49224
49572
589594
%E5%A4%A7%E9%81%94%E8%8C%82%E9%9B%84
%E5%A4%A7%E9%81%94%E8%8C%82%E9%9B%84
%E5%A4%A7%E9%81%94%E8%8C%82%E9%9B%84
%E5%A4%A7%E9%81%94%E8%8C%82%E9%9B%84
%E5%A4%A7%E9%81%94%E8%8C%82%E9%9B%84
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 大達茂雄とは
- 青年期まで
- 第二次大戦まで
- 第二次大戦後
- 略歴
- 栄典
- 家族親族
- 参考文献
大達茂雄(おおだちしげお、1892年1月5日-1955年9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣・文部大臣。
青年期まで
| 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)に、酒造業・大達新作の次男として生まれる。 |
第二次大戦まで
| 浜田中学、一高を経て、1916年に、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、内務省に入る。 |
| 地方局財務課長を経て1932年福井県知事となる。 |
| 満州国国務院総務庁法制局長、同国務院総務庁長などを歴任するが、満州国産業開発五ヵ年計画策定など満州の重化学工業化の方針もあり、星野直樹など経済官僚と入れ替わる形で関東軍と対立して辞任した>直接的な契機は、1936年9月、植田謙吉大将(関東軍司令官)名で、「満州帝国協和会の根本精神」なる声明がパンフレットとして、石原莞爾信奉者の一人とされた辻政信大尉(関東軍参謀)の筆により出された。 |
| 法令により直接に規定する根拠がないのに協和会を共産党のように政府をも指導する機関と規定し、のみならず関東軍司令官を“哲人”と書き、大問題となった。 |
| これに抗議して当時の総務庁長大達茂雄も辞任し、関東軍もパンフレットを必死に回収した騒動があった。 |
| 『忘れ得ぬ満州国』(古海忠之、経済往来社、1978年)P147。 |
| 阿部内閣・米内内閣の内務次官を務めた後に、1942年昭南特別市(シンガポール)市長を歴任した。 |
| 1943年7月1日には、東京市と東京府を廃止して東京都を設置し(東京都制)、初代東京都長官に就任した。 |
| 就任直後には学童疎開や建物疎開を促進する。 |
| 空襲から御真影を守ろうとして殉職する校長を懸念し、御真影も疎開させたという。 |
| 1943年9月には上野動物園の動物の毒殺を命じた。 |
| 後世、「かわいそうなぞう」の物語として知られる一件である(戦時猛獣処分)。 |
| 翌1944年、西武鉄道の堤康次郎と計り、鉄道による糞尿輸送を実施する。 |
| 同年7月、小磯内閣に内務大臣として入閣。 |
第二次大戦後
| 小磯内閣での閣僚だった責任を問われ1946年に公職追放、1952年追放解除。 |
| 翌1953年、第3回参議院議員通常選挙に自由党から島根選挙区にて立候補し、当選を果たす。 |
| 1953年に第5次吉田内閣が発足すると、組閣参謀緒方竹虎の強力な推薦により、文部大臣に就任した。 |
| 在任中は日教組の影響力抑制に全力を注ぐ。 |
| 当時、京都旭丘中学事件に代表される「偏向教育」を巡る事件が社会問題化していたためで |
| 逆コースの一環である。 |
| 1955年9月25日、胃癌のため死去。 |
略歴
| 1916年 - 東京帝国大学法科大学政治学科卒業、内務省入省。 |
| 1932年 - 福井県知事。 |
| 1934年 - 満州国法制顧問。 |
| 1939年 - 内務次官。 |
| 1942年 - 昭南(シンガポール)市長。 |
| 1943年 - 東京都長官。 |
| 1944年 - 内務大臣。 |
栄典
| 昭和19年9月12日 勲一等瑞宝章 。 |
| 昭和30年9月25日勲一等旭日大綬章 。 |
参考文献
| 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 オ…34頁。 |
|
1916年
|
東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、内務... |
|
1944年
|
西武鉄道の堤康次郎と計り、鉄道による糞尿輸... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
|
|
重光葵
第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。第二次世界大戦中に外務大臣を務め、終戦時に政府全権として降伏文書に調印した。戦後は東京裁判で有期禁... |
|
|
緒方竹虎
日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを... |
|
|
安藤正純
大正・昭和期のジャーナリスト・政治家。元国務大臣・文部大臣。 |
|
|
愛知揆一
日本の政治家である。初め参議院議員、後に衆議院議員に転じ、外務大臣や大蔵大臣など、多くの要職を歴任した。 |
|
|
岸信介
日本の政治家、官僚。内閣総理大臣(第56・57代)。位階は正二位、勲等は大勲位。旧姓佐藤(さとう)。元衆議院議員、CIAエージェント。満州国総務庁次長、商... |
|
|
岡野清豪
昭和期の政治家・銀行家。第2代三和銀行頭取(1945年~1947年)。数次にわたる吉田茂政権において、自治庁長官・文部大臣・通商産業大臣などに起用された。 |
|
|
灘尾弘吉
昭和時代の日本の官僚、政治家。衆議院議長(60・61代)、文部大臣(74・75・77・82・83・90代)、厚生大臣(41代)を歴任。 |
|
|
広瀬久忠
広瀬久忠(ひろせひさただ、1月22日-5月22日)は日本の官僚、政治家。 |
|
|
林大
日本の国語学者。国立国語研究所所長、国語学会代表理事などを務めた。1950年代から1980年代までの日本の国語政策に関与した。 |
|
|
小原直
日本の検察官。岡田内閣、阿部内閣、第5次吉田内閣の閣僚。法務大臣(第5代)。弁護士。新潟県長岡市出身。 |
|
|
鳩山一郎
日本の政治家。弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階は正二位。勲等は大勲位。1912年(大正元年)に東京市議会議員に当選。1915年(大正4年)に衆議院議... |
|
|
杉山元
大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校12期。陸軍大学校22期。陸軍大臣、参謀総長、教育総監... |
|
|
小笠原三九郎
昭和期の日本の男性政治家、実業家。元商工大臣・農林大臣・通商産業大臣・大蔵大臣。西尾市名誉市民。 |
|
|
安井誠一郎
安井誠一郎(やすいせいいちろう、1891年3月11日-1962年1月19日)は日本の政治家。第6代・第8代東京都長官(1946年7月23日-1947年3月13日・1947年4月14日-5月... |
|
|
米内光政
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを歴任した。渾名は「金魚大臣... |
|
|
若槻禮次郎
日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。新字体にて若槻礼次郎(わかつきれいじろう)と表... |
|
|
田尻稲次郎
日本の経済学者・法学者・政治家・官僚。元東京市長。専修学校(専修大学の前身)の創始者の一人である。子爵。 |
|
|
大達茂雄さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|