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大槻玄沢
仙台藩の支藩一関藩(田村氏領)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有... |
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大槻磐渓
友達
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大槻如電
明治時代から昭和時代初期にかけて活躍した学者・著述家。本名は清修。字(あざな)は念卿。通称は修二。如電は号。仙台藩士大槻磐渓の子。 |
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高田宏
高田宏(たかだひろし、1932年8月24日-)は日本の作家・随筆家。 |
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新村出
日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 |
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江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。杉田... |
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大槻平泉
大槻平泉 【おおつき-へいせん】 1件の用語解説(大槻平泉で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 大槻平泉 おおつき-へいせ... |
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筋肉少女帯
1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍し、2006年に活動を本格再開した日本のロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-... |
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橋本進吉
日本の言語学者・国語学者。日本語の音韻史の研究で知られる。また、「文節」を重要視し、学界だけではなく教育界にも大きな影響を与えた。その文法体系は「... |
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坂本嘉治馬
日本の実業家。明治、大正期を代表する出版社、冨山房を神田神保町に設立した。土佐国(高知県)宿毛村出身。 |
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北原保雄
北原保雄(きたはらやすお、1936年-)は日本の国語学者・言語学者。筑波大学名誉教授・元学長、独立行政法人日本学生支援機構理事長、文化審議会委員(国語分... |
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時枝誠記
日本の言語学者。文学博士。明治以前の国語学史の検討から、西洋言語学の批判を行い、言語過程説と呼ばれる独自の学説を建設し、これに基づいて形成した国語... |
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西村茂樹
西村茂樹(にしむらしげき、1828年4月26日(文政11年3月13日)-1902年(明治35年)8月18日)は日本の啓蒙思想家、文部官僚。東京学士会院会員、文学博士。 |
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松井簡治
明治から昭和にかけて活躍した国語学者。旧姓は宮内。号は刀水、碧湾。下総国銚子(現・千葉県銚子市)出身。帝国大学特約生教育学科を修了後文科大学国文学... |
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金田一京助
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武藤康史
日本の評論家、書誌学者。東京生まれ。都立国立高校卒業。慶應義塾大学文学部国文学科卒業、同大学院修士課程修了。中世和歌専攻。武蔵野音楽大学准教授(日... |
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建部清庵
建部清庵(たてべせいあん、正徳2年7月11日(1712年8月12日)-天明2年(1782年))は江戸時代中期の医者。陸奥国一関の地から杉田玄白と書簡を交わし、蘭学の... |
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物集高見
物集高見(もずめたかみ、弘化4年5月28日(1847年7月10日)-昭和3年(1928年)6月23日)は豊後国(大分県)出身の国学者。 |
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伊藤博文
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プロフィール
- 大槻文彦とは
- 経歴
- 『言海』の出版とその意義
- 『言海』完成祝賀会
- 著書
- 関連項目
- 参考文献
- 関連サイト
大槻文彦(おおつきふみひこ、1847年12月22日(弘化4年11月15日)-1928年2月17日)は、日本の国語学者。本名は清復、通称は復三郎、号は復軒。江戸出身。日本初の近代的国語辞典『言海』の編纂者として著名。宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)校長、国語調査委員会主査委員などを歴任し、教育勅語が発布された際にいち早く文法の誤りを指摘したことでも有名。明六社会員。帝国学士院会員。
経歴
| 儒学者・大槻磐渓の三男で、兄に漢学者の大槻如電、祖父は蘭学者の大槻玄沢である。 |
| 幕末には、仙台藩の密偵として鳥羽・伏見の戦いに参戦してもいる。 |
| 戊辰戦争後は、徳川側に付き奥羽越列藩同盟を提唱した父の大槻磐渓が戦犯となった際には、兄の如電とともに助命運動に奔走した。 |
| 開成所、仙台藩校養賢堂で英学や数学、蘭学を修めたのち、大学南校を経て、1872年に文部省入省。 |
| 1875年に、当時の文部省報告課長・西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられ、1886年に『言海』を成立、その後校正を加えつつ、1889年5月15日から1891年4月22日にかけて自費刊行した。 |
| その後、増補改訂版である『大言海』の執筆に移るが、完成を見ることなく増補途中の1928年2月17日に自宅で死去した。 |
| なお編著『伊達騒動実録』は伊達騒動の基本資料となっている。 |
『言海』の出版とその意義
| 『言海』執筆の過程で、日本語の文法を、英語に即して体系づけてしまったことは大きな---しかし日本語の本態を抑圧したという問題を孕む---副産物といえる。 |
| 『言海』の巻頭に掲げられた「語法指南」は、これを目的に『言海』を求める人もいるほど日本語の文法学の発展に寄与し、後に『広日本文典』として独立して出版された。 |
| 19~20世紀にかけて、英・仏・米・独・伊などの、いわゆる「列強」と呼ばれる各国では、国語の統一運動と、その集大成としての辞書作りが行われた。 |
| 具体例を挙げるなら、英の『オックスフォード英語辞典』、米の『ウェブスター大辞典』、仏のリトレによる『フランス語辞典』、独のグリム兄弟による『ドイツ語辞典』などがある。 |
| 『言海』の編纂も、そうした世界史的な流れの一環としてみることができる。 |
著書
| 言海(1889年-1891年、全4冊) 新版.ちくま学芸文庫全1冊。 |
| 広日本文典(1897年)。 |
| 広日本文典別記(1897年)。 |
| 根岸及近傍図(1901年)。 |
| 復軒雑纂(1902年)、平凡社東洋文庫(全3巻予定)、2002年に第1巻「国語学・国語国字問題編」のみ刊。 |
| 口語法(1916年)。 |
| 口語法別記(1917年)。 |
| 大言海(1932年-1937年、全5冊、文彦の没後完成) 新版一冊本で冨山房。 |
参考文献
| 第5回大佛次郎賞・第10回亀井勝一郎賞受賞。 |
| 大島英介『遂げずばやまじ 日本の近代化に尽くした大槻三賢人』 岩手日報社、2008年10月。 |
| ISBN4-87201-3913。 |
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1872年
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文部省入省 |
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1891年
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文彦の旧仙台藩の先輩・富田鉄之助が、芝公園... |
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