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つながりの強いひと
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有間皇子
孝徳天皇の皇子。母は左大臣・阿倍内麻呂の娘・小足媛。天智天皇の娘、明日香皇女・新田部皇女姉妹とは母方の従兄妹になる。後世には「有馬」と表記される例... |
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天武天皇
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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蘇我赤兄
日本の飛鳥時代の人物である。姓は臣。蘇我馬子の孫で、蘇我倉麻呂(雄当)の子。宗我舎人(そがのとねり)を別名とみる説と、別人とみる説とがある。658年に... |
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弘文天皇
第39代天皇(在位:天智天皇10年12月5日(672年1月9日)-天武天皇元年7月23日(672年8月21日))。諱は大友(おおとも)又は 伊賀(いが)。1870年に諡号を... |
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中大兄皇子
『中大兄皇子伝〈下〉』 (黒岩 重吾) 詳細/レビュー クリップ( 0 人) リスト管理/履歴 中大兄皇子伝〈下〉 ⇒ Amazonで詳細を見る 装... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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境部摩理勢
飛鳥時代の豪族。蘇我稲目の子、馬子の弟(一説に馬子の従弟ともいう)。正しくは蘇我境部臣摩理勢。軽の境部(現在の橿原市)に居住したために境部臣と呼ば... |
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蘇我果安
日本の飛鳥時代の人物である。姓は臣。671年に御史大夫となり、大友皇子(弘文天皇)および他の4人の重臣とともに、重篤の天智天皇の詔を奉じることを誓った... |
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中臣金
飛鳥時代の官人。旧仮名遣いでの読みは同じ。姓(カバネ)は連。父は中臣糠手子(なかとみのぬかてこ)。鎌足の従兄弟にあたる。天智天皇、大友皇子(弘文天... |
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中村とうよう
日本の音楽評論家、編集者。株式会社ミュージック・マガジンの元・取締役会長、代表取締役。「中村とうよう事務所」代表。武蔵野美術大学客員研究員。ジャズ... |
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山部王
日本の飛鳥時代の皇族である。系譜は明らかでないが、舒明天皇の皇子である蚊屋皇子の子とし、子に三島垂水(垂水王)がいたとする系図がある。672年の壬申の... |
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村国男依
日本の飛鳥時代の人物である。名は雄依、小依とも書く。姓は連。子に村国志我麻呂がいる。冠位は贈外小紫。672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に属して... |
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大海人皇子
大海人皇子の陰謀 超古代史壬申の乱 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 在庫切れ等により、手配できない場合がございます ... |
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孝徳天皇
日本の第36代天皇(在位:孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日)-白雉5年10月10日(654年11月24日))。諱は軽(かる)。和風諡号は天万豊日天皇(あめよろず... |
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谷塩手
日本の飛鳥時代の人物である。姓は直。谷宇志の子とする系図がある。672年の壬申の乱で、大友皇子(弘文天皇)側の将となり、敵に斬られた。谷氏は倭漢氏に属... |
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来目塩籠
日本の飛鳥時代の人物である。姓は臣。来目氏(来目臣)は蘇我氏族に属する皇別氏族。塩籠を蘇我稲目の孫である久米薬子の子とする系図がある。672年に壬申の... |
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犬養五十君
日本の飛鳥時代の人物である。姓は連。646年に失政を犯した国司の部下として咎められた。672年の壬申の乱では大友皇子(弘文天皇)の将として活躍したが、敗... |
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秦友足
日本の飛鳥時代の人物である。姓はなし。秦内満の子とする系図がある。672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)側について戦い、鳥籠山で敗れて殺された。秦友... |
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巨勢人
日本の飛鳥時代の人物である。名は比等、毘登とも書く。姓(カバネ)は臣。小徳位巨勢大海の子。天智天皇に仕えて御史大夫に昇り、672年の壬申の乱で大友皇子... |
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佐伯男
日本の飛鳥時代の人物である。姓は連のち宿禰。佐伯広足の子で、子に赤麻呂がいたとする系図がある。官位は従五位上・大倭守。672年の壬申の乱で大友皇子(弘... |
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プロフィール
境部薬(さかいべのくすり、生年不明- 天武天皇元年7月7日(672年8月5日))は、日本の飛鳥時代の人物である。坂合部薬(さかあいべのくすり)とも書く。旧仮名遣いでの読みは前者が「さかひべのくすり」、後者が「さかあひべのくすり」。姓(カバネ)は連。658年に 有間皇子の変で流罪となった。672年の壬申の乱では 大友皇子( 弘文天皇)側の将となり、息長の横河で敗死した。
有間皇子の変
| 『日本書紀』によれば、斉明天皇4年(658年)11月3日と5日に、斉明天皇と皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)が紀温湯に行った留守に、有間皇子は都で蘇我赤兄と挙兵を相談した。 |
| 書紀は「ある本には」として、有間皇子、蘇我赤兄、塩屋小戈、守大石、坂合部薬が、短籍(籤)で謀反を占ったという話を伝える。 |
| ところが5日の夜に赤兄は有間皇子の家を囲ませ、天皇に事を急報した。 |
| 9日に有間皇子、守大石、坂合部薬、塩屋鯯(塩屋小戈)は捕えられ、紀温湯に送られた。 |
| 11日に有間皇子は殺され、坂合部薬は尾張国に流された。 |
| 壬申の乱で活躍したことから、坂合部薬が後に赦されたことがわかる。 |
| そこで現代の学者の中には、坂合部薬はもともと赤兄とともに有間皇子を陥れようとしたのだと推測する者がある。 |
| ただこの場合、そもそも罪とされなかった赤兄との処分の違いについては説明されない。 |
壬申の乱
| 境部薬は、壬申の乱では大友皇子(弘文天皇)の側につき、その将となった。 |
| 美濃国不破郡に本拠を構える大海人皇子(天武天皇)の軍と、近江国大津に都をおく大友皇子の軍は、7月7日に近江方面で会戦を行った。 |
| 『日本書紀』はこの戦いにつき「男依(村国男依)らは近江軍と息長の横河で戦って破り、その将境部連薬を斬った」と記す。 |
| この文面からは近江軍の総指揮官が境部薬であったのか、そうではなく将のうちの1人であったのかは判然としない。 |
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