| 東京デザイナー学院商業デザイン科入学。 |
| 某アニメスタジオに入社するが金銭的な理由で退社。 |
| その後いくつかの就職を失敗したのちカプコン東京支社にアルバイトとして採用される。 |
| ファミコン用ソフト『1942』のパッケージイラストを担当。 |
| カプコン大阪本社第3企画室に転属。 |
| 『麻雀学園』にグラフィッカーとして参加。 |
| 同作品は岡本吉起が企画し、カプコンのアーケードスタッフが制作したが、キャラクターによる脱衣シーンがあったため、カプコン名義ではなくユウガというブランドで発売された。 |
| またカプコンが制作したことは当時一切社外秘とされ、カプコンの公式なゲームとしては認められていない。 |
| 『ファイナルファイト』の製作に参加。 |
| ボーナスステージやキャラクター設定などでアイデアを出し、グラフィックのみならず企画でも制作に貢献した。 |
| 『マジックソード』で販促用イラストを担当。 |
| アーケード版のポスターではアマゾネスの乳首が描かれていたが、倫理的な問題からかスーパーファミコン版のパッケージでは乳首がレタッチされ消されてしまった。 |
| 『ストリートファイターII』で春麗やガイルといったキャラクターを生み出し、プレイヤーキャラのドット画も手掛けた。 |
| 同作品はシリーズ化され、カプコンのアーケード黄金期を築き上げた。 |
| 『ヴァンパイア』のグラフィックチームの中心として制作に携わる。 |
| 『X-MENChildrenofTheAtom』でドッターとしてウルヴァリンを制作。 |
| 販促用イラストも担当した。 |
| 『ストリートファイターIII』で全キャラクターのデザインをはじめ、プレイヤーセレクト画やリュウなどのプレイヤーキャラのドット画を担当。 |
| 有限会社あきまんを設立。 |
| 社外の仕事も請け負いやすくするために設立されたとされるが、実際にはカプコンの税金対策の一環ともいわれている。 |
| デザイン室にある机2つを分捕って事務所にしていた。 |
| フジテレビ系アニメ、サンライズ『∀ガンダム』のキャラクターデザインを担当。 |
| ここで富野由悠季と親交が深まる。 |
| 当時カプコンが64DDで富野原作のゲームを作るという話があり、実現はしなかったが、その延長線上で富野と安田との出会いがあったと推測される。 |
| アメリカカリフォルニア州サンディエゴ郡のカールスバッドに移り住み『レッド・デッド・リボルバー』の開発に参加。 |
| 当時の愛車は白のマツダMX-5ミアータ(日本名ユーノス・ロードスター)だった。 |
| 角川書店より初の画集『安田朗∀ガンダムデザインズ』が発売。 |
| WOWOWのアニメーション、サンライズ『OVERMANキングゲイナー』に参加。 |
| メカデザインを担当した。 |
| 『レッド・デッド・リボルバー』の開発が終わり日本に帰国。 |
| その後、東京に移り住み、カプコンを退社。 |
| セガ『Kunoichi-忍-』の描き下ろしポスターを担当。 |
| 同作品のキャラクターデザインは、『デビルメイクライ』『戦国BASARA』のキャラクターデザインを担当した元カプコンの土林誠である。 |
| 角川書店『ガンダムエース』にて読み切り漫画『月の風』を発表。 |
| 漫画『月の風』の連載スタート。 |
| 2005年1月まで続く。 |
| コミックマーケット67(冬コミ)にて初の同人コピー誌「ふゆまん」発売。 |
| バンダイ『ガンダムトゥルーオデッセイ失われしGの伝説』がリリース。 |
| メインキャラクターとパッケージイラストを担当。 |
| 角川書店『ガンダムエース』にてコラム連載開始。 |
| 幻冬舎コミックス『GIGA69』の表紙イラストを担当。 |
| 太田出版『CONTINUE』に4コマ漫画『桜田ふぁみりあ』連載開始。 |
| ソフトバンククリエイティブ『ゲーマガ』にてイラスト『あきまん堂』連載開始。 |
| サンライズ『コードギアス反逆のルルーシュ』のナイトメアデザインを担当。 |
| 復刊ドットコム等でのリクエストが実り、『安田朗∀ガンダムデザインズ』が約6年ぶりに重刷された。 |
| 漫画『月の風』が加筆・修正を加えて単行本化される。 |
| コミックマーケット73(冬コミ)にて同人誌「ふゆまん2」発売。 |
| 機動戦士ガンダム30周年記念大博覧会GUNDAMBIGEXPO(ガンダムビッグエキスポ)で上映されたショートフィルム『リング・オブ・ガンダム』にデザインとして参加。 |
| 初の個展「あきまん個展」を秋葉原シャッツキステにて開催。 |