| 旅館の長男として生まれ、幼い頃から弟・竜児(現・安美錦)と相撲を取っていた。 |
| 鰺ヶ沢高校時代は青森県大会に入賞するなど活躍する。 |
| 父の従兄弟が安治川親方(現伊勢ヶ濱、元横綱・旭富士)という縁もあり、高校卒業と同時に安治川部屋に入門。 |
| 1994年1月場所に初土俵を踏んだ。 |
| 以降、三段目までは順調に番付を上げるが、小兵のため幕下で苦労し、弟の安美錦に番付を追い抜かれてしまった。 |
| しかし、以降は体重も徐々に増え、幕下上位でも勝ち越せるようになった。 |
| 2003年9月場所に十両に昇進。 |
| 1場所で幕下に陥落したが、投げ技に磨きをかけ2005年1月場所に復帰すると十両に定着し、2005年3月場所と2006年5月場所は最高位の十両3枚目まで番付を上げたが、2場所とも負け越している。 |
| 3度目の最高位となった2006年7月場所は9勝6敗の好成績を収めたが、西十両5枚目で10勝5敗の霜鳥(現・霜鳳)など、好成績を挙げた力士が多数いたため新入幕は見送られた。 |
| しかし、翌9月場所には東十両筆頭の地位で千秋楽に勝ち越しを決め、翌11月場所において新入幕を果たした。 |
| この安壮富士の幕内昇進により、11月場所は露鵬・白露山、北桜・豊桜、安壮富士・安美錦と、史上初めて3組の兄弟が同時に幕内に在位するという場所となった。 |
| しかし11月場所では6勝9敗、続く2007年1月場所では4勝11敗と大きく負け越し、わずか2場所で十両に陥落し、以降は引退まで幕内への復帰は果たせなかった。 |
| なお、同年9月場所後の10月8日に兵庫県出身の女性との婚約を発表し、12月26日に挙式を行っている。 |
| 2007年5月場所では十両10枚目まで番付を落としたものの4場所ぶりに勝ち越した。 |
| その後数場所は十両下位に位置していたものの、2008年1月場所に西十両10枚目で5勝10敗と負け越したため幕下に陥落した。 |
| 翌3月場所では東幕下3枚目で5勝2敗の好成績を残して同年5月場所で1場所での十両復帰を果たしたものの、その5月場所では6勝9敗と負け越して再び幕下に陥落した。 |
| 翌7月場所では西幕下2枚目で5勝2敗と大きく勝ち越して1場所での十両への復帰を果たした。 |
| しかし東十両14枚目で迎えた9月場所では7勝8敗に終わり、またも幕下へ陥落した。 |
| 11月場所では東幕下筆頭で6勝1敗と大きく勝ち越し、2009年1月場所で十両へ復帰した。 |
| 2009年と2010年には一度も幕下へ陥落することなく、主に十両中位から下位に定着していた。 |
| 幕内・十両の取組の中で、海鵬、保志光等自分より小柄な力士には極端に相性が悪く、苦戦している。 |
| 逆に猛虎浪には相性が良く、新入幕を決めた一番に勝ったのも猛虎浪であった。 |
| 関取になってからは十両での9勝6敗が最高で、二桁の10勝以上に勝ち星を伸ばしたことがない。 |
| 小兵であるがゆえに、その苦労がうかがい知れる力士だった。 |
| 4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた |
| 訴訟を起こす考えもあったが「師匠に迷惑をかけられない」と4月4日に引退届けを提出し、受理された八百長問題、4力士が引退届け提出 TBS-Newsi 2011年4月4日。 |
| 断髪式は5月29日に両国国技館の土俵上で行われた。 |
| 八百長問題で引退した力士が断髪式で国技館の土俵を使用したのは彼が2人目(前日に春日王が国技館の土俵上で行っている)。 |
| 一時は総合格闘技への転向もありと報道されたが、現在は伊勢ヶ濱部屋において部屋の専属トレーナーとして活動している東京スポーツ 2011年6月1日。 |