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つながりの強いひと
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富田常雄
日本の小説家。柔道五段。柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。明治大学商学部卒。在学中、詩誌『感情革命』を創刊する。1928年、河原崎長十郎らの... |
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矢野正
矢野 正 (やの・ただし)環境教育コーディネーター
●プロフィール
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加藤成亮
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藤田進
昭和 期の 政治家 、元 日本社会党 参議院議員 。 労働運動家 、元 総評 議長。教育者、元・学校法人大阪工大摂南大学(現 学校法人常翔学園 )総長・理事長... |
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明治時代の講道館柔道の達人で講道館四天王の一人。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。 |
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嘉納治五郎(かのうじごろう、万延元年10月28日(1860年12月9日)-1938年(昭和13年)5月4日)は明治から昭和にかけての柔道家、教育者である。講道館柔道の... |
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轟夕起子(とどろきゆきこ、1917年9月11日-1967年5月11日)は日本の女優。本名は西山都留子(にしやまつるこ)。芸名は「轟夕紀子」とも。宝塚少女歌劇団の娘... |
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山嵐
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兵庫県朝来市出身の俳優。本名は島崎捷爾(しまざきしょうじ)。黒澤明監督のほとんどの作品に出演、また『ゴジラ』を始めとして多くの特撮映画に出演。実兄... |
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姿憲子
ヨーロッパ科学院会員、東海大学教育開発研究所 ... 生島ヒロシ 【プロフィール】法政大学を中退して渡米、空手ショーや植木屋のバイトをしながらカリフォ... |
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プロフィール
- 姿三四郎とは
- 黒澤作品(1943年)
- あらすじ
- キャスト
- スタッフ
- 1952年版
- 1955年版
- 1965年版
- 1970年版
- 1977年版
姿三四郎』(すがたさんしろう)は、 富田常雄の小説『 姿三四郎』を原作とする映画である。この小説の映画化は複数回行われているが、ここではに公開された 黒澤明作品を中心に記述する。
黒澤作品(1943年)
| 本作は、黒澤明の初監督作品である。 |
| 新聞広告の『姿三四郎』という新刊書のタイトルを一目見て何か強く魅かれるものがあった黒澤は、東宝のプロデューサー(当時)森田信義に、同作品の映画化交渉を依頼、しかし本作の映画化は松竹や大映も希望しており、原作者である富田常雄との交渉が行われていた黒澤明『蝦蟇の油』(自伝)。 |
| 最終的に東宝が権利を得たのは、若手の有望株として黒澤を推薦する映画雑誌記事を読んだ富田の妻が、黒澤を薦めたからであったという。 |
| 当局の検閲時、検閲官の一人であった映画監督・小津安二郎は、この映画を「100点満点で120点」と評した。 |
あらすじ
| 明治15年、会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎は門馬三郎率いる神明活殺流に入門。 |
| ところがこの日、門馬らは修道館柔道の矢野正五郎闇討ちを計画していた。 |
| 近年めきめきと頭角を現し警視庁の武術指南役の座を争っていた修道館柔道を門馬はいまいましく思っていたのだ。 |
| ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は全滅。 |
| その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。 |
| やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。 |
| そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。 |
| 反発した三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。 |
| 兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。 |
| ある日蛇のように異様な殺気を帯びた男が道場を訪ねてきた。 |
| 良移心当流柔術の達人、檜垣源之助は三四郎の兄弟子を一瞬で倒すほどの実力の持ち主。 |
| 師匠に稽古止めを言いつけられている三四郎がこの時戦うことは適わなかったが、双方いずれ雌雄を決する日が来るであろう予感を抱く。 |
| やがて修道館の矢野の元に新しい柔術道場開きの招待状が届く。 |
| その場で他流試合を設けたいという誘いであったが、これは暗に神明活殺流の門馬が裏切りと積年の復讐を果たすために三四郎にあてた挑戦状であった。 |
| しかし実力を増してきた門馬も既に三四郎の敵ではなく、三四郎の必殺投げ技「山嵐」が決まった時、門馬は壁に頭をぶつけ死んでしまった。 |
| 試合とはいえ他人を死なせてしまったこと、その場にいて悲劇を目撃してしまった門馬の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。 |
| 師匠の矢野の猛特訓によりやっと戦う気力を取り戻した三四郎は、神社でひたすらに祈る一人の美しい娘と出会う。 |
| この娘こそ良移心当流師範、村井半助の娘の小夜であった。 |
| 先の死闘を見た村井半助は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込み、小夜は老いた父の勝利を願って祈りを捧げていたのであった。 |
| その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答しまたもや袋小路に陥ってしまうが、修道館のある寺の和尚に「その娘の美しい強さに負けない、お前の美しかった時を思い出せ」と蓮の花が咲いていた泥沼の三四郎がしがみついてきた杭を指差されたとき、彼の心は決まった。 |
| 大勢の人々が見守る中開催された警視庁武術大会。 |
| 村井は全力を持って気合で三四郎を圧倒するが、研ぎ澄まされた三四郎の技が決まった時勝負はついた。 |
| しかし投げられても投げられても立ち上がってくる村井の凄みに三四郎は憔悴し、皆が祝ってくれても勝利の余韻に浸る余裕など無かったが、全身全霊を捧げた戦いの疲れを癒してくれたのは、道場に招待してくれた村井の温かい言葉と小夜の手料理であった。 |
| 唯一面白くないと憤っている檜垣源之助から遂に果たし状が届く。 |
| 三四郎と戦う場をもらえなかったばかりでなく、恋慕する小夜と三四郎が親しくしているのが気に食わない。 |
| 京が原での決闘、風雲急を告げる中、遂に雌雄を決する時が来た……。 |
スタッフ
| 企画:松崎啓次。 |
| 監督助手:杉江敏男。 |
| 現像:東宝現像所。 |
1952年版
| ;失われたフィルム。 |
| この作品は当初、全長97分の作品として公開された。 |
| しかし、公開翌年の、電力節約のため1作品の上映時間が80分以下に制限され、関係者の知らないところでフィルムにハサミが入れられてカットされた。 |
| 切断されたフィルムは行方不明となり、戦後のに再公開された作品は全長79分の短縮版となり、カットの経緯やカットされた部分の説明などがテロップによって説明された。 |
| その後にビデオテープやレーザーディスクとして販売された作品の多くは、1952年製作のこの短縮版となっている。 |
| このカットされた部分には、檜垣源之助にまつわるシーンや、三四郎が師の特訓を受けるシーンなどが含まれ、そのほかにもシーンやセリフの脱落箇所がある。 |
| カット部分のフィルムの一部が、ソ連崩壊後のロシアのコズモンドフィルムで行われた日本人による調査で発見された。 |
| 終戦時に満州国にあった物が、ソ連側に資料として持ち去られていたものである。 |
| に発売されたDVDでは、その部分が加えられた全長91分の、「最長版」が収録されている。 |
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