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つながりの強いひと
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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己婁王
己婁王(こるおう、生年未詳-128年)は百済の第3代の王(在位:77年-128年)であり、先代の多婁王の嫡男。33年に太子となり、77年9月に先王の死去により王位... |
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温祚王
温祚王(おんそおう、生年未詳-後28年)は百済の初代の王(在位:前18年-後28年)。源流を扶余に求める神話を持ち、氏は扶余、または余とする。 |
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垂仁天皇
垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日-垂仁天皇99年7月14日)は第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日-垂仁天皇99年7月14日)。活目入彦五十狭茅... |
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百済王
百済王氏と古代日本 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 大坪 秀敏著 税込価格: (本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 60 ... |
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蓋婁王
蓋婁王(がいるおう、生年未詳-166年)は百済の第4代の王(在位:128年-166年)であり、先代の己婁王の嫡男。128年11月に先王の死去により王位についた。諱・... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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太祖王
太祖王健(ワンゴン) 第7章 両雄の死闘 この商品の中古ページを見る チェ・スジョン 映画・ドラマ 定価 ¥31,500(税込) 新品価格 ¥25,200(税込) 定... |
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聖王
百済の第26代の王(在位:523年-554年)。先代の武寧王の子。『三国史記』百済本紀・聖王紀によれば諱は明穠。先王が523年5月に死去したことにより、王位につ... |
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ローマ皇帝
紀元前27年に元老院よりアウグストゥス(Augustus)の尊称を授与されたアウグストゥス本人と、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。ローマ皇帝というひとつの職... |
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大武神王
高句麗の第3代の王(在位:18年-44年)であり、大解朱留王、大朱留王ともいう。先代の瑠璃明王の3番目の男子であり、姓は高、諱は無恤(ぶじゅつ、ムヒュル)... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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井上秀雄
愛知県生まれの歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 |
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美川王
高句麗の第15代の王(在位:300年-331年)。姓は高、諱は乙弗、または憂弗(『三国遺事』では瀀弗)。好壤王(『三国遺事』では好穣王)とも記される。第13代... |
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慕本王
高句麗の第5代の王(在位48年-53年)。姓は高、諱は解憂(または解愛婁)。『三国史記』高句麗本紀では先々代の大武神王の嫡子であり、『三国遺事』王暦では... |
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肖古王
肖古王(しょうこおう、生年未詳-214年)は百済の第5代の王(在位:166年-214年)であり、先代の蓋婁王の子。『三国史記』百済本紀・肖古王紀の分注や『三国... |
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仇首王
仇首王(きゅうしゅおう、生年未詳-234年)は百済の第6代の王(在位:214年-234年)であり、先代の肖古王の長子。『三国史記』百済本紀・仇首王紀の分注や『... |
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近肖古王
近肖古王(きんしょうこおう、生年不詳-375年)は百済の第13代の王(在位:346年-375年)であり、第11代の比流王の第2子。中国・日本の史書に初めて名の現れ... |
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閔中王
高句麗の第4代の王(在位:44年-48年)。姓は高、諱は解色朱。『三国史記』高句麗本紀では先代の大武神王の弟、『三国遺事』王暦では大武神王の子とする。44年... |
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比流王
比流王(ひりゅうおう、生年不詳-344年)は百済の第11代の王(在位:304年-344年)であり、第6代の仇首王の第2子。諱・諡は伝わっていない。304年10月に先代... |
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プロフィール
多婁王(たるおう、生年未詳-後77年)は百済の第2代の王(在位:28年-77年)であり、始祖の 温祚王の嫡男。10年に太子となり、28年2月に 温祚王の死去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。
治世
| 先王のときと同じく、即位当初から東北辺の靺鞨との戦いが続いた。 |
| 初めのうち(30年、31年)はこれらを大いに殺したり捕虜にしたが、治世の中ごろには攻め込まれるばかりとなり、56年には牛谷城(ぎゅうこくじょう、ウゴクソン)を築いて備えることとした。 |
| 一方、東方では63年には領域を娘子谷城(じょうしこくじょう、忠清北道清原郡)まで広げ、新羅に対して会盟を申し入れたが、受け容れられなかった。 |
| そこで64年、軍を派遣して新羅の蛙山城あざんじょう、ワサンソン。 |
| 忠清北道報恩郡)を攻撃したが勝つことができず、南の方へ戦場を移し、狗壌城(くじょうじょう、クヤンソン。 |
| 忠清北道沃川郡で新羅の兵を敗走させた。 |
| これ以後、蛙山城は新羅との係争地となり、互いに奪回を繰り返した。 |
| 最終的には蛙山城を新羅に奪回されたまま、多婁王は在位50年にして77年9月に薨去した。 |
| 33年には初めて稲田を作らせたと記されているが、ここに出る「田」は日本で言うところの「畑」であり、朝鮮で稲作が普及するのは15世紀以降のことである。 |
| また、38年秋には、穀物の不作を理由として私酒造を禁じた、という記事もある。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
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