| 以来、自らを部落民と規定している。 |
| 京都の名門・洛星中学校に入学したが、喧嘩が原因で退学『突破者』39-41頁。 |
| 1960年、15歳のとき、京大民青で元山村工作隊の指導者だった家庭教師に誘われて行った、10万人が参加した円山公園での安保闘争デモに触発され、また父親から、「結構な付き合いがあった」という戦前の共産党活動家山本宣治の話を聞き、マルクスなどを読みはじめる『突破者』PP54-57。 |
| 啓光学園高等学校初代生徒会長時代に日本共産党に入党 共産党は18歳にならないと入党できないし、生徒会長の話は出典不明-->その後、京都における共産党の中心的存在である谷口善太郎の元を訪れ、18歳で共産党に入党。 |
| 宮崎は当時を振り返り「左翼はヤクザの猥雑で気ままな「侠」が純化された世界なんだと勝手に思い込んでいた。 |
| 要するに、マルクス主義とヤクザをごちゃまぜにして両方もろともにやってやれと呑気に考えてたいた」「共産党とヤクザでは暴力も非合法もまるで質が違う。 |
| そうであっても、法に守られず暴力にさらされる状況下での行動の倫理、人間の事に処する処し方は共通しているのではないか、と思っていた。 |
| というよりも、ヤクザの侠をはたせないで何が左翼だ、それで革命ができるはずがない」「革命理論としてのマルクス主義、行動倫理としての侠、こいつを両方もっていればこわいものはない。 |
| ドンといってやろやないか!というわけである」と述べている『突破者』P81。 |
| 1965年早稲田大学入学。 |
| 学生運動にあけくれ、授業には数回しか出ず、一単位も取得しなかったという『突破者』p90。 |
| 1966年、大規模な無期限ストライキに発展した、学費値上げ反対・学生会館の管理運営権の獲得を掲げた早大闘争 |
| 1969年早稲田大学卒業式ボイコットを企画・実行し、それがマスコミに大きく報じられ、共産党中央の逆鱗に触れ除名。 |
| もっともこのころには学生運動に乗れなくなっていて、未練や恨みめいたものはなかったという『突破者』p187。 |
| 「もう多数派形成ゲームに乗るのはよそう。 |
| 生涯一少数派でいいじゃないか。 |
| もう群れるのはよそう。 |
| どこまでいけるかわからないが、とにかく一人で行こう」「抽象的な観念に寄りかかって生きるのはよそう。 |
| どろどろした具体的な人間関係の中で肉感的に生きて行こう」「市井の、まつろわぬ一無頼として『太く短く』生きたっていいじゃないか。 |
| 大きなものによりかかって生きるぐらいなら、そのほうがすっきりしていい」などと漠然と考えていた」と述べている『突破者』pp187-188。 |
| 1970年、週刊誌『週刊現代』の株式関連を担当するフリー記者(いわゆるトップ屋)となる。 |
| 1975年、京都府内の家業の解体業「寺村建産」を継承して経営したが、ゼネコンへの企業恐喝容疑により指名手配され、1980年7月25日、京都府警に出頭・逮捕される。 |
| 当時宮崎の学生時代からの知人大谷昭宏の手により、読売新聞紙上で同時進行形式で『企業恐喝を追う』というルポルタージュを連載、最初出頭・逮捕にあわせて7月25日夕刊に「逃亡中の容疑者の独占インタビュー」が掲載された。 |
| 同年8月9日には処分保留のまま釈放されたが、逮捕の件により金融機関の信用を失い、取引を停止されて1980年10月25日に倒産、25億円もの負債を抱えた『突破者』p304。 |
| 1982年東京に戻り、「愚連隊の元祖・神様」と言われた万年東一の厄介になった『突破者』pp324-325参照。 |
| 宮崎学は万年を題材とした『不逞者』『万年東一』を著している。 |
| 1984年、グリコ・森永事件 |
| 1987年バブルの際には、地上げを稼ぎの種とする。 |
| 多額のキャッシュを不動産屋に手渡す際の模様を、若松孝二に密かに撮影してもらったこともある『突破者それから』p96参照。 |
| 1996年には『突破者』出版。 |
| NOR:ベストセラーとなる。 |
| -->「突破」(とっぱ)とは、関西で無茶者、突っ張り者のことである『突破者』p232参照。 |
| 宮崎自身は「社会的なしがらみからいかに自由であるか、ということかもしれないんだけど、結果的にはしがらみの中で生きていかざるを得ない。 |
| だとすれば、しがらみの質の問題になる」「いわゆる近代民主主義的なしがらみじゃなく、動物としての人間としてのしがらみのなかにいる、ということ」「「動物たれ」というのが、突破者のひとつの原則になる」と述べている『「反・市民」講座』リトルモア2000p16宮崎学インタビュー参照。 |
| 1999年、通信傍受法(盗聴法)に反対し、大々的な批判を展開(「 |
| またおなじく批判を展開しロビー活動を行っていた宮台真司とも対談を行っている『反・市民講座』収録。 |
