| 幼少時よりエリート教育を施され、才能を発揮。 |
| 成田高等学校進学後にハンマー投に取り組む。 |
| 当時から他の選手とは別格の投てきを連発。 |
| 日本高校新記録を樹立。 |
| 中京大学進学後、父・室伏重信のコーチングを受け、さらにその才能を伸ばすことになる。 |
| 日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。 |
| 1994年-広島アジア大会で準優勝、銀メダル獲得。 |
| 1998年-群馬リレーカーニバルで室伏重信の日本記録を破る。 |
| バンコクアジア大会では世界的な強豪・アブドゥバリエフを破り優勝。 |
| 2000年-IAAF大阪グランプリで優勝。 |
| シドニーオリンピックでは、メダル候補と目されながらも9位に終わった。 |
| その年の80m突破回数では世界1位を記録。 |
| 2001年-IAAFローマグランプリで優勝。 |
| 2001年-世界陸上エドモントン大会で銀メダルを獲得。 |
| 2002年6月9日-日本選手権で優勝。 |
| 自身の持つ大会新記録を更新。 |
| アジア大会では2連覇を達成。 |
| 同年8月10日-アジア選手権スリランカ大会で優勝。 |
| 同年8月18日-ポーランド国際競技会で優勝。 |
| 同年9月14日-国際GPファイナル(パリ)で優勝。 |
| 同年9月20日-ワールドカップ(マドリード)で2位。 |
| 同年10月8日、アジア大会韓国(釜山)で大会新記録を更新し優勝。 |
| 同年10月23日、高知国体で優勝。 |
| 2003年4月26日-中京大土曜記録会で優勝。 |
| 6投全てが80mを超えた。 |
| 同年5月10日-大阪GPで優勝。 |
| 6投全て80mを超した。 |
| 同年6月6日-日本選手権優勝。 |
| 自身の持つ大会記録を更新する83m29を記録。 |
| 同年6月29日-プラハ国際で当時現役選手では最高となる世界歴代3位(上位2つは1980年代の記録)となる84m86を樹立。 |
| 同年8月25日-世界陸上パリ大会に出場。 |
| 怪我で出場が危ぶまれたが80m12で銅メダルを獲得した。 |
| 2004年5月8日-国際グランプリ大阪大会で優勝。 |
| 同年6月19日-アメリカのオレゴン州で開催された国際グランプリで優勝(82m65)。 |
| 2004年のアテネオリンピックで優勝。 |
| 大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーのアドリアン・アヌシュにドーピング疑惑が浮上。 |
| アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。 |
| アテネオリンピック最終日の8月29日ドーピング違反で失格処分となり、この結果銀メダルだった室伏が繰上がることになり、陸上・投擲種目でアジア史上初のオリンピック金メダリストとなった。 |
| 2005年世界陸上ヘルシンキ大会を体調不良のため欠場。 |
| 2006年-約1年ぶりの復帰戦となった5月29日のゴールデンスパイク(オストラバ)で優勝。 |
| 今までのイメージを覆す丸刈りと髭を生やして試合に臨んだ。 |
| 同年7月21日-フィンランドのユバスキュラで行われたフィンランド選手権に参加し優勝。 |
| 同年7月26日-行われたヘルシンキ・グランプリで5投目に81m77をマークして優勝した。 |
| 同年9月10日-シュトゥットガルトで行われたワールド・アスレチック・ファイナルでベラルーシのイワン・チホンを30cm差で下す81m42をマークして優勝した。 |
| 同年9月16日-アテネで行われたワールドカップで今季自己最高となる82m01をマークして優勝した。 |
| 同年12月-ドーハアジア大会へエントリーしていたが、9月頃に痛めたふくらはぎのケガが回復しない為、欠場となった。 |
| 2007年6月30日-約1年間試合から遠ざかっていたが、第91回日本陸上競技選手権で優勝。 |
| 同年8月27日-世界陸上大阪大会の決勝、史上初めて7位までが80m以上を記録するという激戦のなか、80m46を記録し6位入賞。 |
| 2004年の大阪GP以来無敗で、4年ぶりに優勝を逃したが、北京オリンピックへの出場権を日本人第1号で獲得した。 |
| 同年9月9日-IAAFグランプリ(リエティ大会)で、イワン・チホンを押さえ今季自己最高となる82m64で優勝。 |
| 2008年‐約10か月ぶりの試合となった第92回日本陸上競技選手権でシーズン世界ランキング3位となる80m98で優勝し、同大会の14連覇を達成。 |
| 同年12月11日-北京オリンピック決勝で2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共に)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、3位に繰り上がりとする正式決定がなされたが、スポーツ仲裁裁判所により2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった。 |
| 2009年‐第93回日本陸上競技選手権で73m26で優勝し、同大会の15連覇を達成したが、同年8月開催の世界陸上ベルリン大会はケガによる調整不足の為欠場。 |
| 2011年8月29日-世界陸上テグ大会81m24を2本投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得すると共に、日本の陸上競技選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者となる。 |