| 1983年5月21日、EPICソニー(現・エピックレコードジャパン)からシングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKUWAKU』にて本格デビューした。 |
| 当時のレコーディングは、六本木ソニースタジオの「A」と「B」スタジオを使用して行われた。 |
| 青山純や中村哲などの一流ミュージシャンを起用してのデビューアルバムで、アレンジには当時の洋楽トレンドを上手く練り込んでもいる。 |
| キャッチフレーズは「私の玉子様、スーパースターがコトン」(作者は当時コピーライターだった林真理子)。 |
| デビューライブは5月21日に神戸チキンジョージで行われた。 |
| 東京における初めてのライブは、新宿ルイード(現在は閉鎖)での白井貴子とのジョイントである。 |
| 11月6日、在籍中の大学の学園祭(後夜祭)に出演する(1992年にも出演を果たす)。 |
| 当時は現役の大学生だったため、東京~大阪間の移動を繰り返しており、当時のEPICソニー宣伝担当に「日本一忙しい大学生」と呼ばれていた。 |
| 1984年1月、初のホールコンサートである『Boys&GirlsTogether』を東京・日本青年館と大阪厚生年金会館で行う。 |
| 3月26日に大学を無事卒業し、東京へ引っ越す。 |
| 11月、CM初出演となった、味覚糖(現・UHA味覚糖)「DATEKISS」のCM曲「十人十色」がスマッシュ・ヒット。 |
| これが「出世作」となり、人気ミュージシャンの仲間入りを果たす。 |
| 1985年、コンサート(『未成年ツアー』、『千里が街にやってくる』)、学園祭で全国を回る。 |
| チケットは即日売り切れ、全国的に「チケットパニック」を引き起こす。 |
| 1986年、8月には軽井沢音楽祭ライブを軽井沢プリンスホテル野外特設会場で行う。 |
| 1987年、『AVECツアー』で初めての日本武道館ライブを実現させる。 |
| 渡辺美里がゲストとして出演、「本降りになったら」をデュエットで歌った。 |
| 1988年7月、夏のライブイベント『納涼千里天国』開始(群馬県・浅間高原)。 |
| 1991年9月、TBS「結婚したい男たち」の主題歌としてリリースした23枚めのシングル「格好悪いふられ方」がオリコン2位を獲得。 |
| これが大江のオリコンにおける最高順位(シングル)であるちなみに1位は槇原敬之の「どんなときも。 |
| 1992年3月、日本テレビのスペシャルドラマ『夢見るくらい、いいじゃない』で音楽監督を務める(大江のオリジナル曲によるもの)。 |
| 1993年にデビュー10周年を迎えた。 |
| 1994年、『納涼千里天国』が横浜スタジアムで行われるが、大雨と雷雨のため40分遅れのスタートとなる。 |
| ゲストには、フジテレビ『ポンキッキーズ』のガチャピンとムック、そして伊集院光が出演した。 |
| 1995年、1月17日5時46分52秒に起きた阪神・淡路大震災を受け、2月に西宮市でボランティア活動を行い、炊き出し作業や小学校でピアノ一本による弾き語りライブを行う。 |
| 同じく被災者救済を訴えていた泉谷しげると組み、東京駅地下街で3月20日にゲリラライブを開催。 |
| さらに、泉谷と共に嘉門達夫(神戸のホテルに宿泊中地震に遭遇した)の震災チャリティーシングル「怒りのグルーヴ~震災篇」にもコーラスで参加した。 |
| そして、8月12日に神戸メリケンパークで泉谷が中心になって『日本をすくえ』ライブにノーギャラで出演した(1996年も実施)。 |
| さらに、千葉マリンスタジアムで行われた『納涼千里天国』にも泉谷がゲスト出演(乱入)し、「春夏秋冬」を披露した。 |
| 1996年、5月4日の渋谷タワーレコードがきっかけで、CDのリリースの度に、日本の主要都市でのCDショップでインストアイベントによるトークショーと握手会を行い、さらなるファンとの交流を深めていた(2007年まで)。 |
| 『納涼千里天国』がハワイ・シーライフパークで行われ、初の海外ライブを実現させる。 |
| 1997年、大江が司会をしていたNHK『トップランナー』で引田天功がゲストの時、大江が天功に捧げる曲を披露する。 |
| この曲が後にアレンジされ、翌年のアルバム『ROOM802』収録の「TheMuses」になった。 |
| 『納涼千里天国』が初の全国ツアー形式で行われたが、7月27日の広島ドルフィンビーチでの公演が台風のためデビュー以来初めての中止。 |
| 以後、『納涼千里天国』は2002年まで開催されなくなる。 |
| 1998年、デビュー15周年記念ライブを東京、横浜で行い、スペシャルゲストには、渡辺美里、国本武春、引田天功が駆けつけた。 |
| 映画「ドラえもん」の劇中音楽を担当する(1999年も担当)。 |
| 1999年、初の試みであるアコースティックライブ『4ward』を行う。 |
| 2000年、デビュー以来所属していたEPICソニーから離れ、個人レーベル「StationKidsRecords」を立ち上げた。 |
| 大晦日には、21世紀カウントダウンライブを東京グローブ座で行い、ファンと共に21世紀を祝った。 |
| 2002年、初のディナーショーを名古屋ウェスティンホテルで開催。 |
| 2003年、2月にはエピックレコードジャパン25周年記念イベント『LIVEEPIC25』に参加。 |
| 5月21日にデビュー20周年を果たした。 |
| 大江が司会のTOKYOFM『大江千里のLiveDepot』に岩崎宏美がゲストで出演した際に意気投合し、その後、岩崎の作品にピアノで参加、楽曲提供も行った。 |
| 2004年、日本テレビ『インディーウォーズ』で一緒に司会をしていた山川恵里佳とのユニット(ellliewithsenri)を番組のために結成させる。 |
| 池上本門寺で行われた『納涼千里天国』で、ellliewithsenriの「ひまわり」を披露する。 |
| 2005年、渡辺美里の西武ドームラストライブにDonDokoDonの山口智充と共にゲスト出演した。 |
| 2007年、8月11日の新潟市政令指定都市記念『日本海夕日コンサート』に出演。 |
| 12月13日から12月16日まで六本木・俳優座劇場で引田天功の『プリンセス天功まつり』の音楽を担当する。 |
| 12月22日、ニューヨークでジャズを学ぶため、日本国内での音楽活動を長期休業すると自身のブログ「千里の森」で発表した。 |
| 秋公開の映画『能登の花ヨメ』(白羽弥仁監督)の音楽監督を務める。 |
| 2010年、5月21日にデビュー27周年を迎えたが、この日、2007年末の日本国内での音楽活動休止以来初めて、日本へ一時帰国する。 |
| 9月12日、ニューヨークの本願寺で飯島晶子の詩の朗読に載せて「原爆ピアノ」(被爆ピアノ)を演奏した。 |
| 2月26日、大江が私用で日本に緊急帰国し、代官山の「レザール」と、高円寺の「醍醐」(いずれもライブハウス)で河上修との「duogig」を行い、久しぶりに日本国内での音楽活動休止後の国内ライブを実現させる。 |