| 1898年2月13日、大阪市順慶町(現在の中央区長堀)に素封家の堀田喜一・悦子の四男として生まれる。 |
| 実兄に高野山金剛峯寺第403世座主、堀田真快がいる。 |
| 1910年 東大阪市立孔合冊小学校を卒業。 |
| 1915年 大阪府立四條畷中学(現大阪府立四條畷高等学校)卒業。 |
| 卒業後、高知県出身で東京在住の安岡盛治の養子となる。 |
| 1919年 第一高等学校卒業。 |
| 1922年 東京帝国大学法学部政治学科卒業、文部省に入省するも辞し、「東洋思想研究所」を設立。 |
| 1924年 拓殖大学東洋思想講座講師となる。 |
| 1927年 「金鶏学院」を創立。 |
| 1931年 「日本農士学校」を創立。 |
| 1932年 「国維会」を結成(~34年)。 |
| 1944年 大東亜省の顧問となる。 |
| 1945年 起草された「終戦の詔勅」を刪修する。 |
| 1946年 連合国軍最高司令官総司令部により「金鶏学院」や「日本農士学校」に解散命令。 |
| 1949年 「師友会」を設立。 |
| 1954年 追放解除。 |
| 以後師友会を「全国師友協会」と改め、ここでの活動を中心に陽明学を基礎とした東洋思想の普及に努める。 |
| 1958年 「新日本評議会」を結成。 |
| 1975年 先妻が死去。 |
| 二男二女があった。 |
| 1983年 当時赤坂のレストランパブ「マンハッタン」の経営者だった細木数子と再婚騒動があったが、安岡の死後に婚姻の無効が調停される。 |
| 1983年12月13日逝去。 |
| 葬儀は1984年1月25日に青山葬儀所で、葬儀委員長に岸信介、同副委員長に稲山嘉寛・大槻文平・田中秀雄、委員に新井正明・江戸英雄・平岩外四によって執行。 |
| 政界からは当時の首相・中曽根康弘を始め、田中・福田・鈴木の各歴代首相が並び中華民国の馬樹礼、韓国の朴泰俊等高官の参列。 |
| 会葬者は2千有余であった。 |
| 1983年、当時銀座のバーのマダムであった細木数子と再婚の約束を交わした溝口敦『魔女の履歴書』pp.123-124(講談社、2006年)によると、細木は安岡を籠絡した手段について問われた折「お酒よ、お酒。 |
| お酒で"殺した"のよ」「ドジョウと同じ」と答えたという。 |
| が、当時85歳で、認知症の症状があったと言われ、40歳近く歳の離れた女性との再婚であり、実際の結婚生活がほとんどなかったことから安岡家の親族が猛反対したが、細木が安岡と交わしたとされる「結婚誓約書」なるものを元に、婚姻届を提出し、受理されたことで、安岡家は東京地裁に「細木との婚姻の無効」を求める調停を申し立てた。 |
| 調停は婚姻はなかったこととして、細木が初七日で戸籍を抜く事(結婚生活は、事実上無し)で決着した。 |
| 1983年(昭和58年)3月1日、細木と安岡は、赤坂のクラブ・マンハッタンで自衛隊関係者の政治団体の会合で初めて出会った。 |
| 85歳の安岡は、同じ内容の電話を10分間に二度かけるなど、痴呆の兆候があった。 |
| (安岡が晩年入院をする住友病院で行われた検査でも、全部で7つ見つかった症状のうちの1つに「老人性痴呆症」が挙げられていた)そして、安岡が好きな酒を飲む事を安岡家から止められていた。 |
| 3月中旬から8月末頃まで、安岡は細木の経営していたフランス料理店、細木の自宅に安岡は通いつめる。 |
| 「マンハッタン」は当初クラブだったが、このころにはフランス料理店に替わっていた。 |
| 8月29日、細木は、安岡に無理矢理結婚誓約書を書かせ、および追記を書き捺印。 |
| 細木と結婚するが、細木と安岡との結婚生活はたったの1週間だった。 |
| 9月6日、安岡は体調不良を訴え、安岡の家族は細木との接触を避け始める。 |
| 10月4日、安岡は、安岡家の家族および師友会側の計らいで、実兄の高野山大僧正・堀田真快のもとに移す。 |
| 10月25日、細木は文京区役所に結婚誓約書を基に婚姻届を提出し、受理される。 |
| 細木が婚姻届を出した事を知った安岡家は同じ日に、安岡家側も文京区役所に「婚姻届不受理」の手続きを行ったのですが、わずか10分の差で不受理となってしまう。 |
| 11月9日、細木は、安岡家に「婚姻通知」を内容証明付きで郵送する。 |
| ::「同先生に確認を求めたところ、先生は婚姻届が提出された当時も現在も、旧姓細木数子様と婚姻する意思は全くないとの御返事でした。 |
| 11月11日、安岡家は、細木に対し、反論の手紙と内容証明付きを送り返す。 |
| 11月16日、細木は、東京地裁に「人身保護の請求」の申し立てを行う。 |
| 11月18日、安岡家は、『細木に無理矢理書かせた結婚誓約書において、安岡の署名部分が乱れ、とても正常な状況で書かれたとは認められない事』と『安岡の遺産・財産目当ての政略結婚を狙った事』を理由に、東京地裁に「細木との婚姻無効」の提訴(調停)を申し入れ。 |
| 11月29日、細木の「人身保護の請求」にもとづく東京地裁の第一回審理において、安岡の居場所が大阪・中之島の住友病院と判明。 |
| 12月7日、細木はマスコミと共に住友病院に押しかけ、安岡との面会を要求する。 |
| 12月13日に安岡は逝去、享年85。 |
| 11月18日、安岡家は東京地裁へ「婚姻の無効」の調停を申し立てた。 |
| 調停では、『細木との結婚生活はたったの1週間で、安岡との結婚生活が実質なかった事』、『結婚誓約書は、安岡の署名は乱れて、とても正常な状況で書かれた状態ではなかった事(細木が安岡に対して無理矢理書かせた事)』、『安岡自身の財産目当ての政略結婚である事』などから安岡家と細木が和解し、細木は、初七日で戸籍を抜く事(結婚生活は、事実上無し)で決着。 |
| なお細木は、裁判の結果以降、安岡との結婚については、一切話さなくなったが、細木は「財団法人安岡正篤顕彰記念」という“架空の”財団法人を設立している。 |
| 財団法人が実在するのかどうかは、「公益法人データベース」で検索するか、直接、総務省に問い合わせるかすれば、誰でも簡単に確認する事が出来る。 |
| また、架空の財団法人を設立する事は、民法第34条の2「公益法人の名称」の法律違反である。 |