| 東京都港区高輪に生まれる。 |
| 文豪・夏目漱石の長男である夏目純一(ヴァイオリニスト)の長男。 |
| 本人の談によると、若い頃には「漱石の孫」というレッテルを重荷に感じていたと述懐している。 |
| また、漱石の本名「金之助」と似た「房之介」という名前も嫌っていたという(純一によると房之介の名は久原房之助から取って命名したもの)。 |
| 母・嘉米子(ハープ奏者)は三田平凡寺(特異な趣味人で蒐集家)の末娘。 |
| チェリストで画家の雨田光弘は、母方を通じて従兄にあたる。 |
| 本人にとって「祖父」といえば会ったことがない漱石ではなく、自分を可愛がってくれた三田平凡寺のことだという。 |
| また、自分の資質にも、漱石より平凡寺の影響のほうが強いという。 |
| 教育熱心な母の意向で慶應義塾幼稚舎を受験したが失敗夏目房之介『おじさん入門』(イースト・プレス、2005年)。 |
| 高輪台小時代から漫画を描くのが大好きで「マンガのなっちゃん」と呼ばれた。 |
| 中学から青山学院に入学。 |
| 祖父が夏目漱石ということで、同級生の女の子から顔をまじまじと観察され「おじいさん(漱石)はハンサムだったのにね」と心ない批評をされ傷ついたこともあった。 |
| 国語の時間には、教師から「このクラスに漱石の孫がいるぞ」と言われるのが不愉快だったという。 |
| 青山学院高等部在学中には美大進学も考えたものの結局は断念、青山学院大学文学部史学科に進み、中国史を専攻した。 |
| 大学時代に作品集『漫画』を自費出版し、尊敬する手塚治虫に見てもらった。 |
| 同時期に赤塚不二夫にも作品を見てもらったが、このときは酷評を受けた。 |
| また在学中に実家を出て中野で恋人と同棲し、新宿や渋谷のジャズ喫茶に入り浸る青春を送った。 |
| 吉本隆明、大江健三郎、ドストエフスキーなどを愛読。 |
| 卒論のテーマは三一運動。 |
| 1973年、卒業後に恋人と結婚して世田谷区給田に転居。 |
| 杉並区にあった小さな出版社「エルム社」の入社試験を受けたところ、「漱石の孫」と聞いて興味を持った社長の強力な後押しで採用が決定。 |
| 切手の雑誌『少年切手マガジン』の編集などに携わったが、就職後も片手間に挿絵イラストレーターとしての副収入を得、次第に仕事のウェイトを副業に移していた。 |
| しかし、就職3年目、1976年末にエルム社が倒産したためそのままフリーのイラストレーターとして独立。 |
| 会社倒産直前、世田谷区松原にマンションを買ったところ、売主の倒産で裁判沙汰に巻き込まれ苦汁をなめてもいる。 |
| また、1978年に共著『ひまつぶし哄笑読本』(ベストセラーズ・ワニの本)を刊行した、漫画家・ライターのしとうきねおのパロディ精神から、大きな影響をうける。 |
| そのころ、しとうきねおの紹介もあり「漱石の孫が漫画を描いている」という話を聞きつけた『週刊朝日』の取材を受けた縁から、1978年に同誌の新コーナー「デキゴトロジー」のイラストを担当するようになり、これが1982年に『學問』として夏目をメインとした漫画コラムへと発展するに至った。 |
| この連載が夏目の名を有名にし、漫画コラムニストとしての評価を固めた。 |
| また、1984年に漱石の肖像が千円札に採用されると、直系の子孫としてマスコミから取材を受ける。 |
| 1986年、ディレクターが夏目のファンであった縁からTBSのクイズ番組『クイズダービー』に出演する。 |
| 1988年からNHK教育テレビの『土曜倶楽部』にレギュラー出演し、「夏目房之介の講座」コーナーを担当。 |
| 以降、NHKに度々出演するようになる。 |
| 漫画家としては、谷岡ヤスジや土田よしこ、佐々木マキの影響下にシュールな作風のギャグ漫画を発表していた。 |
| 実作者としての長年の経験が、漫画批評家としての洞察に深みを与えている側面は見逃せない。 |
| また、『月刊OUT』において『鉄人28号』や『仮面ライダー』のその後をパロディ漫画として描いており、これが後の“マンガ作品の一部を模写し分析する”という手法に繋がっていく。 |
| 漫画家であるが絵はあまり得意ではないようで、「日本一へたくそな漫画家」と自称したこともある『BSマンガ夜話』にて。 |
| 漱石の作品では、中学生の頃に読んだ『硝子戸の中』が一番好きであると著書で挙げている。 |
| また、年齢を重ねるにつれ、それまで「漱石の孫」とレッテルづけられて嫌っていた「漱石」に向き合うことに興味を抱く。 |
| 1996年の『不肖の孫』では漱石と平凡寺のことを書いた。 |
| また、NHKの番組「世界わが心の旅」の企画でロンドンの漱石の下宿等を訪問したことから、その時に感じた内容をもとに2003年に『漱石の孫』を執筆。 |
| 2006年には『孫が読む漱石』を刊行。 |
| 「自分の中にある漱石と似た資質」を発見している。 |
| この年に妻と離婚しているが、あまり希望に満ちた結婚では無かったという |
| なお、妻とは離婚から5年後の2009年に復縁。 |
| 夏目の姓を名乗ってメディア出演するのは夏目房之介だけなので、漱石関連の問合わせは全て自分のところに来るといい、これが大変だと話している。 |
| なお、著作権が切れているので、漱石作品に関しての収入は無い。 |