| 1960年1月6日埼玉県川口市に生まれる。 |
| 1970年友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。 |
| 同社が主宰する劇団・「劇団フジ」に入り、児童タレントとして活動。 |
| 1974年日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演。 |
| 1975年NETテレビ(現・テレビ朝日)「あなたをスターに!」で特別賞を受賞したのをきっかけに、芸能プロダクション「ボンド企画」にスカウトされ、芸能活動を開始。 |
| (この時は、堀越高校在学中だった)。 |
| 1977年6月5日東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)より『あこがれ』で歌手デビュー。 |
| 「一億人の妹」というキャッチフレーズの下、立て続けにヒット曲を生み出す。 |
| 1978年同年6月12日から翌年9月24日まで約1年3ヶ月間放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。 |
| 1979年3月5日7枚目のシングル「スプリング・サンバ」発売。 |
| これが大ヒットし、彼女の代表曲となる。 |
| 1979年10月19日「さよならコンサート」を日本武道館で開催日本武道館では初の女性アイドルの単独公演だった。 |
| 「私は女優の世界にお嫁に行きます」との言葉を残し、歌手としての活動を一旦終了した。 |
| 記者会見の際になぜ歌手業をやめるのかとたずねられた際に「私は音痴だから。 |
| 」と自ら発言し物議を醸した。 |
| ただし、後のインタビューでは「歌手活動は最初から数年(2年程度)で止めるつもりだった」とも述べている。 |
| 1984年7月25日10枚目のシングル「悲しみ貯金箱」発売。 |
| 明確な表明をしないまま、なし崩し的に歌手活動を再開した。 |
| 1984年同年発売の写真集『大場久美子』でヌードを披露した。 |
| 1987年実家がもらい火で全焼する。 |
| 1990年サイドビジネスで京都府でレストランの経営を始めるが、経営不振で2年後に閉店する。 |
| 1992年当時の所属事務所ボンド企画が倒産。 |
| これを受けて、翌年、個人事務所「オフィス大場」を設立。 |
| 彼女の母親である大場タカ子がそこのマネージャー等を勤めて、母親と二人三脚で活躍する当時、母親は心臓病を患いながら入退院を繰り返しながら活躍していた。 |
| 1994年4月12日サイドビジネスで経営していたレストランの負債の残金1億400万円を返せないことから、同日、自己破産申告が認められた2年前にレストランを閉店した後、実質的な経営者まで失踪してしまった為、名義上の社長になっていた大場に1億2000万円の借金が残された。 |
| その後大場は分割で月600万円ずつ計1200万円を返済したが、借金はまだ1億400万円あり、体力的にも精神的にも限界に達し、自己破産を申告。 |
| それがこの日に認められたもの。 |
| 1999年6月18日母のタカ子死去。 |
| 2000年3月6歳年下のダンサー兼振付師の高橋てつやと結婚。 |
| 2000年林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。 |
| 同年6月21日、シングルCD「AnimalBlood」をリリースした。 |
| 2005年12月高橋てつやと離婚。 |
| 理由は多忙によるすれ違い生活や、当時彼女が患っていた「パニック障害」の影響等である「パニック障害」による影響が原因の1つであることは、2008年6月15日放送の日本テレビ「いつみても波瀾万丈」にて彼女自身の口から明らかにされた。 |
| 2008年1月18日この日に放送されたフジテレビ「独占!金曜日の告白」にて、8年間パニック障害に悩まされていたことを、初めて公に告白。 |
| 放送後、大反響を呼んだ。 |
| 2008年2月23日「KUMIKOOHBA35thAnniversaryLive」を東京で開催。 |
| ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露する。 |
| 2009年10月認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得するただし、これは民間団体の実施・認定によるもので、公式な国家資格として認められているものではない。 |
| 2011年5月19日10歳年下の会社員の男性と再婚したことをブログにて公表。 |