| 1957年8月11日-在日韓国人実業家、安本(孫)三憲・(李)玉子の次男として佐賀県鳥栖市に生れる。 |
| 男ばかりの4人兄弟であった。 |
| 緑ヶ丘・第二幼稚園を卒園。 |
| 北九州市立引野小学校を卒業。 |
| 北九州市立引野中学校(剣道部)を途中で転校。 |
| 福岡市立城南中学校に転入。 |
| 1973年-久留米大学附設高等学校に入学(同い年でラ・サール高等学校の岩屋毅と友人に)。 |
| 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、脱藩に憧れて渡米決意。 |
| 夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。 |
| 1974年-久留米大学附設高等学校を中退し、渡米(2月)。 |
| 米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校(ELS)に入学。 |
| 米国セラモンテ高等学校(サンフランシスコ)の2年生に編入(9月)。 |
| 3年生、4年生へと飛び級。 |
| 高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。 |
| 1975年-米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。 |
| 1977年-カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入。 |
| 1979年-シャープに自動翻訳機を売込んで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「UnisonWorld」を設立。 |
| インベーダーゲーム機を日本から輸入。 |
| 1980年-カリフォルニア大学バークレー校を卒業。 |
| 学位は、学士(経済学)。 |
| 日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市南区に事務所を構える。 |
| 1981年-福岡市博多区に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。 |
| 福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。 |
| 1983年-慢性肝炎で入院。 |
| 社長職を退き会長となる。 |
| 1986年-社長職に復帰。 |
| 1990年9月4日-日本に帰化同日、法務省告示第274号「日本国に帰化を許可する件」。 |
| 1994年-ソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。 |
| 1996年-米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。 |
| オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株式の21%を取得。 |
| 後に朝日新聞の反発に遭って撤退。 |
| 1999年-証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。 |
| 2000年-大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。 |
| 2000年-ソフトバンク株式会社が東京海上保険、オリックスと供に、日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)の株式を取得。 |
| 2001年-ヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供を開始。 |
| 以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。 |
| 2002年-ナスダック・ジャパン株式会社業務停止。 |
| (大阪証券取引所がヘラクレスとし市場維持)。 |
| 2003年-あおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社(CerberusNCBAcquisition,LP.)に売却。 |
| 2004年-日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム株式会社)を買収し、同社代表取締役会長に就任(2006年(平成年)10月に同社代表取締役社長に就任)。 |
| 王貞治監督及び秋山幸二二軍監督率いるホークスと福岡ドームをダイエーグループから買収(孫がオーナー在任中のホークスは2005年・2010年の2度レギュラーシーズン最高勝率球団に、しかし両年とも孫と同胞重光昭雄がオーナー代行たる千葉ロッテマリーンズに日本シリーズ出場権奪われた)。 |
| 2006年-ボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任。 |
| 東日本大震災の義援金として個人で100億円及び2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明(後述)。 |
| 福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立 |
| 『東日本大震災復興支援財団(仮称)』を6月に設立予定。 |