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プロフィール
- 安本美典とは
- 邪馬台国に関する仮説
- 年代論
- 古代天皇実在説
- 神武天皇及び天照大神の年代
- 卑弥呼=天照大神説
- 邪馬台国=高天原説
- 邪馬台国=甘木・朝倉説
- 邪馬台国東遷説
- 論文
- その他
- 著書
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安本美典(やすもとびてん、1934年2月13日-)は、心理学者・日本史研究家(古代史)。文章心理学、計量比較言語学、日本古代史の分野で著書及び論文がある。日本行動計量学会会員。満州に生まれ、帰国後は岡山県高梁市で育つ。京都大学文学部(心理学)卒。京都大学大学院文学研究科(心理学)修了。旧労働省退官後、日本リサーチセンターに入社、産業能率短期大学助教授を経て、産能大学教授(2004年3月定年退職)。文学博士(京都大学)。心理学・実験心理学専攻。日本古代史の分野では、30数年来「邪馬台国=甘木・朝倉説」及び「大和への東遷説」を主張し続けている。「邪馬台国の会」主宰。『季刊邪馬台国』責任編集者。古代史研究は「 ...
邪馬台国に関する仮説
| 邪馬台国や古代史問題について次のような仮説を展開している。 |
| 日本神話は実際の歴史上の出来事が伝承として伝わったものである。 |
| トロイ戦争など神話だと思われていたことが実際の出来事に基づいている例は多い。 |
| 高天原は邪馬台国で天照大神は卑弥呼である。 |
| 天の岩屋戸の伝承は卑弥呼の死と台与の相続を暗示したものである。 |
| 記紀では高天原は九州にあったとされるため邪馬台国は九州である。 |
| 神武天皇の東征などは基本的に事実を基にしているはずである。 |
| 欠史八代の天皇など、架空とされた天皇は実在する。 |
| 天皇の在位年数は、時代を遡るにつれて短くなる傾向がある。 |
| 多くの天皇が実在しないと仮定するよりも、記紀に書いてあるとおり実在し、その在位年数が信じられないと仮定したほうが、矛盾が少ない。 |
| 平均10年の在位で計算すると欠史八代の天皇の前が神話の時代に相当し、卑弥呼の時代が天照大神に相当する。 |
| 数理文献学的分析によると古代の王の在位の平均は約10年である。 |
| 記紀では欠史八代を直系相続としているが、実際は兄弟相続だった可能性もあり不自然ではないとする。 |
| これらの仮説から次のように考えることができる。 |
| 卑弥呼と天照大神は同一視できる。 |
| 『魏志倭人伝』のなかの地名との類似から邪馬台国九州説が有力である。 |
| 文献によると邪馬台国には28万人もの人がいたとあり、そこから類推し、邪馬台国はいくつかの国の総合名称であり、吉野ヶ里遺跡は女王の支配国の一つであったと考える。 |
| つまり、卑弥呼の宮殿は筑後川の上流にあり、流域すべてが邪馬台国ではないかという説である(『歴史街道』1989年6月号)。 |
| 以下がその概要である。 |
年代論
| 地図に緯度と経度が必要なように古代史の問題を考える時には「年代」を考えることが根本的に必要であるとして、独自の年代論を展開している。 |
| すなわち、年代論の先駆者とも言える那珂通世は天皇の平均在位年数を約30年としているが、安本はその在位年数が歴史的事実として信頼できる用明天皇から大正天皇まで平均で14.18年と考える。 |
| またこれを4世紀ごとに区分して考えた場合、時代をさかのぼるにつれて在位年数が短くなる傾向にあり5世紀~8世紀では10.88年となる。 |
| 西洋の王や中国の王の平均在位年数についてもほぼ同様の数字と傾向がある。 |
| これらのことから、1世紀~4世紀については「天皇」の平均在位年数は9年~10年程度であろうとする |
古代天皇実在説
| いわゆる欠史八代については実在説をとる。 |
| 井上光貞をはじめとする非実在説派はその根拠として次のような点をあげている。 |
| #記紀には系譜の記述、すなわち帝紀的部分のみがあって、事跡の記述、すなわち旧辞的部分がない。 |
| #名前が後世的であり、後から作られた可能性が高い。 |
| #全て父子継承で不自然である。 |
| これに対しては安本は以下のように非実在説を否定する。 |
| #欠史八代以外でも記紀に帝紀的部分のみがあって旧辞的部分がない天皇は多く、それだけをもって非実在の根拠とはならない。 |
| むしろ植村清二植村清二には次の著作がある。 |
