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プロフィール
- 大内政弘とは
- 生涯
- 内政・文化
- 参考文献
- 関連項目
大内政弘(おおうちまさひろ)は、室町時代の守護大名。大内氏第14代当主。父は 大内教弘、母は 山名宗全の養女で山名熙貴の娘。最盛期には周防・長門・豊前・筑前と、安芸・石見の一部を領有し、強大を誇った。応仁の乱には西軍側の主力として参戦する。文化にも造詣が深く、後年山口が西の京と呼ばれる基礎を築く。
生涯
| 寛正6年(1465年)、父教弘の死により家督を相続する。 |
| 父に引き続き日明貿易(勘合貿易)をめぐり管領細川勝元と争い、細川氏と敵対する伊予の河野通春を支援する。 |
| これに対し細川氏は大内氏追討の幕命を発し、安芸分郡守護武田信賢や安芸国人小早川煕平・毛利豊元らが安芸で大内軍と衝突した幕府及び勝元は安芸東部の東西条を領有する大内氏を警戒し、安芸中央部の領主である安芸武田氏や毛利氏・吉川氏・沼田小早川氏を支援していた。 |
| 大内氏も対抗して竹原小早川氏・平賀氏・厳島神主家らと手を結び、教弘の代から衝突を繰り返した。 |
| 義廉は寛正6年の段階で畠山義就と政弘の義理の祖父になる山名宗全と繋がっていて、政弘も宗全と連携、これらの確執が応仁の乱の際に反細川氏側につく要因となる寛正6年10月22日に幕府は勝元の要請で政弘退治の書状を出したが、翌文正元年7月30日に政弘を赦免している。 |
| この赦免後に義敏が3ヶ国の守護に返り咲いていることから、幕府は勝元と宗全に対抗して大内氏と斯波氏を取り込もうとしたとされる。 |
| 但し、義敏はすぐに家督を追われ、政弘は領国に留まったままになる。 |
| 応仁の乱では西軍の山名宗全に与力し、応仁元年(1467年)7月に上洛、およそ10年間にわたり畿内各地を転戦する。 |
| そのさなか、文明元年(1470年)に少弐氏、細川氏らに使嗾された叔父教幸が下関で謀反を起こし、政弘は討伐のために陶弘護を帰国させる。 |
| その弘護の活躍もあり文明4年(1472年)には教幸を自害に追い込み、乱を鎮圧する。 |
| 応仁の乱が収束すると文明9年(1477年)11月に山口に帰国する。 |
| 乱後に安堵された周防・長門に加え安芸東条西条ほか石見仁摩郡を安堵され、文明10年(1478年)少弐氏と争い豊前・筑前を得る。 |
| 安芸、石見の豪族や国人らを臣従させ、北九州や瀬戸内海の海賊衆を平定するなど西国の支配権確立に力を傾ける。 |
| 文明12年(1480年)には相伴衆となる。 |
| 長享元年(1487年)、9代将軍足利義尚が行った近江の六角高頼討伐(長享・延徳の乱)には家臣間田弘胤を代理として参陣させた。 |
| 延徳3年(1491年)には上洛し、10代将軍足利義稙に従い再度の六角高頼討伐に従軍する。 |
| 翌明応元年(1492年)には嫡子義興を参陣させた。 |
| 明応3年(1494年)、中風が悪化したため義興に家督を譲り隠居し、翌明応4年(1495年)に死去。 |
内政・文化
| 日明貿易は博多商人と連携し、堺商人と組んだ細川氏と競合しつつ遣明船を派遣した。 |
| また、対朝貿易にも応仁の乱以降力を入れた。 |
| これらで得た莫大な利益は、軍費などに充てられた。 |
| また、応仁の乱後は領国経営にも意を注ぎ、社会秩序の確立に努めた。 |
| 分国法として知られる大内家壁書の多くはこの時期に作られ始めたという。 |
| 和歌・連歌を好み、家中にも勧奨した。 |
| 一条兼良・正広・宗祇・三条西実隆ら多くの歌人・連歌師と交流する。 |
| 荒廃した京から公家、僧侶、雪舟などの芸術家を山口に招き、文化の興隆に尽力した。 |
| 文明12年には宗祇を招き、連歌会を行なっている。 |
| さらに、私家集『拾塵和歌集』を編纂、自作の歌1100余首を残すとともに、准勅撰連歌集『新撰菟玖波集』も後援し、そのなかには自らの歌も多く撰ばれている。 |
| また、当時知られ始めた能楽についても高い関心を示し、文明15年(1483年)に猿楽座宝生が大内館で興行・指導を行った記録がある。 |
| 大内氏は多くの古典を収集し、出版、筆写させた。 |
| 大内版と呼ばれるこれらの出版物のうち、政弘は法華経28巻や漢詩辞書『聚分韻略』を出版している。 |
参考文献
| 山口市編『大内氏と山口市』1982年5月。 |
| 広島県編『広島県史中世通史II』広島県、1984年。 |
| 石田晴男『戦争の日本史9応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年。 |
関連項目
| 室町時代の人物一覧。 |
| 『花の乱』(1994年、NHK大河ドラマ、演:藤岡弘)。 |
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1465年
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父教弘の死により家督を相続する |
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1470年
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少弐氏、細川氏らに使嗾された叔父教幸が下関... |
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大内教弘
父
室町時代中期の守護大名。周防・長門・筑前・豊前・肥前守護。大内氏第13代当主。第11代当主大内盛見の子(一説には大内持盛の次男)。教幸の兄。妻は山名宗... |
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大内義興
大内義興(おおうちよしおき)は室町時代後期から戦国時代にかけての周防の戦国大名。大内氏の第30代当主。 |
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山名宗全
親 父
室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清... |
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大内義隆
戦国時代の武将。周防の守護大名・戦国大名。周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主。父は大内義興、母は正室の内藤弘矩の女。 |
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室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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室町時代中期の守護大名。大内氏の第12代当主。父は応永の乱を起こしたことで有名な第10代当主・大内義弘。官位は刑部少輔、修理大夫。正五位上、従四位下、... |
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