18955
19149
214388
%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E
%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E
%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E
%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E
%E5%A5%87%E7%9A%87%E5%90%8E
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 奇皇后の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
タグはありません
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 奇皇后とは
- 高麗貢女
- 次皇后
- 高麗の動き
- 正皇后
- 北元
- 関連サイト
奇皇后(きこうごう、生没年不明)は、14世紀の元朝最後の皇帝である 順帝トゴン・テムルの皇后。高麗出身で、北元皇帝 アユルシリダラを生んだ。モンゴル帝国の高麗征服以後、元室と高麗 王室は兄弟の契りを結び、モンゴル公主が歴代の高麗王に降嫁していた。高麗王は元の征東行省の長官かつ、 元帝の女婿という独自の国際的地位を確保していた。このような麗蒙関係の中で出現した高麗人元室皇后である。
高麗貢女
| もともと高麗人・奇子敖の娘で、高麗貢女として元廷に献上された女性である。 |
| 宮女として順帝トゴン・テムル(在位1333年~1368年)の食膳の給仕などをしていたが、次第に順帝の寵愛を得たものである。 |
| 順帝には最初キプチャク族出身のタナシリ皇后がいて、奇氏は嫉妬にかられたタナシリからたびたび嫌がらせを受けたが、うまい具合に1335年タナシリの兄が謀反罪で捕らえられ、タナシリも謀反に加担したとして殺された。 |
| その後1337年順帝にはモンゴルホンギラート部出身のバヤンフト皇后が冊立され、奇氏は次皇后となった。 |
次皇后
| バヤンフト皇后は皇子を1人生んだが、2歳で夭折している。 |
| バヤンフト皇后はよくできた人物で、次皇后・奇氏が順帝の寵愛を得ても嫉妬ひとつせず、慎ましく暮らしていたという。 |
| 奇氏も暇をみては女孝経や史書を紐解く賢女で、飢饉で多数の死者が出たときには私財を投じて餓死者の埋葬や供養に当たったとされる。 |
| 奇氏はやがて待望の皇子アユルシリダラを生み、皇子は1353年皇太子に冊立された。 |
| これ以後、奇氏は元朝皇太子生母として権勢を恣にする。 |
| このアユルシリダラも高麗の福安府院君・権謙如の娘を娶ることになる。 |
高麗の動き
| 一方、高麗では奇氏はもともと貧寒の家柄であったが、その娘が高麗王よりも高位の元朝皇帝の次皇后、皇太子生母になったと大騒ぎになり、奇氏一門が権勢を振るうようになった。 |
| 1351年反元の志を抱いて高麗王に即位した恭愍王はこれを快く思わず、1356年に奇氏一門を誅殺した。 |
| これを恨んだ奇后は恭愍王の廃位を順帝に働きかけ、皇太子にも「祖父の仇を取れ」と吹き込んでいた。 |
| 1363年、順帝はついに恭愍王を廃位し、当時元の都、大都に滞在していた高麗王族を高麗王とする勅書を発し、兵1万を付けて高麗に向かわせた。 |
| 「元史」によるとこの時、倭人(日本人)も招かれて軍に参加したという。 |
| 当時中国沿岸をうろついていた倭寇が元の傭兵となったものだろう。 |
| しかし、鴨緑江を超えた元軍は高麗の伏兵にさんざんに打ち破られて逃げ帰り、奇后の面目は丸潰れとなった。 |
正皇后
| 奇后は以前から、政治に身を入れず酒色に耽る順帝に愛想を尽かし、皇位を息子の皇太子アユルシリダラに譲位させたがっていた。 |
| 1365年には偽勅を発してグルカ・テムルの軍を動員し、順帝に迫ろうとしたが、グルカ・テムルに気付かれてうまく行かなかった。 |
| それでも廃位されなかったのだから、皇太子生母の立場は強いものであった。 |
| まもなく正皇后バヤンフトが死去したことにより、次皇后の地位にあった奇氏は正皇后に昇格した。 |
| 奇氏がバヤンフト皇后の死後、その宮室に行ってみると、慎ましく暮らしていた前皇后の衣服は破れを繕ったようなものばかりで、奇氏は「正后皇后がこんな服ばかり着ていたのか」と大笑いしたという。 |
| 次皇后とはいえ、皇太子生母として相当な権勢を振るっていたとみなければならない。 |
北元
| だが、1368年朱元璋の明軍が大都郊外の通州に迫ると、順帝は奇皇后や皇太子を引き連れて大都を去り、元朝の中国支配はあっけなく終わりを告げる。 |
| 順帝は内モンゴルの応昌に逃れて再起を期していたが、1370年にこの地で没し、皇太子のアユルシリダラが後を継いだ。 |
| これが北元の昭宗である。 |