| さらに、成立後の12月8日、2001年までの時限政党として、通信傍受法廃止を目的に政治団体「電脳突破党」を結党し、自ら総裁となった。 |
| 2000年の第42回総選挙では通信傍受法反対派候補を支援したほか、2001年の第19回参院選では、新党・自由と希望の公認を受け比例代表区より出馬。 |
| 結果は落選し、同年8月15日に予定通り突破党を解党した。 |
| 選挙前後、公安調査庁の協力者だったという批判もあった{{citebook|和書。 |
| 宮崎は『叛乱者グラフティ』(2002)の末尾に収められた「付論 キツネ目は「スパイ」か?」において反論を行っている『叛乱者グラフティ』2002、朝日新聞社pp219-232。 |
| なお、公安調査庁の協力者としての宮崎を担当していたのは、野田敬生であったと野田本人が明らかにしている{{citejournal|和書。 |
| 野田は問題となった流出文書の作成時期(ちなみに宮崎が作家デビューする前である)は公安調査庁職員であり、文書流出があった2001年には公安調査庁を辞めてジャーナリストとなっていた。 |
| 2004年1月、部落解放同盟の出版部門である解放出版社から刊行された『「同和利権の真相」の深層』に寄稿。 |
| この本の中で、{{quotation|寺園敦史という男とは、私もぶつかったことがあります。 |
| (中略)私が『突破者』(幻冬舎文庫)を出した直後に、「京にうごめくなんやら」(『京に蠢く懲りない面々』)ゆうことで書かれた。 |
| 俺はなんもうごめいておらんよ、ゆうことで、公開論争をやろうと申し入れたんやけど、逃げまわりよった。 |
| }}と虚偽事実を申し立ててジャーナリスト寺園敦史を中傷したとして、寺園から解放出版社と共に名誉毀損で大阪地裁へ提訴された。 |
| #宮崎と解放出版社は、寺園に1100万円の損害賠償金を支払うこと。 |
| #解放出版社は、『「同和利権の真相」の深層』の販売を中止すること。 |
| #宮崎と解放出版社は、寺園への謝罪広告を掲載すること。 |
| 寺園の主張は、{{quotation|わたしは2003年に『同和利権の真相3』を書くまで、宮崎氏について批判的な記事を書いたことがないどころか、かれに言及する記事すら1本も書いたことがないのである。 |
| }}というものであった |
| なお、宮崎が挙げた『京都に蠢く懲りない面々―淫靡な実力者たち』(講談社プラスアルファ文庫)は一ノ宮美成・湯浅俊彦・グループK21の共著であり、寺園は同書に全く関与していない。 |
| 2005年5月19日、大阪地裁の塚本伊平裁判長は宮崎の上記の記述を虚偽と認定し、宮崎と解放出版社に110万円の損害賠償を命じた一方、販売差し止めと謝罪広告の掲載については退けた。 |
| 2005年12月22日、大阪高裁の控訴審でも宮崎の記述が虚偽と認められたが、やはり販売差し止めと謝罪広告の掲載については退けられた上、賠償額は80万円に減額された。 |
| これに対して被告側は上告せず、2006年1月、宮崎と解放出版社の敗訴が確定した。 |
| 2005年12月の門真市議会議員戸田久和逮捕の時には、同胞であるという理由で強く議員を擁護した。 |
| 2006年9月に経済学者植草一秀が痴漢容疑で逮捕された際にも擁護声明を出した。 |
| 2006年より、佐藤優、魚住昭らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。 |
| 佐藤優とは『国家の崩壊』を共著で出版。 |
| 2007年12月10日、『警察の闇 愛知県警の罪』を出版する。 |
| 当時 愛知県長久手町で起きた篭城発砲事件現場での裏事情や警察の不祥事や裏金、また全国詐欺事件ブームにのり逮捕された日本メンテナンスというリフォーム会社の逮捕にまつわる警察の失態など克明に書かれている。 |
| この本は、田原総一郎、魚住昭、佐藤優らが絶賛している。 |
| 2009年7月3日、林幹雄国家公安委員長が代表を務める「自民党千葉県第10選挙区支部」や藤井孝男自民党参議院議員の資金管理団体「藤井孝男後援会」に西松建設がダミーの政治団体「新政治問題研究会」名義で献金したことについて、「民主党の小沢一郎前代表側への献金事件と同じ構図で起訴されるべきだ」として、国沢幹雄元社長を政治資金規正法違反容疑で東京地検に告発した |
| 同月14日、同3日に告発した国沢元社長が起訴猶予になったことを受け、検察審査会に審査を申し立てた |
| 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫らとともに参加した |
| 同年4月1日、福岡県警の要請で同県内のコンビニが暴力団を専門的に扱う月刊誌とコミック誌の販売を中止したことにつき、事実上の規制となり著作出版活動の委縮を招き表現の自由、出版の自由を侵害するとして、県に対し慰謝料など550万円の支払いを求め、福岡地裁に提訴する。 |