則再発防止策の1つとして試合開始の約30分前にリングを検査し、問題がなかったことを場内アナウンスで説明した |
| 初回にダウンを喫したが、4Rに左手親指を脱臼 |
| 7R、8Rにはバッティングでカットしながら12Rを戦い、113-113、114-112、112-115という1-1の判定で引き分け防衛を果たしたが、デンカオセーンのホールディングが12Rに減点されていなければ王座を明け渡していたという際どい試合でもあった |
| この試合は選択試合として行われたが、後日WBAから指名試合と認定された。 |
| 序盤は山口にペースを握られ、3R開始早々にダウンを喫し、5Rにはバッティングでのカットもあったが、中盤以降に盛り返し、3-0での判定勝利となった |
| この試合については、後に坂田自身「反省の多い試合だった」と語っている |
| 2008年7月30日、国立代々木競技場第一体育館で3位久高寛之を迎えて4度目の防衛戦。 |
| 3Rにバッティングによるカットで流血し、試合後には視界の半分は見えていなかったと語ったが、序盤から攻勢に出て安定した試合運びを見せ、3-0の大差判定勝利となった |
| 広島開催の世界戦は1978年5月7日のWBA世界ライトフライ級王者具志堅用高以来30年ぶりで、また大晦日開催のボクシングの世界戦は日本初であった |
| 8カウントで立ち上がりはしたもののファイティングポーズをとれず、2R2分55秒、自身初のKO負けで王座を失った |
再起
| 同年6月14日、2年3か月ぶりの後楽園ホールでWBAフライ級5位・WBC同級9位として、WBOフライ級14位・韓国同級王者の全鎮萬とスーパーフライ級10回戦を行った。 |
| 同年9月21日には前インドネシアフライ級王者ディッキー・プトラを1RKOで倒し、再起2連勝を収めた{{#tag:ref|再起2連勝の後、坂田陣営はWBA世界フライ級王座を防衛中のデンカオセーン・カオウィチットからオファーを受けての3度目の世界戦について、WBA幹部の内諾もJBCの承認も取り付けた上で |
| この通達文書には亀田陣営もその指示を遵守する旨の署名をした |
| 2010年2月7日の世界戦で亀田大毅に王座が移動した後、2月20日にはWBAの指示に従ったフライ級契約での世界前哨戦としてインドネシアフライ級王者でOPBF同級8位のエリック・ディアス・シレガーと10回戦を行い、初回KO勝利を収めた{{#tag:ref|試合後の会見には顧問弁護士も同席し、亀田陣営の署名入りの調印書を披露した上で対戦義務の履行を求めた。 |
| この後、亀田陣営も |
| 落札後、当初の交渉期限は5月24日と設定されていたが、無期限活動自粛中の亀田ジムに対する正式処分を決定する東日本ボクシング協会の定例理事会開催日と重なったために延期され |
| 9月25日にはWBA世界フライ級タイトルマッチで亀田大毅と対戦したものの、判定0-3で敗れた |
引退
| 2011年2月27日、同年4月24日に行われる東京都稲城市議会議員選挙に立候補することを表明。 |
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1980年
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坂田 健史(さかた たけふみ、男性)は、東京... |
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1998年
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3RTKO勝利でプロデビューを果たした |
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