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プロフィール
- 大道典嘉とは
- アマチュア時代
- ホークス時代
- ジャイアンツ時代
- 人物
- エピソード
- 年度別打撃成績
- 記録
- 背番号
- 登録名
- 著書
- 関連項目
大道典嘉(おおみちのりよし、本名:大道典良(読み同じ)、1969年10月28日-)は、元プロ野球選手、現ヤンキース巡回コーチ。現役生活23年のうち、規定打席に達したのは一度(1997年)のみであった。また南海ホークスに在籍したことのある、最後の現役選手だった。
アマチュア時代
| 明野高校2年生の夏に甲子園出場。 |
| ただし、この時は控え投手(4番手)で試合には出場していない。 |
| センターのレギュラーになったのは2年の秋からである。 |
| 当時、四番の奥野、エースの近藤と共に三羽烏と呼ばれていた。 |
ホークス時代
| 南海ホークス最後のドラフト()で4位指名を受け、入団するも、レギュラー定着には至らなかった。 |
| 入団当時の体重は70キロで現在より30キロ以上痩せていた大道典嘉『仕事人バット短く、息長く』中央公論新社、2011、21頁。 |
| 1989年10月14日の近鉄戦で8回代打で初出場し阿波野秀幸からプロ初安打を打った。 |
ジャイアンツ時代
| 2011年はニューヨーク・ヤンキースの組織で巡回コーチとしてコーチの研修を積んでいる |
人物
| 吉田豊彦が2007年限りで引退して以降、大道は自身が引退する2010年まで「最後の現役南海ホークス戦士」だった。 |
| なお、大道と同期入団の5選手も全てプロとしてのキャリアは10年以上経験しており、総じて長期にわたって活躍している。 |
| 愛称はコンバット満が名づけた「福岡の宅麻伸」(顔がそっくりである)、友人からの愛称として「のりちゃん」がある。 |
| また、南海時代から生き残るホークスの名物男としてあぶさんこと景浦安武ただし、景浦は2009年で引退している。 |
| と並び称される存在でもある。 |
| ひょうきんな性格で知られており、オフには博多華丸やコンバット満らと漫才をすることも。 |
| 巨人移籍後は一軍在籍時にはズームイン!!サタデーのコーナー「プロ野球熱ケツ情報」にたびたび登場している。 |
| 2008年は同コーナーの総出演時間が選手の中で最も長かった。 |
| 2008年12月20放送『熱ケツ総集編2008』の回より。 |
| ただし、本人はズームイン!!サタデーを見ていないことを公言している。 |
| 2009年8月1日放送『テーマ・ズムサタ』の回より。 |
| しかし、結果的に当たり、400円が約100万円になった事で大喜びしていた |
| その後プロボクサーで大道と同じく競馬ファンでもある亀田大毅らとも親交を深めている。 |
| 2006年6月17日の対中日戦では柴原洋の代打で出場し、そのままこの年初めて外野の守備に就いた(右翼手)。 |
| この事について大道は「ヒットよりも、外野を守ったのがちびりそうだった。 |
| 外野はもう5・6年守ってないんじゃないかな」と述べている(実際には2005年以外は毎年外野を守っているのだが、2001年以降は外野での出場機会が激減したため、本人が覚えていなかったと思われる)。 |
| 2006年に大道が外野を守ったのは、この1試合のみである。 |
| 数多くのタイトルを獲得している松中信彦が代打での難しさを「大道さんの凄さが改めてわかりました。 |
| 1打席で試合に入り込むのは難しい。 |
| それでも大道さんはしっかり成績も残してるんですからね」と語っている。 |
| 2000年・2001年にはそれぞれ10試合程度2番で起用されたことがある(この時期の大道は主に3番や6番を打っていた)。 |
エピソード
| 長年、ヘルメットに113の数字のシールを貼っていた。 |
| これは、大道と同じ三重県出身で、勝負強い中距離ヒッターになるきっかけを与えてくれた球団スタッフ・山本穰(2000年急病で逝去)の背番号である。 |
| シーズンが終わった2006年10月15日、大道が妻との外出中、携帯電話に球団幹部からの戦力外通告を受けた。 |
| この事に関し、大道は「南海時代からホークスの選手として頑張った自負があったし、引退試合ぐらいはさせてもらえると思っていた。 |
| それだけに、携帯電話での戦力外通告というのはショックだった」と語っている。 |
| 同時に、現役続行を希望した際に巨人に入団できたのは、巨人OBである王貞治監督の口添えと紹介があったからだとも語っている。 |
| 2007年、キャンプ中の負傷で出遅れた大道が初めて一軍に昇格した際、原辰徳の待つ監督室に呼ばれ、原に「大道、分かってるな?」と昇格の意味を問われ「分かってます。 |
