| 1944年(昭和19年)3月22日大分県別府市にて6人兄弟の末っ子として誕生。 |
| 1959年(昭和34年)別府市立青山中学合唱部所属大分県合唱コンクール優勝。 |
| 中学時代に「NHKのど自慢大会」に出場し、県大会で入賞。 |
| 1960年(昭和35年)4月大分県立別府緑丘高等学校(現・大分県立芸術緑丘高等学校)音楽科入学。 |
| 1963年(昭和38年)4月東洋音楽大学声楽科入学。 |
| 1966年(昭和41年)東洋音楽大学声楽科中退。 |
| 1966年(昭和41年)~1967年(昭和42年)別府市の音楽喫茶などで唄う。 |
| 1968年(昭和43年)3月~博多のクラブ「絹」、「長島」などでジャズシンガーとして活動。 |
| 1972年(昭和47年)7月7日渡辺プロダクションにスカウトされて上京。 |
| 1972年(昭和47年)8月「大塚たけし」の芸名でデビュー。 |
| シングル「自由に生きてほしい」をワーナー・パイオニアから発売。 |
| 1972年(昭和47年)9月29日「日本歌謡祭'72」に出場、「自由に生きてほしい」を唄う。 |
| 1973年(昭和48年)8月2枚目シングル「風は知らない」を発売、フジテレビのドラマ「トリプル捜査線」の主題歌に採用される。 |
| 1974年(昭和49年)~1975年(昭和50年)「大塚たけし」の名前でシングルレコードを2枚発売したが、ほとんど仕事がなく、博堂の不遇時代。 |
| この頃、藤公之介の詩集と出会い、気に入った詩に勝手に作曲して歌を作っていた。 |
| 1975年(昭和50年)秋青山のクラブ「バルセロナ」での、オリジナル曲の弾き語りが評判となる。 |
| 1976年(昭和51年)6月25日日本フォノグラムから、シングル「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」でデビュー。 |
| 1976年(昭和51年)8月25日初のアルバム「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」発売。 |
| 1976年(昭和51年)NHK銀河テレビ小説「幻のぶどう園」挿入歌に「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」が採用される。 |
| 1976年(昭和51年)10月6日横浜音楽祭「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」で出場。 |
| 1978年(昭和53年)2月13日フジテレビ「夜のヒットスタジオ」で「哀しみ通せんぼ」を唄う。 |
| 1978年(昭和53年)4月渡辺プロダクションが、若者のニューミュージック指向を高めようと「ノンストップ」プロジェクトを立ち上げ、博堂もその一員となる(メンバーは、大塚博堂・太田裕美・桑江知子・山下久美子・ルイス・ララ)。 |
| 1978年(昭和53年)6月9日第5回広島平和音楽祭に「めぐり逢い紡いで」と「小さな幸福でよければ」で出場。 |
| 1978年(昭和53年)12月31日第29回NHK紅白歌合戦で布施明が「めぐり逢い紡いで」を唄う。 |
| 1979年(昭和54年)エーザイのCMソングに「もう子供でも鳥でもないんだから」採用される。 |
| 1979年(昭和54年)5月20日東京音楽祭に「もう子供でも鳥でもないんだから」で出場。 |
| 1979年(昭和54年)NHKテレビで「旅でもしようか」が、NHK-FMのイメージソングとして放送される。 |
| 1979年(昭和54年)日本テレビのドラマ「聖女房」の主題歌に「青春は最後のおとぎ話」が採用される。 |
| 1979年(昭和54年)11月10日フジテレビのドラマ、西武スペシャル・「女が職場を去る日」(原作:沖藤典子)主題歌に「花びらは風に」が採用される。 |
| 1979年(昭和54年)12月15日日本テレビのドラマ「ちょっとマイウェイ」、第10話「またメチャメチャになっちゃうよ」に桃井かおり演じる浅井なつみの元恋人のジャズピアニスト・藤倉信夫役で出演。 |
| 1980年(昭和55年)11月21日日本フォノグラムから東芝EMIに移籍し、「センチメンタルな私小説」発売。 |
| 1980年(昭和55年)NHKテレビで「センチメンタルな私小説」が、NHKのイメージソングとして放送される。 |
| 1981年(昭和56年)「春は横顔」が、マックスファクター春のキャンペーンソングに採用される。 |
| キャッチフレーズは「春は横顔新発見」(3月までCMで放送される)。 |
| 1981年(昭和56年)3月21日東京音楽祭に「トマトジュースで追いかえすのかい」で出場。 |
| 1981年(昭和56年)4月10日福島県郡山市でのコンサートが、春の全国ツアー最後となる。 |
| 1981年(昭和56年)5月5日NHKテレビ「子供の歌のフェスティバル」に出演。 |
| 1981年(昭和56年)5月14日早朝、目黒区青葉台のマンション自宅で脳内出血により倒れる。 |
| 1981年(昭和56年)5月18日入院中の東邦大学付属大橋病院にて逝去、37歳没。 |
| 1981年(昭和56年)5月19日東京都品川区の桐ヶ谷寺で告別式が行われる。 |