| ファイル:Oyamatraining.jpg|thumb|280px|left|ウエイトトレーニングに励む28歳頃の大山倍達。 |
| 空手家として最も早くパワーの必要性に気付いていた。 |
| 青年時代より、日本ボディビル界の祖と言われた若木竹丸の著書「怪力法」に影響を受け、戦後実際に若木よりウエイトトレーニングの指導を受けた。 |
| 発達した胸筋と背筋のためレントゲン撮影では薄く影が出来るほどであったといわれる。 |
| またパンチ力の増強のために懸垂が有効と聞けば、最後は片手懸垂を連続20回こなすほど腕力があった。 |
| その反面、若い頃の大山の空手は、荒々しく実戦を重視しすぎていたため、巻き藁突き・サンドバッグ・組手稽古・ボディビルの鍛錬ばかりして、型の稽古を嫌い、たびたび先輩方から苦言を受けるほどであった。 |
| 空手修行時の大山を知る空手関係者は異口同音に「彼は力は強いし、組手や実戦は強いが型は下手」と語っていた。 |
| 壮年期から晩年にかけて好んで剛柔流の「転掌」や「鉄騎」を演じるフィルムが現存し重厚で見事な型稽古を見ることができる。 |
| 第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会において、最後の演武は創作型「円転掌」であった。 |
| 「空手バカ一代」の爆発的人気により、伝説的存在として「大山神話」が広まったが、実際のところ戦後の一時期においては、敗戦という心の痛手の為に、暴力団の用心棒稼業を行ったり、娼婦といちゃつく進駐軍の軍人を叩きのめして回り、指名手配されるなどの荒れた生活であった。 |
| 進駐軍の憲兵隊から追われる身となった大山は一度逮捕されるが、すきを見て脱走。 |
| 衆議院議員であった小沢専七郎の助力で身を隠す為に仕方なく身延山、それに引き続き清澄山に山篭りすることとなった。 |
| 松濤館の船越義珍から1年3か月で初段を得て以降、剛柔流の山口剛玄や曺寧柱(書籍における日蓮宗僧籍“曺七大師”)、大東流合気柔術の吉田幸太郎、朝鮮YMCAからアマチュア・ボクシング、ピストン堀口からプロボクシング(実際地方のボクシング興行で試合した経験もあり)、曾根道場での講道館柔道、若木竹丸や井口幸雄などからボディビルや重量挙げ、金城裕から沖縄空手との交流や空手界の古老との仲介役になってもらったりと、当時としても多岐に渡る格闘技、武術関係者との親交を深める。 |
| File:MasahikoKimura(1917-1993).jpg|thumb|170px|left|柔道史上最強といわれる木村政彦。 |
| 大山は木村とも親交があった。 |
| また、武術修行のみならず、船越門下では実力随一であった船越義珍の三男「義豪」を見舞ったり、本部朝基の弟子、山田辰雄(書籍では由利辰朗)、太気拳の澤井健一、玄制流空手、躰道の祝嶺正献、虎殺しの空手家である山元勝王などとも親交を結んでいた。 |
| 「不世出の達人」「武道の神様」と称された合気道家の塩田剛三は拓殖大学の先輩にあたり、澤井健一と共に養神館本部道場で稽古を見学したこともある。 |
| 拓殖大学の先輩には、柔道史上最強と言われる木村政彦も居る。 |
| 全日本選手権を13連覇し「鬼の木村」と怖れられた。 |
| 大山は若い頃この木村の強さに惹かれ柔道の試合を観戦しているが、晩年「木村の全盛期ならヘーシンクもルスカも3分もたないと断言できる」とまで言っている。 |
| この木村政彦との戦後の深い親交については『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)に詳述されている。 |
| この作品は、木村政彦vs力道山戦で木村が力道山の八百長破りでKOされた時にリングサイドにいた大山の怒りと悲しみを克明に描写している。 |
| 木村がリングに倒れた時、大山はその場で立ち上がってリングに上がり力道山を倒そうとするが、周りの人間が必死に止める。 |
| まさに最強の男たちの運命が交錯する歴史的瞬間であった。 |
| また増田は、柔道側からの新視点による綿密な取材から「大山は間違いなく日本屈指のストライカー(打撃格闘家)だった」と断言している。 |
| ファイル:Satō_Eisaku.jpg|thumb|170px|極真会館初代会長の佐藤栄作首相。 |
| 大山は大物達を惹き付ける魅力を持っていた。 |
| 著名な政治家とも親交があり、極真会館の初代会長を衆議院議員の佐藤栄作(極真会館設立の3か月後に首相に就任)、副会長を衆議院議員の毛利松平が務めた。 |
| 衆議院議員であった辻兼一や同じく衆議院議員の小沢専七郎は、戦後の荒れた時期、大山の庇護を行っていた。 |
| 大山は極真会館の門弟にとっては何者にも代え得ない絶対無比のカリスマであった。 |
| それゆえにの大山の死は、上位クラスの指導者や大山の遺族などの間で“極真”の主導権や方向性・商標、そして大山の後継者の座を巡っての数多くの諍いが繰り広げられる直接の引き金となった。 |
| かくて、大山が作り上げた極真空手は内紛と分裂、さらには大山の“極真”の正当後継を自認する団体の乱立で現在に至るまで揺れ続けている。 |