| 左投手打ちは任せて下さい!」と答えようとしたところ、原が「ムードメーカーな」と言い出した。 |
| 大道は2度・3度と聞き直したが、やはり原は「ムードメーカーだ」とキッパリ断言するというやりとりがあったと『ズームイン!!サタデー』で明かしている。 |
| 事実、ベンチにいる際はその役割を全うし、後継者は脇谷亮太だとまで語っている。 |
| 2007年はほとんどが代打でシーズン打率3割を記録したが、代打打率は30打数8安打の.267である。 |
| 残りの6打数3安打は守備固めとしての出場や代打の後にもう1打席回ってきた後に打ったものであり、実は代打打率はそこまで高くはなかった(同じく主に代打での出場だった矢野謙次も代打打率はシーズン打率を大きく下回り.256だった)。 |
| しかし、大道は「スタメンは3割打てれば一流、代打は2割5分打てれば一流」とも語っている。 |
| 投手の球種や癖を判別するのが得意であり、元同僚のソフトバンク・和田毅は「4球ですべて見破られた」と語っている(また、同発言の後に大道は「(ホークス投手の)まだ教えていない癖もありますよ」と述べている)。 |
| 腹が出ていることを巨人に移籍してから自虐的に語ることがあり、「スポーツ選手で相撲以外で腹が出ている選手で現役なのは僕ぐらいじゃないですか?」「こういう体型や年齢になっても契約してもらえることを誇りに思っている」と語っているが、開き直っているわけではなく、プロ選手としてのパフォーマンスを維持するために毎日1000回の腹筋トレーニングもしている。 |
| 長く代打職人として生活している選手らしく、非常にプロ意識が高い。 |
| 出番がなさそうな試合でも「いきなりグラウンドに出るとまぶしくてボールが見辛いから」と3回あたりから、攻守や選手交代の合間にベンチから出てウォーミングアップを兼ねて照明の明かりに目を慣らす事を欠かさない。 |
| 2008年NEWSZERO内放送「巨人逆転V支えたリストラからの復活組」インタビューより。 |
| バットをかなり短く持つ打法が特徴だが、自身が使っていたバットは、実は日本一長いもので、相手投手に得意な外角球を投げさせるためだったと語っている2011年2月12日のNHK総合(東海北陸地域)ウィークエンド中部より。 |
| なお、ここでは本名で登場していた。 |
年度別打撃成績
| 2010年度シーズン終了時。 |
| ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更。 |
記録
| 初出場:1989年10月14日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(藤井寺球場)、8回表に若井基安の代打として出場。 |
| 初打席・初安打:同上、8回表に阿波野秀幸から単打。 |
| 初先発出場:1990年8月12日、対オリックス・ブレーブス19回戦(山形県野球場)、7番・左翼手として先発出場。 |
| 初本塁打・初打点:1990年8月15日、対近鉄バファローズ19回戦(平和台野球場)、4回裏に佐々木修から。 |
| 1000試合出場:2003年4月1日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(大阪ドーム)、7番・指名打者として先発出場※史上383人目。 |
| オールスターゲーム出場:2回(2001年、2003年)。 |
背番号
| 55(1988年-2006年)。 |
| 44(2007年-2010年)。 |
登録名
| 大道典良(おおみちのりよし)(1988年-2001年6月12日)。 |
| 大道典嘉(おおみちのりよし)(2001年6月13日-)。 |
関連項目
| 三重県出身の人物一覧。 |
| 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
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1969年
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大道 典嘉(おおみち のりよし、本名:大道 ... |
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1989年
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南海ホークス最後のドラフトで4位指名を受け... |
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投票数
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