| 植村清二『神武天皇―日本の建国』中央公論社1990年が指摘するように記紀の原型は帝紀でありそれに旧辞が加わってできたものと考えられる。 |
| #名前が後世的というのはなはだ主観的で古代的といえば古代的といえる名前である。 |
| 古代の天皇の名前が7~8世紀の天皇の名前と似ていると主張されているが、7~8世紀の天皇の名前の方が古代の天皇の名前にちなんでつけられたと考えることもできる。 |
| #全て父子継承であるのは確かに不自然であり、実際は兄弟あるいは甥などが継承したにもかかわらず確かな情報として伝わらなかったため父子として記述されたと考えられる。 |
| そもそも、父子継承が信じられるかどうかということと天皇が実在かどうかということは別問題である。 |
| #非実在派の中において、どの天皇が実在しどの天皇が架空であるかに意見の相違がある。 |
| 研究者の恣意(どれを証拠として信用するか)で天皇の実在・非実在を客観的な基準によらず勝手に決めているとしか考えられない。 |
神武天皇及び天照大神の年代
| 以上のことから記紀に記載されている古代天皇の存在およびその順序、すなわち「代の数」は信じられるとする。 |
| ただし、父子継承は信じられない。 |
| また在位期間も引き伸ばされていると考えられるので信じることはできない。 |
| これらの前提で天皇の平均在位年数を用いて神武天皇の活躍の時代を推定すると西暦280年~300年頃となり、さらに記紀では天照大神は神武天皇の5代前となっているから約50年さかのぼれば西暦230年~250年頃となり、まさに邪馬台国と卑弥呼の時代に重なる。 |
卑弥呼=天照大神説
| 上述のように卑弥呼と天照大神は年代が重なること、また、二人とも女性であり神に仕える立場で宗教的な権威を持ち国を治めたこと、夫を持っていなかったこと、弟がいたこと、など共通点が多く見られることから、天照大神は卑弥呼の史実が神話化したものとして、二人は同一人物であるとする。 |
| また天照大神が天の岩戸に隠れると世界は闇に包まれ天照大神が岩戸から出てくると世界に光が戻ったが、天照大神は岩戸隠れの前と後で性格が変わっていることから、これは指導者の死と新たな指導者の登場を表したものだとし、卑弥呼の没後倭国は混乱したが台与の登場により平和が戻ったという記事と同じ出来事を伝えるものだとする。 |
| この説は安本の独創ではなく彼は和辻哲郎がすでに大正時代にこの考え方を表していると述べている。 |
| 諸説ある卑弥呼が誰であるかという説の中では神功皇后説、倭迹迹日百襲姫説などと並んで代表的な説の一つとなっている。 |
| (「 |
| なお、安本はこの説をとった場合、台与は天照大神の息子天忍穂耳命の嫁である万幡豊秋津師比売に比定できるとしている。 |
| (台与#人物の比定についての議論を参照)。 |
邪馬台国=高天原説
| 卑弥呼が天照大神であるという仮説からは派生的に次の「系」が導かれる。 |
| すなわち、卑弥呼が統治していた邪馬台国と天照大神が統治していた高天原は同一のものである。 |
| したがって、高天原がどこかということは邪馬台国がどこかということと同じである。 |
| 戦後、日本神話作為説が有力になったために現在ではほとんど忘れられているが戦前には高天原論争というものがあった。 |
| 日本神話で伝えられる高天原は本居宣長がいうような天上にあったものでも、山片蟠桃がいうように作為的なものでもなく(安本は現在の日本神話作為説の元となっている津田左右吉の説は山片蟠桃の説の焼き直しだとしている)、新井白石がいうように大和朝廷の中心となった勢力の祖先が遠い昔にいた場所のことを伝承的に伝えたものではないか、したがって高天原とは地上のどこかをさすのではないか、という論争である。 |
| この高天原論争では有力な説としては邪馬台国論争と同じく「九州説」と「畿内説」があった。 |
| (なお、高天原地上説には海外説もあり、戦後でも江上波夫は騎馬民族征服王朝説で高天原は南朝鮮であるとしている)安本は古事記に出てくる地名を分析しても、また考古学的な玉・鏡・剣の出土状況をみても、高天原は九州である可能性が高いとしている。 |
邪馬台国=甘木・朝倉説
| では邪馬台国=高天原は九州のどこと考えられるか。 |
| 安本は以下のような理由からそれを福岡県の甘木・朝倉地方(現在の朝倉市一帯)であるとしている。 |
| #朝倉地方には「甘木」をはじめとして「天」に関係する地名が多く見られる、安川(夜須川)がある、香山(かぐやま)がある、岩屋・岩戸があるなど日本神話に現れる地名が集中的に残っている。 |
