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プロフィール
- 奥田民生とは
- 概要
- 来歴
- ユニコーン時代
- ソロ・プロデュース活動
- 2000年代 前半
- 2000年代 後半
- 2010年代 前半
- 性格
- 音楽性
- 趣味
- 出身地にまつわるエピソード
- エピソード
- ひとり股旅
- 関連サイト
奥田民生(おくだたみお、1965年5月12日-)は、広島県広島市東区尾長出身のシンガーソングライター及び ユニコーンのメンバー。音楽プロデューサーとしても活動している。株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問。血液型B型。
概要
| 1987年、ロックバンド「ユニコーン」のボーカリストとしてデビュー。 |
| 「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し、バンドブームの寵児ともいわれた。 |
| バンドは1993年に解散。 |
| その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。 |
| 以降、ソロ活動の傍ら、女性デュオ「PUFFY」のプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、多方面で活動している。 |
| 代表曲は、「愛のために」「イージュー★ライダー」「さすらい」「マシマロ」など。 |
来歴
| 広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業。 |
| 中学生の頃に、初めてバンドを結成。 |
| 高校時代には、アーチェリー部に所属、県の新人戦で優勝した経験がある。 |
| 広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)。 |
| 当初は、端でギター、ベースを弾いていたが、女の子のファンから注目され始めたため、引っぱり出されてフロントマンになり、曲作りも始める。 |
ユニコーン時代
| 1986年、「ユニコーン」にボーカルとして加入。 |
| 同年7月ソニーミュージックのオーディションに合格。 |
| 1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でメジャーデビューを果たす。 |
| 1989年に発表したファーストシングル「大迷惑」の大ヒットをきっかけにブレイク。 |
| 以降、サラリーマンの悲哀を歌った「働く男」や「ヒゲとボイン」、今や年末の定番曲となった冬のバラード「雪が降る町」、そして「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。 |
| ユニコーンは、THE BLUE HEARTSやジュンスカイウォーカーズと並ぶ、バンドブーム時代を代表するロックバンドとして活躍した。 |
| 1990年限定で、「THE BAND HAS NO NAME」を結成、同じ事務所のBe-Modernを解散した直後の3人(現SPARKS GO GO)とともにアルバム『BANDHASNONAME』をリリース。 |
| 1992年、JUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とのユニット「寺田」を結成してツアーを行う。 |
| 2004年、後述の「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」の後夜祭にて、同郷のCHEMISTRYの堂珍嘉邦を交えて3人で「寺田堂」を結成。 |
| その後もイベント等でしばしば寺田として登場し、さまざまな曲のカバーを中心に演奏している。 |
| 「夢で逢えたら」のテーマ曲にユニコーンが起用され、同番組にも何度か出演。 |
| その後『ダウンタウンのごっつええ感じ』にて、阿部義晴と共に準レギュラーとして「民生くんとアベくん」のコーナーを担当。 |
| 1993年9月21日、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。 |
ソロ・プロデュース活動
| およそ半年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始。 |
| 同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成。 |
| 1996年、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。 |
| 彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち振る舞いが話題になり、大ヒット。 |
| プロデューサーとしても注目を集める。 |
| 1997年、井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。 |
| アルバム『ショッピング』を発表し、年末まで活動。 |
| 浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行い、浜田雅功の番組『人気者でいこう!』にも出演した。 |
| 1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行う。 |
2000年代 前半
| 2000年、北海道のローカル番組『鈴井の巣』(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲。 |
| 2001年、「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2001」に出演。 |
| 2002年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加。 |
| Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」を結成し、北海道のフェスに参加。 |
| 2003年、真心ブラザーズのYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。 |
| 「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。 |
