| 東京都立田柄高等学校出身(1期生)、日本デザイナー学院中退、(実質二浪で)東京国際大学へ進学、その後中退。 |
| 父、母、兄の4人家族。 |
| 父は信用組合の理事で支店長をしていた「週刊新潮」1990年1月11日号より。 |
| 兄はTVカメラマンの大槻慎一(1964年-)日本テレビ系『メレンゲの気持ち』出演時のトークより。 |
| 父方の伯父は松竹を経てフリーとなった映画監督の大槻義一(おおつきよしかず、1927年7月26日-)「キネマ旬報」2006年6月下旬号「オーケンの映画と私第14回僕の映画のルーツは、親父と伯父と時々、木下恵介!?」より『日本映画人名事典監督篇』(キネマ旬報社)より。 |
| 特に両親は大槻のエッセイにも度々登場しており、その時々で面白おかしくエピソードが披瀝されている。 |
| 大槻いわく父は「石橋を叩いても渡らない」几帳面な人間で、母は「イー加減」「アバウト」で大らかな人間である。 |
| 筋肉少女帯が売れ出した頃、ライブに出かける際、母親に「ケンちゃんコロッケ揚げたてだから、食べていきなさい!」と呼び止められたり、感謝の意も込め収入からまとまったお金を渡すも、父親は息子が仕事にあぶれても収入が得られるようにとそれを元手に賃貸アパートを購入するなど、家人のおよそロックとはかけ離れた庶民臭さを嘆いている。 |
| アーティスト名の表記を大槻ケンヂとしたのはKENZI&THETRIPSのケンヂを真似たものであるTBS系『はなまるマーケット』出演時のトークより。 |
| 1970〜1980年代にヒットしたサブカル誌「ビックリハウス」の常連投稿者(ハウサー)だった。 |
| 当時の年齢は13歳。 |
| 「ビッグムーン大槻」というペンネームで、「ジャパベン共和国」というコーナーでは外務大臣の地位を得ていた。 |
| 「気弱な文学青年」という自己形容の通り、普段は穏やかでユーモラスだが、議論の際にはストレートな物言いを見せる一面もある。 |
| 1990年頃、伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った(後に伊集院とは和解している)。 |
| また、大槻は今でこそ自身もオタクの一員ということを否定しないが、「オタク」という言葉が確立する以前、『オールナイトニッポン』のパーソナリティ時代に、今で言うところのアニメオタク達を「アニマー」と名付けて批評したところ、リスナーとの間で激しい論争となった。 |
| 1990年代のバンドブームの最中を第一線で過ごした人物として、バンドブーム時代の追っかけギャル達の生態やヴィジュアル系と言われるバンド群に関して、小説やエッセイ、対談などで多く言及している。 |
| また自分自身(筋肉少女帯)を「Xは光、筋少は影」などとしてヴィジュアル系の元祖であることも自書やエッセイでほのめかしている。 |
| 26歳からの3年間、タイで食べたオムレツに入っていたマジックマッシュルームがきっかけで心的外傷後ストレス障害に悩まされる絶望に効くクスリVol.7(ISBN4-09-151092-2)第63夜武装解除の野原(後編)。 |
| 自身のエッセイ「神菜、頭をよくしてあげよう」によると、この一件以来キノコ類が食べられなくなってしまったという。 |
| 快獣ブースカのぬいぐるみを我が子と称して多数所持しており、寝食を共にするほど。 |
| 特撮ではブースカをモデルにした「文豪ボースカ」という曲を制作、ライブのMCにもボースカ(ブースカ人形)を参加させている。 |
| エッセイなどで臆面もなく「スケベー」と自認する。 |
| 幼少時に水に濡れてスーツがテカテカになっていたウルトラセブンを観て性に目覚めたと語る。 |
| また、第39・40話「セブン暗殺計画」での夕日に照らされる十字架張りされたセブンに勃起したとも発言している。 |
| バンド結成以前は女性との縁も皆無で交際のきっかけさえ掴めずポルノ雑誌やビニ本、アダルトビデオで性欲を処理、バンドを結成してインディーズで話題になるまで全くモテなかったと言う。 |
| また初体験の相手はデビューしてから彼を取り巻きはじめた『ナゴムギャル』(ナゴムレコードファンの女の子)で、言い寄ってきた女性ファンらとその都度性交目的の交渉を行っていた。 |
| バンドブームが隆盛するに従い、スタッフがバンドメンバーに女性ファンを手配するようになり、さらにはロックバンドとの性交渉目的の女性ファン(ファック隊)にまで手を広げる。 |
| 数多の女性遍歴を自著やトークなどにおいて赤裸々に語っており、性経験を題材にしたエッセイ『愛の履歴書』や『バンドマンの恋人になる方法』を著している。 |
| 噂に基づく推測で「千人斬り」と目されてきたが、テレビ番組『美しき青木・ド・ナウ』にゲスト出演した際、大槻は「千人も斬ってないから300人くらいに直しておいて」と訂正を求めた。 |
| 童貞時代の性に対する執着と妄想を熱心に語る反面、言い寄ってきた女性らに「自分だけは特別でありたいと願う自己顕示欲を満たす代償行為としてのセックスではないか」と述べている。 |
| 「物品販売も大事」と悟り、バンド活動と共に販売促進に勤しむ面もある。 |
| 容姿は筋肉少女帯メジャーデビュー直後くらいまでは黒髪で上に立たせるような髪型にメガネを着用していたが、アルバム「猫のテブクロ」の頃からは茶髪に長髪を下に垂らすような髪型に変わり、2000年代の頃からモヒカン刈りになった。 |