| 奇后は北元の皇太后になったことになる。 |
| 遼東方面には20万の大軍を擁する元大尉ナハチュの勢力が残存しており、北元は高麗にも圧力を加えた。 |
| やがて北元の昭宗アユルシリダラは明軍に追われてカラコルムに逃れ、1378年にこの地で没した。 |
| その後を継いだのは昭宗の弟とも子とも言われるトグス・テムル(北元の天元帝)である。 |
| 北元が頼みにしていた満州に勢力を有する大尉ナハチュが1387年、明の圧力に抗しきれず投降すると、北元の命運は尽きる。 |
| 1388年、カラコルムを明軍に襲撃されたトグス・テムルは逃亡する途中、アリクブカの後裔イェスデルに殺害され、北元は滅びた。 |
| 奇后がいつどこで死去したのかは詳らかではない。 |
|
1356年
|
奇氏一門を誅殺した |
|
1365年
|
偽勅を発してグルカ・テムルの軍を動員し、順... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
トゴン・テムル
トゴン・テムル(To&947;on-Temür、1320年5月25日-1370年5月23日)はモンゴル帝国(元朝)の第15代皇帝(大ハーン、在位1333年7月19日—1370年5月23日)。漢字... |
|
|
アユルシリダラ
アユルシリダラ(Ayur&353;iridara)はモンゴル帝国の第16代大ハーン(北元としては第2代皇帝)。モンゴル人と高麗人の混血である。1353年に皇太子となり、次... |
|
|
恭愍王
恭愍王(きょうびんおう、1330年-1374年在位:1351年-1374年)は第31代の高麗王。忠粛王の子。姓は王、名は祺。蒙古名は伯顔帖木児。諡号は恭愍仁文義武勇智... |
|
|
元帝
東晋の初代皇帝。河内郡温県の人。魏の司馬懿の曾孫に当たる。祖父は瑯邪武王司馬伷、父は瑯邪恭王司馬覲。生母は夏侯光姫(魏の夏侯淵の曾孫)。弟に東安王... |
|
|
李成桂
李成桂(り・せいけい、イ・ソンゲ、太祖<たいそ>康献王忠粛王4年10月11日(1335年10月28日)-太宗8年5月24日(1408年6月18日))は元(モンゴル)の武官、13... |
|
|
シンドン
シンドン 신동 歌手 プロフィール: 【本名】 신동희(シン・ドンヒ)
【生年月日】
・1985年9月28日
【所属グループ】
・슈퍼주니어(SuperJunior) ... |
|
|
崔瑩
高麗末期の重鎮、名将。諡号は「武慇」碑文:高麗盡忠奮佐命安社功臣判密直事大將軍門下侍中贊成事六道都巡察使鐵元府院君謚武愍東州崔公諱瑩之墓三韓國大夫人... |
|
|
関野貞
日本の建築史家、東大教授。文化財の保存に努めたことで知られる。 |
|
|
孝宗
孝宗(こうそう)は南宋の第2代皇帝(在位:1162年7月24日-1189年2月18日)。 |
|
|
忠烈王
忠烈王(ちゅうれつおう、1236年-1308年)は第25代高麗王(在位1274年-1298年、復位1298年-1308年)。姓名は王椹、第24代高麗王元宗の子。諡は忠烈景孝大王、... |
|
|
元宗
元宗(げんそう、1219年-1274年)は第24代高麗王(在位:1259年-1274年)。太子のときに高麗がモンゴルに服属したため、人質としてモンゴルに赴くことになる... |
|
|
キム・ヘリ
どこにでもある儀礼的な質問と答えで語っていない。とても思慮深い(時にユーモラスな)インタビュアーに、彼らは思わず本心を話している。 ■ 著者の紹介 - ... |
|
|
昭宗
昭宗(しょうそう)は唐朝の第22代皇帝。僖宗の弟に当たる。 |
|
|
鄭世雲
鄭世雲 関連リンク 鄭世雲とは@pedia 鄭世雲@wikiホットワード 鄭世雲 最近更新されたキーワード 加工 スタッフサービス 佐伯 テクノ・サービ... |
|
|
百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
|
|
魯国公主
「魯国公主」 Googleで検索 キーワードを含むページは見つかりませんでした 「魯国公主」 Yahooで検索 キーワードを含むページは見つかりませんでした 連想ワ... |
|
|
洪吉童
洪吉童(こう・きつどう、ホン・ギルトン、)は朝鮮時代の小説『洪吉童伝』の主人公。同書はハングルで書かれた最古(1607年ごろ)の小説(後述)。作者は学... |
|
|
正祖
正祖(チョンジョ、せいそ、英祖28年9月22日(1752年10月28日)-正祖24年6月28日(1800年8月18日))は李氏朝鮮の第22代国王。祖父は英祖(ヨンジョ、えいそ... |
|
|
恵宗
東アジアにおける皇帝・王の廟号の一つ。高麗の恵宗(在位:943年-945年)閩の恵宗(王延鈞、在位:926年-935年)西夏の恵宗(在位:1067年-1086年)李朝の恵... |
|
|
奇皇后さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|