| 福岡県遠賀郡戸畑町(北九州市戸畑区)に生まれる。 |
| 天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。 |
| 旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。 |
| 1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 |
| 東大卒業後、都立女専に就職し、フランス語を担当した。 |
| その後法政大学第一教養部、社会学部教授、昭和女子大学教授などを歴任した。 |
| 高校時代からフランス象徴詩に親しみ、詩の創作に親しむ。 |
| 戦後は『同時代』や草野心平の『歴程』に参加した。 |
| 作詞家としても非常に有名であり、特に作曲家三善晃とのコンビで校歌、自治体関連の歌、合唱曲の作詞を行っている。 |
| 詩集『あしたもね』(思潮社、1989年)は、それまでに書かれた歌詞のみで構成された本である。 |
| ポピュラー音楽の作詞家にはこの種の試みはよく見られるが、現代詩人が行うのはきわめて異例である。 |
| 戦争中は、さまざまな「病気になる努力」をして、徴兵検査を逃れる。 |
| 最後には海軍からの召集令状が来たため、「精神異常者」のふりをして、召集を逃れた宗左近「わだつみの一滴」『展望』1971年4月号。 |
| 左記は高田里惠子『男の子のための軍隊学習のススメ』(筑摩書房)に内容紹介あり。 |
| 東京大空襲の際、手を離してしまったばかりに母親を眼前で失ったとして罪の意識に駆られた。 |
| それからの戦後の時代を必死で生き抜くために、自分自身に叱咤激励して発した「そうさ、こんちくしょう!」という言葉がペンネームの由来。 |
| 1967年、母を殺してしまった自分への深い断罪の意識に基づく詩集『炎(も)える母』を発表。 |
| 母を失ったことに対する苦悩や罪の意識を綴って脚光を浴び、翌1968年に第6回藤村記念歴程賞を受賞した。 |
| その後も、戦地に消えた友人達や人々と縄文の人々への想いを交錯させた縄文シリーズとも呼べる一連の詩集を次々に発表する。 |
| その一方で美術評論家、翻訳家としても活動。 |
| ロラン・バルトの『表徴の帝国』の翻訳で知られるが、古賀照一の名でエミール・ゾラの『ナナ』『居酒屋』なども訳すほか、ジョルジュ・シムノンの推理小説なども訳している。 |
| 晩年は、短詩表現としての俳句に強く惹かれ、自らが「中句」と名づけた1行詩を書いている。 |
| 1994年、詩集『藤の花』で第10回詩歌文学館賞を受賞。 |
| 2004年、第1回チカダ賞生命の尊厳を表現する日本の詩歌人を顕彰する賞。 |
| スウェーデンが制定を受賞した。 |
| 千葉県市川市に長く居住し、同市の名誉市民。 |
| 没後、宗の蔵書は市川市に寄贈された。 |
| 2004年、第1回シカダ賞(en)受賞。 |
| 2006年春から入院していたが、6月20日午前0時37分に東京都内の病院で死去した。 |
| 生前に出版された詩集は46冊にのぼる(詩選集を除く)。 |
| 1987年から亡くなる2006年までの間は、年に1冊以上のペースで出版していた(1994年は3冊)。 |
| 処女詩集の『黒眼鏡』が出版されたのが1959年で、この後1985年までに出された詩集が16冊であることから、晩年の創作の旺盛さがうかがえる。 |
| 縄文時代を愛し、土器や土偶などの収集にも力を注いだ。 |
| 宗左近は縄文土器を古代の遺物、生活の必需品ではなく、芸術作品(美術品)として見た。 |
| 『私の縄文美術鑑賞』などその方面の著書も何冊か残している。 |
| 町歌を作詞したことがきっかけになってつきあいが始まった宮城県加美町(旧中新田町)の縄文芸術館には、自身寄贈した縄文土器が展示されている。 |