刑部神と富姫神の由来については、近世の段階ですでに諸説あったが、刑部神は、奈良時代末期の光仁天皇(こうにんてんのう)と皇后井上内親王(いのうえないしんのう)との間に生まれた他戸親王(おさべしんのう)である、とする説が主流であった。そして、富姫についても、この井上内親王と他戸親王との母子の間に生まれた不義の子供が富姫で、都から播磨にさまよい下って姫山に館を構えた。この富姫をまつるのが富姫神である、とする説が多い。 こうした諸説はあくまでも近世の理解であって、歴史的な事実とは考えにくい。ただし、井上内親王と他戸親王とは実在の人物である。この二人は、宝亀3(772)年に光仁天皇を呪詛(じゅそ)したとして皇后・皇太子の位を追われ、のちに幽閉先の大和国で殺害された母子であった。紀行文「戦争と怨霊」でも紹介しているように、古代から中世にかけては、こうした政争や戦乱に敗れた人は怨霊とな ... もっと見る