| #朝倉地方を中心とした北九州地方の地名と大和地方を中心とした畿内の地名に驚くほどの酷似があり、発音がほとんど一致しているだけでなく相対的な位置関係もほとんど同じである。 |
| これは後述の邪馬台国東遷説につながる考えであるが、この考え方も安本の独創ではなく鏡味完二が指摘しているものであり、また折口信夫も日本の地名に同じものが多いのは偶然ではなく民団の移動とともに地名も持ち運ばれたからであるとする説を述べているとしている。 |
| #朝倉地方には考古学的な遺跡が多く、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に匹敵するかそれ以上ともいわれる平塚川添遺跡も発掘されている。 |
| 安本は邪馬台国の政治の中心地は朝倉地方にあったが国としては筑紫平野一帯に広がった諸国の連合で吉野ヶ里遺跡もそれに含まれるとみている。 |
| (実際吉野ヶ里と朝倉地方とは20有余kmの距離しかなく共に筑後川の北岸で途中はまったくの平野であり地勢的には同一である)。 |
| #朝倉地方は古来より村落が多い地帯であり、朝倉街道という地名が残っているように九州の交通の要所であった。 |
| 現在の朝倉地方には大分自動車道が通っており、甘木インターチェンジから東へ行けば大分方面へ抜ける。 |
| また西へ行けば九州を南北に走る九州自動車道と交わる鳥栖ジャンクションが近く、それを越えて長崎自動車道に入った最初のインターチェンジが吉野ヶ里遺跡に近い東脊振インターチェンジである。 |
邪馬台国東遷説
| 前述の「古代天皇実在説」、「卑弥呼=天照大神説」、「邪馬台国=高天原説」、「邪馬台国=甘木・朝倉説」に加え、『古事記』における九州・出雲地方の地名の頻出度の高さ(この2地域で『古事記』全体の過半数を占める)、甘木・朝倉地方を中心とした北九州と畿内の地名の類似点の多さ、及び鉄器の使用・副葬品などに見られる北九州の弥生文化と畿内の初期古墳文化との連続性などの点から、およそ3世紀後半から4世紀にかけて、記紀の「神武東遷」に対応する北九州から大和への勢力移動があったのではないか、という仮説が成り立つとした。 |
論文
| 査読のある歴史学の学術雑誌に掲載された論文。 |
| 「邪馬台国問題と神武東征問題の再検討--関氏の拙著批判」『歴史学研究』398号歴史学研究会(編)青木書店1973年7月。 |
| 「邪馬台国の位置について」『計量国語学』39号計量国語学会1967年1月。 |
| 「卑弥呼考--推計学の立場から」『国語国文』35(6)京都大学文学部国語国文学研究室、中央図書出版社1966年6月。 |
| 「文体統計による筆者推定-源氏物語・宇治十帖の作者について」安本美典『文章心理学の新領域』誠信書房1966年(改定版)、安本美典「宇治十帖の作者─文章心理学による作者推定」『文学・語学』第4号全国大学国語国文学会、三省堂1957年も参照。 |
| 『源氏物語』の「雲隠」までと「宇治十帖」では、名詞、助動詞の使用頻度が異なることから、「雲隠」までと「宇治十帖」は作者が異なるとする。 |
| 統計数理研究所共同研究「著者推定の数理統計学的研究―日蓮の三大秘法稟承事の真偽判定―」 |
その他
| 東日流外三郡誌について早い時期から偽書であると批判を行っていた。 |
| 『文化評論』230号(1980年6月)に「「邪馬壱国」論の崩壊」を執筆している古田武彦は「邪馬壹国の証明」を同誌に発表している(『文化評論』228号(1980年4月))。 |
| 騎馬民族征服王朝説、南方人基層説、邪馬台国大和説、また古代日本語が朝鮮語で解読できるとする主張等について批判している。 |
| 九州王朝説の古田武彦とは相互に激しい批判を行っている。 |
著書
| 邪馬台国への道科学の解いた古代の謎筑摩書房1967「邪馬台国と卑弥呼の謎」潮文庫。 |
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1934年
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安本 美典(やすもと びてん)は、心理学者・... |
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1966年
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「卑弥呼考--推計学の立場から」『国語国文』... |
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