| 2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、唯一、広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。 |
| また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『OH!MYRADIO』(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰(3月で卒業)。 |
2000年代 後半
| 2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。 |
| 「THE BAND HAS NO NAME」を15年ぶりに再開、アルバム『II』をリリースし、フェスにも参加。 |
| 同年10月7日、「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2005」3回目の出演。 |
| 2006年、「三人の侍」の全国ツアーを、4月から神戸を皮切りに行う。 |
| 9月には、阿部義晴の40歳記念ツアーにジェット機らとともに参加。 |
| また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。 |
| 2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。 |
| 2007年、デビュー20周年を迎える。 |
| 井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバム「ダブルドライブ」を発表。 |
| 10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。 |
| 12月8日には、「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。 |
| 12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。 |
| 2008年、自身最高傑作と豪語するアルバム『FantasticOT9』を発表、1年で2度の全国ツアーに出る。 |
| 12月8日には、「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2008」に5度目となる出演を果たす。 |
| 2009年、ユニコーン活動再開。 |
| ユニコーンの活動と並行して、夏フェスでは「ひとり股旅(北海道ではひとりポックル)」として参加し、また同年11月公開の映画『僕らのワンダフルデイズ』の音楽アドバイザーおよび劇中歌の楽曲提供、主題歌を担当するなどソロ活動も精力的に行っている。 |
| 7月1日に所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツ(SonyMusicArtists、略称SMA)顧問に就任する。 |
| また、「DreamPowerジョン・レノンスーパー・ライヴ2009」に出演(自身6度目)した。 |
2010年代 前半
| 2010年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「流星のバラード」に、8年ぶり2度目のゲストボーカルとして参加。 |
| 3月よりレコーディングソロツアー『ひとりカンタビレ』開催。 |
| 通常のライブとは違い、各会場で新曲の制作を行うレコーディング・ライヴであり、観客の前ですべての楽器を自身でプレイ、レコーディングし、できた楽曲を配信リリースするという企画である。 |
| これらの楽曲は後にスタジオでリミックスされ、8月4日に10thアルバムOTRLとしてリリースされた。 |
| プロデュース業も並行して行い、髭(HiGE)のシングル及びアルバム「サンシャイン」の収録曲の数曲をプロデュース。 |
性格
| 非常にミーハーな一面があり、2004年にパーソナリティーを担当した『OH!MYRADIO』においても「ブリトニー可愛い」、「ブリトニーも可愛いがビヨンセはもっと可愛い、ポスターも買った」、「伊東美咲超可愛い」などミーハーぶりを発揮していた。 |
| 「アヴリルはそうでもない」らしい。 |
| さとう珠緒がグラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。 |
| 頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった『奥田民生別注武運』1999年、祥伝社。 |
| 小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった。 |
音楽性
| ROCKIN'ONJAPAN誌からは、「日本一のロック大将」「ROCKIN'ONJAPAN」、2002年10月10日号、表紙と称えられ、「朝日新聞」からは「J-POPの大立者」ともいわれている朝日新聞、2008年2月9日、17頁。 |
| ROCKINJAPANFESTIVALには10年連続参加しており、数少ない皆勤賞のアーティストである。 |
| 特に同年代のアーティストとはよく絡み、トータス松本、草野マサムネ、斉藤和義、吉井和哉とはしばしばテレビ、雑誌などで共演することがある。 |
| 音質に関してCDの音質に満足出来ず、カーオーディオにDAT搭載モデルがない事実際にはソニーからカーDATが発売されていた。 |
| アルバム『FAILBOX』以降はほぼ全ての作品をアナログ盤でもリリースしている。 |
| 2002年以降に、レコード会社各社が導入したコピーコントロールCDについても、ミュージシャン側で導入前から音質面に大きな問題がある事を把握していた、数少ない人物の1人であった。 |
| SMEが全リリース作品レーベルゲートCD化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」発売直前、公式掲示板にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた。 |
| これを受け奥田自身が公式サイト上で異例のコメントを発表、CCCD導入に至った経緯を説明した奥田は対策としてCCCDだけでなく、アナログ盤や実験的に「DVD-Music」(専用の再生機器が必要なDVD-Audioと違い、一般的なDVDプレイヤーで再生可能でCD-DAよりも高音質)盤を発売したり、ジャケットに大きくフォーマット名が書かれているデザインを採用(通常CCCDロゴは帯やステッカーに表記されている為、これらが無ければ通常CDとの区別が困難)。 |
