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プロフィール
- 大矢明彦とは
- 来歴・人物
- 監督としての用兵・采配の特徴
- 年度別打撃成績
- 年度別監督成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 出演番組
- 関連項目
大矢明彦(おおやあきひこ、1947年12月20日-)は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者。二女は2004年から2005年に横浜の2代目オフィシャル・リポーターを務めていた 大矢陽子。
来歴・人物
| 早稲田実業高等部から駒澤大学へ進学。 |
| 東都大学リーグ通算94試合出場、326打数84安打、打率.258、12本塁打、53打点。 |
| のドラフト7位でヤクルトアトムズに入団。 |
| 鉄砲肩の殺し屋と称された球界一と言われた強肩、また「スマートな身体、甘いマスク」の持ち主で、それまで「太め、鈍足」のイメージのあった捕手像を変え、にはヤクルト球団初のリーグ優勝・日本一に貢献するなど永く正捕手として活躍。 |
| 球審の特徴やクセを把握し、ゲームに活かすのが上手だった。 |
| 松岡弘、安田猛などヤクルトの投手が活躍した陰には、彼の功績が大である。 |
| しかし打力面では非力であり、控え捕手だった同期入団の八重樫幸雄が持ち前の打力で正捕手の座を奪うと出場機会が減り、に現役を引退。 |
| 引退後、1986年から1992年までフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者として活動。 |
| その後、1998年から2006年までフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者として再活動。 |
| 2010年から再びフジテレビ、ニッポン放送の野球解説者を務める。 |
監督としての用兵・采配の特徴
| コンバートを非常に好み、第1期・第2期共に積極的なコンバートを行っている。 |
| 第1期では三塁手だった石井琢朗を遊撃手に、遊撃手だった進藤達哉を二塁手に、二塁手だったロバート・ローズを三塁手へと入れ替える内野総コンバートや、当時絶対的な信頼を誇る中継ぎであった盛田幸妃の先発転向など思い切った改革を進めた。 |
| 結果として、石井は遊撃のレギュラーとして永年にわたってベイスターズの内野を支えたものの、他の選手、特に盛田とローズに関しては失敗に終わった。 |
| ローズについてはその後二塁手に戻り、進藤が三塁に入る形で実質石井と進藤の入れ替えという形になった。 |
| 盛田については1年目で失敗しているにもかかわらず、深刻な先発投手不足から二年目の1997年にも開幕投手を任せたりしている。 |
| 第2期では前年の2006年から外野と一塁を兼任していた吉村裕基を一塁手に専念させ、牛島監督時代に「クワトロK」と呼ばれていた中継ぎ投手陣も加藤武治と川村丈夫を中継ぎから先発へ転向させてこれを解消、中継ぎ左腕不足の事情から那須野巧を先発から中継ぎへマーク・クルーンの移籍から寺原隼人を先発からストッパーにコンバートさせた。 |
| 吉見祐治もシーズン途中に先発と中継ぎを掛け持ちさせている。 |
| 那須野はほぼ年間を通して左の中継ぎとして活躍したが、加藤と川村はローテを守れず、またしても失敗に終わった。 |
| 吉村はその翌年からまた外野手にコンバートし、2年間ライトのレギュラーを務めた。 |
| 第1期1年目の1996年は抑えの佐々木主浩に頼らないぐらいの自覚を持たせるべく、先発投手陣に完投を求め、完投数はリーグ2位の25を記録している(完投数リーグ1位は優勝した読売ジャイアンツの30)。 |
| 斎藤隆が延長戦を1人で投げ抜くこともあった。 |
| しかしその結果、チーム防御率は4.67とリーグワーストを記録し、順位も同一リーグ全球団負け越しの5位で、しかもこの年最下位だった阪神タイガースに1ゲーム差と迫られるなど、あわや完全最下位という有様だった。 |
| それ以降では方針を転換し、頻繁に投手交代をするようになった。 |
| 特に第2期のチームは先発が弱かったため第1期時代の先発ピッチャーの野村弘樹が引退、斎藤、川村のリリーフ転向以降、エース三浦大輔、年によって先発とリリーフを行き来する吉見祐治以外の新たな先発ピッチャーが育たず、2007年は寺原隼人、土肥義弘、工藤公康の移籍組の活躍で4位に入ったものの、翌年の寺原のリリーフ転向と土肥、工藤の不調などでまた先発陣が不足した、リリーフに頼らざるをえない状況であった。 |
| ワンポイント継投が多く、一試合に多数の投手を起用することがしばしばあったため、マシンガン打線をもじってマシンガン継投と揶揄された。 |
| 第1期では前任監督が同様に良く動くタイプの近藤昭仁だったため目立たなかったが、第2期では前任監督が消極采配の牛島和彦だったために違いが際立つようになった大矢退任後も先発陣の弱体化が続いたため、後任の尾花高夫も頻繁に投手交代を行っている。 |
| 野手や代打起用は、相手が右投手なら起用する打者は左などの様に、基本的に相手投手の左右によって決めている。 |
| これは投手起用も同様で、上記のマシンガン継投に繋がっている。 |
| 捕手は負担が大きいため8番に置くのが持論であるが、2007年には相川亮二の打撃が好調で規定打席を達成させるために2番に置いたこともある。 |
| 投手の起用法については「ベテランに敗戦処理をさせても意味はない(プライドを傷つけられて腐るだけ)」、「若い、経験の少ない投手なら敗戦処理でも『投げさせてもらえる』とプラスに作用させられる」という持論を持っている。 |
| これは千葉ロッテマリーンズの監督を務めたボビー・バレンタインの持論と真っ向から対立している。 |
年度別監督成績
| ※11996年は130試合制。 |
| ※21997年から2000年までは135試合制。 |
| ※32007年からは144試合制。 |
| ※42009年はシーズン途中から休養。 |
| 以降の監督代行は田代富雄。 |
| ※5通算成績は、2009年の休養後の107試合を含めない。 |
表彰
| ベストナイン:2回(1978年、1980年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:6回(1972年、1975年-1978年、1980年)。 |
| 月間MVP:1回(1980年8月)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:7回(1971年、1972年、1974年、1975年、1978年~1980年)。 |
| 通算1000試合出場:1978年8月6日(202人目)。 |
背番号
| 32(1970年)。 |
| 27(1971年-1985年)。 |
| 75(1993年-1995年)。 |
| 81(1996年-1997年)。 |
| 85(2007年-2009年)2度目の横浜監督就任時の背番号85は第1期横浜監督時代にバッテリーコーチを務め、前年に白血病で死去した小山昭晴の背番号を選んだ。 |
出演番組
| ニッポン放送ショウアップナイター(ニッポン放送):1986年~1992年、1998年~2006年、2010年~。 |
| プロ野球ニュース(フジテレビ):1988年4月~1992年3月(週末キャスター)。 |
| CSプロ野球ニュース(フジテレビ739):2004年~2006年(金曜日司会)。 |
| SWALLOWSBASEBALLL!VE(フジテレビ739):2005年~2006年、2010年~。 |
| ものまね王座決定戦(フジテレビ):審査員として出演。 |
関連項目
| 東京都出身の人物一覧。 |
| 東京ヤクルトスワローズの選手一覧。 |
| 大杉勝男-現役時代の同僚で、フジテレビの解説者仲間。 |
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1947年
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大矢 明彦(おおや あきひこ)は、東京都大田... |
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1978年
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通算1000試合出場:(202人目) |
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投票数
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