| 金沢市に生まれ、幼少期に両親が離婚、小学3年生までは不登校に近い状態だった。 |
| 小学4年生から新聞配達やスーパーの清掃手伝いなどのアルバイトを始め、中学生時代には土木作業も始めた |
| 小学6年生のとき、父親に自転車をプレゼントされたのをきっかけに自転車に熱中、高校では競輪選手を目指そうと自転車部に入部した。 |
| しかし、アルバイトと学業の両立が困難になり、高校を中退した。 |
| 高校中退後、ある日読んだ本の影響で青島幸男にあこがれ、金沢でbarを始める。 |
| 今もその当時の経験が生かされていると話す。 |
| 15歳の時、ゲームセンターで受けたオーディションで75000人の中から勝ち抜き、そのとき出会った人の助言が元で本気で俳優を目指そうと決めた。 |
| そして当時見た作品「タクシードライバー」でロバート・デニーロの人間臭い芝居に衝撃を受け「こんな人生を沢山生きたい!生涯の職は俳優だ!」と金沢を飛び出した。 |
| 15歳の時に単身で上京。 |
| 上京後、アクターズクリニックで演技の勉強をする。 |
| 関西の文化を学びたいと京都、大阪に住んだ経験もある。 |
| 2000年18歳の時、最後にもう一度芸の世界に自分を売り込むと、京都から東京に出て、事務所を数十カ所まわり、恵比寿で回った最後の事務所のスターダストプロモーションで時間外だったため非常階段からのぼりプロフィールをたまたま残業していた取締役の人に渡したところその日のうちに電話がかかり、翌日面接を受けスターダストプロモーションに所属する。 |
| デビュー当初、「趣味は勉強」と言い当時のマネージメントの人間が面白いなと笑ったというエピソードがある。 |
| 2001年、日本での芸能活動を1年間続けて芽が出ないようであればアメリカに修行に行こうと渡米チケットを購入した。 |
| その年の10月の戦隊のオーデションにて主演デビューの夢をつかむ。 |
| 2002年テレビ朝日『忍風戦隊ハリケンジャー』主演:椎名鷹介/ハリケンレッド役でデビュー。 |
| 大ヒット、同作は同年に映画化、舞台(ショー)もされる。 |
| ショーでは前期、後期で50万人もの集客があり人気だった。 |
| 以後「Dr.コトー診療所」「奥さまは魔女」などの人気テレビドラマに続けて出演し、CM、映画、舞台、写真集などで活躍する。 |
| 2004年、映画「パッチギ」主演の松山康介役に「初々しく純粋な風貌から滲み出る雰囲気がピッタリ」と井筒監督に抜擢される(これは事務所からは資料も出てなく、ハウンドドックの大友康平のLIVEの打ち上げで偶然プロデューサーに声をかけられ、あのボーっとした少年、次の映画の主人公にピッタリと言うことから主演が決まったらしい※ラジオ抜粋)。 |
| 2005年主演映画『パッチギ!』(2005年、井筒和幸監督)で第29回日本アカデミー賞新人俳優賞、第27回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。 |
| 以降「赤い文化住宅の初子」(タナダユキ監督)、「ROBO☆ROCK」(須賀大観監督)、「青空のルーレット」(西谷真一監督)、「CASINO」(辻裕之監督)と主演映画が続く。 |
| 戦争映画から等身大の役、荒廃感のある役まで幅の広い役をどれも自分の分身のように繊細に演じきる表現力は、豊富な人生経験がその根底にあることを感じさせる。 |
| 2006年コリアドラマフェスティバル開会式に日本代表として招待される。 |
| フェスティバルの「次世代韓流スター演技者選抜大会」にもゲスト参加した。 |
| 2007年日本映画・最多出演賞受賞(2006年12月ー2007年11月)。 |
| 2008年海外進出への第一歩としてアメリカへ武者修行へ行く(スポーツ報知)。 |
| 2010年1月1日付けでスターダストプロモーションを離籍。 |
| 同2月20日付けで塩谷瞬俳優事務所(OFFICESHUNSHIOYA)を発足。 |
| 2010年は本人も言う舞台年でいろいろなテーマの舞台に挑戦している。 |
| 『ジャンヌ・ダルク』『永遠の一秒』『CMTIMEⅡ』。 |
| 2011年1月3日から海外支援プロジェクトで東ティモールへ行く。 |
| 2011年8月14日と8月21日放送分の『海賊戦隊ゴーカイジャー』で『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』から約7年振りに椎名鷹介/ハリケンレッド役で出演。 |