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プロフィール
姚泓(ようこう、388年-417年)は五胡十六国時代の後秦の末代皇帝で最後の皇帝。
略歴
| 402年、姚泓は皇太子に立てられたが、出自に異説もあって、当初から姚興の諸子は後継争いを繰り広げた。 |
| また、姚泓は深く仏教に傾倒しており、父の姚興でさえ、その懦弱を不安視していた。 |
| 姚興末年、後継者争い最大のライバルであった弟の姚弼が、大将軍・尚書令姚顕の死去に伴って急速に影響力を失うと、ようやく皇太子として地位が確立された。 |
| 416年、姚泓が帝位を継ぐと都の城内や各地で弟や一族が一斉に反乱を起こし、後秦は急速に瓦解した。 |
| また、夏・西秦・後仇池・東晋など周辺諸国も後秦へ攻め込んだ。 |
| 叔父の姚紹の奮戦によって何とか政権は維持されたものの、翌417年姚紹が陣中で病死すると、もはや後秦を支える人物はいなくなった。 |
| 東晋劉裕の軍勢である王鎮悪、檀道済は都の常安を陥し、姚泓はついに降伏した。 |
| ここに後秦は滅びた。 |
| 同年、姚泓は東晋の都建康で処刑された。 |
| なお、姚泓は処刑直前に山中へ逃げ出して行方不明になったため、困った劉裕は似ている人物を選んで代わりに処刑した、という話が伝わっている。 |
子
| 姚佛念(407年-417年)。 |
| 姚讃(北魏に仕える)。 |
| 姚氏(後秦の駙馬都尉徐衆の妻)。 |
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