| 雑誌のインタビューでも「もめている」、「レコード会社の中で(自分が)目立ってしまっている」、「なぜ他の人は(CCCDの問題について)言わないのか」などと発言WHAT'sIN?(2004年7月号、ソニーマガジンズ)こうしてシングル3枚を3フォーマットで発売、アルバム『LION』はさらにSACD盤も加え4フォーマットでの発売となった。 |
| 当初、既にレーベルゲートCDで発売されている商品に関してはそのまま販売を継続するとされていたが、後にレーベルゲートCDでリリースされたシングル3作品も店頭回収、新品番にてCD-DA盤が再リリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。 |
| 当時のシングルのアナログ盤のB面曲がCDと同じ(それまでは未アナログ化の過去のシングルのA面曲などを収録していた)なのは「当時はCCCD問題でそれどころではなかった」と後に当時のチーフマネージャー原田公一が回想しているカドカワムック別冊カドカワ総力特集奥田民生(2008年角川書店)。 |
| 中でも、ギブソン社製のギターが多く、名器・1959年製レスポール・スタンダードを長年に渡りメインで使用してきた。 |
| なお、40歳の誕生日に、ギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈され、2008年8月には、近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現した、カスタムショップ製作の「GibsonCustomShopTheINSPIREDBYSeriesOkudaTamioLesPaulOTSpecial」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。 |
| 例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「ANDILOVE CAR」(ビートルズの「ANDILOVEHER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。 |
| PUFFYプロデュースの動機は、小室哲哉や小林武史らが活躍し始めた時期で、ああいうことが自分に出来るかどうか、挑戦してみたかったと著書で述べている。 |
趣味
| バスプロの今江克隆、河辺裕和とは、兼ねてから親交がある。 |
| 車に関しては、レーサーの脇阪寿一とも交流があり、4歳の頃に車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。 |
| 愛車は、ダッジ・マグナム、初代カマロなどの外車のほか、最近は黒のスバル・R1に乗っており、タイヤとホイールとマフラーの交換や、パドルシフト仕様への改造など、車へのこだわりが垣間見られる(カーライフスタイル誌デイトナや、BSフジの番組『所さんの世田谷ベース』でも、奥田のR1が取り上げられた)。 |
| 過去に男性ファッション誌「BOON」の企画において、リーのジーンズやコンバースのスニーカーなどの奥田仕様の別注モデルを制作したことがある。 |
出身地にまつわるエピソード
| 父は元広島市議会議員(日本共産党)奥田幹二(おくだかんじ、1941年6月20日-)『奥田民生ショウ』宇都宮美穂・著(ソニー・マガジンズ文庫)より『俺は知ってるぜ』奥田民生・著(ロッキング・オン)より『サンケイ日本紳士年鑑第19版』(サンケイ新聞データシステム)より(引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。 |
| 山本浩二の息子はユニコーン時代からのファンであり、奥田本人が結婚式に参加して自身の曲「息子」などを歌った。 |
| Jリーグ・ディビジョン2において、サンフレッチェ広島とアルビレックス新潟が激しい昇格争いを繰り広げていた2003年、新潟サポーターが、応援歌として使用しているユニコーン時代の曲「I'MALOSER」の替え歌をCDに収録するために許可を取ろうとしたところ、奥田は「広島の敵に曲を提供することは出来ない」と断った。 |
| 同じ広島出身の吉川晃司(寺田堂(前述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLANの森友嵐士は同級生、広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(「唇をかみしめて」をカバー)、後輩に磯部正文(元HUSKINGBEE)、MEG、為末大らがいる。 |
エピソード
| ユニコーン在籍時、ソロ活動もまだの段階で『PATiPATi』発の単行本『奥田民生ショウ』(ソニー・マガジンズ、1992年)という奥田個人の本が出た音楽誌が書かないJポップ批評56、宝島社、2008年11月、p64(尚、13年後の2005年には本著の続編となる『奥田民生ショウ2』が発売された)。 |
| シンプルなゲームが好きなようで一時期はWindowsのピンボールに熱中しており、毎日2時間はプレイしていたという。 |
| Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」の全国ツアーの際、ステージにはユニットの家紋が飾られ、刀を携え、侍語のアピールに、歌詞以外は外来語を禁止、ビートルズの歌を歌う時は「次はかぶとむしの歌でござる」、「アレルギーの特効薬」という曲は「腫れ物全般の特効薬」などと紹介していた。 |
ひとり股旅
| 通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツ「タイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。 |
| 1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。 |
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1965年
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奥田 民生(おくだ たみお)は、広島県広島市... |
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1986年
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「ユニコーン」にボーカルとして加入 |
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