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プロフィール
- 堤康次郎とは
- 生い立ち
- 海軍予備学校から早稲田大学へ
- 政治家として
- 家庭
- 女性関係
- ピストル堤
- 評価
- 略年譜
- 栄典
- 家族・親族
- 系譜
- 関連サイト
堤康次郎(つつみやすじろう、3月7日-4月26日)は、日本の実業家、政治家。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長。滋賀県大津市名誉市民。正三位勲一等。「 ピストル堤」の異名を持つ。 五島慶太は東急対西武戦争(箱根山戦争・伊豆戦争)でライバルとも言われた。
生い立ち
| 滋賀県愛知郡八木荘村大字下八木(のち・秦荘町、現・愛荘町)に農業兼麻仲買商・堤猶次郎、みをの長男として生まれた。 |
| 堤家は農家であり、「代々小地主兼自作農を主業とし、副業として麻布工場などを経営しており、村では一応旧家に属していた」永川幸樹著『野望と狂気』33頁とも、「家業は製麻業であったが、数反歩(すうたんぶ)の田畑を所有し、一部は小作に出すなど暮らし向きは豊かな方であった。 |
| 」立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』22頁とも、「いわゆる五反百姓だった。 |
| 田畑は7反だったという説を唱える土地の古老もいたが、いずれにしても貧農である」猪瀬直樹著『ミカドの肖像』304頁ともいわれる。 |
| 5歳のとき筑井正義『堤康次郎傳』15頁、父・猶次郎が腸チフスで急死する立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』23頁。 |
| 母親は実家に戻され、妹・ふさとともに祖父・清左衛門、祖母・キリの手で育てられる。 |
海軍予備学校から早稲田大学へ
| 郵便局、鉄工場、雑誌の経営、真珠の養殖などつぎつぎに手を出すが失敗する堤は『私の履歴書』の中で「もう自分は世の中に生きている値打ちのない人間だとまで思った。 |
| 思い悩んだ末考え付いたのがもうけよう、もうけようと考えたのがいけない。 |
| 自分はもうけなくてもよいからこの世の中のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった。 |
| そして最初に考えたのが不毛地の開発事業だった」と書いている。 |
| 『感謝と奉仕』を生活信条とするちなみに西武グループの社是は堤家支配が崩壊するまで長きにわたり『感謝奉仕』であった。 |
政治家として
| 大正13年(1924年)滋賀県から衆議院議員に立候補堤は『私の履歴書』の中で「大体私は人生で最高の仕事は政治だと思っている。 |
| 金をかけて事業をやってみたところでそれは国全体のある一部分でしかない。 |
| 国全体を考え、国民全部を幸福にするのはかかって政治にある。 |
| それで私は早くから政治を志していた」と書いている。 |
| 対立候補は旧彦根藩士で家老職を務めた家柄である堀部久太郎。 |
| かなりの差で初当選を果たす。 |
| 衆議院議員には計13回当選している。 |
| 立憲民政党に所属する。 |
| 小平学園都市開発着手。 |
| 昭和7年(1932年)6月斎藤実内閣で拓務政務次官に就任。 |
| 昭和15年(1940年)浅野財閥系から武蔵野鉄道の株式を購入し、多摩湖鉄道をこれに合併させた。 |
| 太平洋戦争中も、B29の空襲の中、自宅地下壕に電話線を何本も引いていた。 |
| その電話口で、常に土地を買いつづけていた。 |
| 戦後も、皇籍剥奪により、土地財産を没収された旧宮家の都心の土地を次々と日本政府から買収した。 |
| 一方で華族の生活の面倒を見たとも言われる。 |
| また大戦中、大戦後にかけて、都内の糞尿処理対策や流木対策に西武グループを挙げて対処した。 |
| 昭和38年(1963年)11月衆議院議員に13回目の当選。 |
| この時地元後援会の堤会から選挙違反で180名余が逮捕、後に150名余が有罪となる。 |
家庭
| 家庭での康次郎は絶対君主そのものだった。 |
| 彼が出かけるときには、操親子をはじめ義明、使用人ら全員が正座をして見送らなければならなかったし、帰ってきたときには、これまた全員が三つ指をついて迎えなければならなかった。 |
| 義明の返事や対応が気に入らなければ、すぐに暴力に及んだ。 |
| 立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』73-74頁。 |
女性関係
| 堤は女性関係は派手であり、女中、社員、部下や息子の妻、乗っ取った会社の娘、華族の娘等々“これは”と思う相手を片っぱしから手中にしていったといわれている。 |
| そういう女性との間に生まれ、一族の中に入っていない子供たちの数は把握できていない。 |
| 子供12人というのは嫡子として認めた数にすぎず、100人を超えるという説もある『昭和・平成日本黒幕列伝時代を動かした闇の怪物たち』31頁。 |
| 操夫人の父は倒産した東京土地の社長青山芳三であるが、倒産した東京土地の残務整理のため青山家に通っていた上林国雄によると、堤は零落した青山家の姉妹をすべて“愛人化”しようとしたという「わが堤一族、血の秘密」(『文藝春秋』昭和六十二年八月号)、立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』56-57頁。 |
ピストル堤
| 「ピストル堤」の異名は、堤の強引な手法に怒りを爆発させた関係者らが、日本刀など凶器を持って殴り込みをした際にピストルで応戦したため、付けられたという立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』40頁。 |
| ピストルを乱射しながら屋敷へ乱入してきた暴徒を柔道で投げ飛ばしたためとの説もある。 |
評価
| 評論家の大宅壮一は、軽井沢の土地を奪われた市村今朝蔵の事例を紹介して、堤が法廷戦術などを用いて強引な土地取得を行ったことについて「近江の知能犯」というレッテルを貼り、彼のやり方を徹底的に批判した「日本ユダヤ教総本山・滋賀県」(『文藝春秋』昭和三十三年十一月号)。 |
| 立石泰則は、堤のやり方は「とてもまともな実業家の姿とはいえないことだけは確かである」と評している。 |
略年譜
| 明治22年(1889年)。 |
| 3月7日-滋賀県愛知郡八木荘村大字下八木(のち・秦荘町、現・愛荘町)の農家に生まれた。 |
| 明治35年(1902年)3月-八木荘小学校高等科卒業。 |
| 彦根中学に入学手続までしたが、祖父の心配にたえかね進学を断念。 |
| 明治40年(1907年)-京都の海軍予備校卒業。 |
| 明治42年(1909年)-上京し、早稲田大学入学。 |
| 弁論部と柔道部へ入る。 |
| 明治44年(1911年)-日本橋蛎殻町の三等郵便局長となる。 |
| 大正2年(1913年)3月-早稲田大学政治経済学部卒業。 |
| 大正3年(1914年)-『日露財政比較論』を書く。 |
| 大正4年(1915年)『新日本』の経営に失敗。 |
| 大正5年(1916年)4月-千代田ゴム株式会社専務となる。 |
| 大正6年(1917年)-東京ゴムを設立する。 |
| 大正7年(1918年)-木造船の建造と海運事業をやって失敗。 |
| 大正8年(1919年)-箱根開発に着手、強羅に10万坪の土地を買う。 |
| 大正10年(1921年)-湯の花沢買収に着手。 |
| 大正12年(1923年)12月-駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)を経営。 |
| 関東大震災後、富豪や華族のもっていた大邸宅の分譲を行う。 |
| 大正13年(1924年)-衆議院議員に当選。 |
| 昭和3年(1928年)1月-多摩湖鉄道(現・西武多摩湖線)創立。 |
| 昭和7年(1932年)6月-斎藤実内閣で拓務政務次官に就任。 |
| 昭和28(1953年)5月-衆議院議長に就任(-1954年)。 |
家族・親族
| 実家は神崎郡八幡村(現東近江市能登川町)にあり、代々、水産物問屋「松前屋」を営む商家だった立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』23頁。 |
| 風祭家、川崎家ともに士族の出身で、東大医学部出身の医師を多く出している名家だった立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』50頁。 |
| ;;操(元東京土地社長青山芳三の娘、青山家は士族の出身立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』54頁)。 |
| 長年康次郎と夫婦同然の関係だったが、昭和29年(1954年)7月正式に結婚立石泰則著『淋しきカリスマ堤義明』83頁。 |
| 母は新潟県出身の歯科医師・政治家石塚三郎(元衆院議員)の娘石塚恒子(未入籍)。 |
系譜
| 岩崎ソノ。 |
| ┃。 |
| ┃。 |
| ┣━━━━━━━堤清。 |
| 堤清左衛門 ┃。 |
| ┃ ┃川崎文。 |
| ┃ ┃。 |
| ┃ ┃。 |
| ┃ ┣━━━━━堤清二。 |
| ┃ ┃ ┃。 |
| ┃ ┃ 麻子。 |
| ┃ ┃。 |
| ┃ ┣━━━━━邦子。 |
| ┃ ┃。 |
| ┃青山操。 |
| ┃。 |
| ┃。 |
| ┣━━━━━━━堤義明。 |
| ┃。 |
| ┣━━━━━━━堤康弘。 |
| ┃。 |
| ┣━━━━━━━堤猶二。 |
| ┃。 |
| 石塚恒子。 |
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1954年
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10月の衆議院議員に8回目の当選。5月衆議院議... |
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投票数
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| ふりがな |
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| 出身地 |
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