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プロフィール
- 寺脇研とは
- 略歴
- 教育の「専門家」として
- 映画評論家
- 落語評論家
- 職歴
- 著書
- 共著
- 関連サイト
寺脇研(てらわきけん、1952年7月13日-)は元文部省官僚。ゆとり教育を行った人物。カタリバ大学学長、京都造形芸術大学芸術学部教授、特定非営利活動法人ジャパン・フィルム・コミッション理事長、特定非営利活動法人日本映画映像文化振興センター理事長、コリア国際学園理事。元文部官僚。 文部科学省大臣官房審議官等を経て、広報調整官を最後に退官した。福岡県 福岡市出身。
略歴
| 当時九州大学医学部講師で後に鹿児島大学医学部小児科教室教授となる医師・寺脇保寺脇研「おやじのせなか」『朝日新聞』2008年6月12日朝刊の長男として生まれる「 |
| 母方の祖父も小児科学の医師で九州大学医学部長や九州大学総長、久留米大学学長等を務め勲一等を受けた遠城寺宗徳。 |
| 遠城寺は父・保の師でもある。 |
| 10歳まで福岡で過ごした後、父の鹿児島大学医学部への赴任に伴い鹿児島県に転居『官僚批判』(2008年、講談社)101頁。 |
| 1965年、ラ・サール中学校に首席合格。 |
| 中学二年生の時、成績が急降下したことで医者である父は激怒し、寺脇の好きな書籍や将棋盤をすべて海に廃棄し、「お前は医者になるのだ」と勉強部屋に彼を軟禁。 |
| 世の中を悲観した寺脇はこのときガス自殺を試みている。 |
| 1971年ラ・サール高校を卒業後『AERA』のインタビューにおいて、中高時代の勉強の辛さを語っている。 |
| 、高校卒業時の成績は250人中230番台であったが、卒業式では卒業生総代として答辞を述べ、高校卒業後は現役で東京大学に入学、法学部に進学した『21世紀の学校はこうなる』(2001年、新潮OH文庫)。 |
| 1975年、東京大学法学部を卒業し、文部省にキャリア官僚として入省し、1992年には職業教育課長就任。 |
| 広島県に教育長として出向(1993年-1996年)した後、文部省に復帰した。 |
| 事務次官有力候補者が任命される官房三課長には就かなかったものの、大臣官房政策課長を経て、いわゆる中二階ポスト(局次長・審議官・部長)である大臣官房審議官(生涯学習政策担当)『全私学新聞』(2001年1月3日号、2面)に就任した。 |
| この間、同省の推進した「ゆとり教育」政策に関して、マスコミの前面に出て同省の見解を説明するスポークスマン的な役割を担った(ゆとり教育に関わる点の詳細は後述)。 |
| 2002年、大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となった。 |
| 2006年4月、同省の事務方より退職勧奨を受けるが、小坂憲次文部科学大臣に慰留された『朝日新聞』朝刊(2006年10月17日)こともあって辞職せず、中二階ポストから寺脇のために新設された『官僚批判』(2008年、講談社)240頁課長級に当たる大臣官房広報調整官に就任するという異例の降格人事となった自著『官僚批判』の「著者紹介」では、この人事を小坂文科相の特命によるものとしている。 |
| その後、2006年11月10日付で文部科学省を辞職した。 |
| 現在は東大卒の元文部官僚との冠付きで関西ローカル番組によく出演している。 |
教育の「専門家」として
| 文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。 |
| また、在任時には、いわゆる「ゆとり教育」「脱偏差値」「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「生涯教育」などの旗振り役として同省の立場を国民に伝える役割を果たしたため、「ミスター文部省」と呼ばれた。 |
| そのため、「ゆとり教育」を中心としたこれら一連の政策への批判が高まるとともに、個人としても批判を受けることが多くなった。 |
| 元産経新聞論説委員の高山正之からは、小尾乕雄・鳩山邦夫と並んで、日本の教育を崩壊させた戦犯だと批判されている高山正之「変見自在」(『週刊新潮』2005年1月25日号)。 |
| 特に、寺脇の推進した「第一次ゆとり教育」(1966年4月2日~1977年4月1日に生まれた者に適用)では、指導要領が「最低限」ではなく「アベレージ」とされ、特に関西では「シーリング」と曲解されたため、教育現場、とくに受験産業では、「イラナイ」、「範囲外」を連呼する学生とそれに迎合する教師の大量発生を誘導し、現在の競争力低下の元凶となった。 |
| これは、濱学園を震源地とするアンケート制度の導入により拍車が掛り、少子化による経営難と相俟って、「悪貨が良貨を駆逐する」現象を引き起こした。 |
| 2002年に文化庁へ異動となったのは、文部科学省が批判をかわすためであったと言われている『官僚批判』(2008年、講談社)7頁が、文化庁への異動後も、「ゆとり教育」推進の立場から発言を続けた『中央公論』2004年2月号 「文部科学省の教育改革を語る-「ゆとり教育」は時代の要請である」 |
| 文部科学省退官直前には、「今後も教育や文化について、民間の立場から取り組んでいくと述べ、その後も「ゆとり教育」推進の立場からの発言や著作を続けている。 |
| また2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し |
| ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。 |
| 上記の通り、日本国内の公立学校に対しては授業内容の大幅削減を行い、在日コリアン向け学校に対しては徹底したエリート教育を施す土壌を作った。 |
| 寺脇氏と韓国との関係については下記映画評論家の項にも記載有り。 |
| 退官後も制度の手の届きづらい方面への支援を続け、NPOカタリバが主宰する高校生支援・キャリア学習プログラム「カタリバ大学」の学長を務める。 |
映画評論家
| 趣味は映画評論で、大学在学中から『キネマ旬報』の「読者の映画評」欄の常連であった。 |
| その後、1975年から映画雑誌から原稿依頼が来るようになる |
| 「キネマ旬報」にも「映画評論家」の肩書きで寄稿するようになった。 |
| そのため、マスメディアには映画評論家としてコメントを寄せることも少なくなく、映画に関する著書もある。 |
| 文部科学省在職時代から、日本映画映像文化振興センター副理事長に就任している。 |
| 「観る映画は日本映画だけ」と公言していたが、1995年にあきた十文字映画祭で寺脇にとって約30年ぶりの外国映画となる韓国映画を4本鑑賞し『映画芸術』1996年春 No.378(編集プロダクション映芸)p.40、急に韓国映画を観るようになり、2003年から2007年まで4年間で250本の韓国映画を鑑賞『映画芸術』2007年夏 No.420(編集プロダクション映芸)p.118.。 |
| 『キネマ旬報』誌では「映画がをつなぐ」を連載した。 |
| 洋画についてもほとんど観ていなかったが、2008年になって本格的に観るようになったという『映画芸術』2008年冬 No.422(編集プロダクション映芸)p34.。 |
| 映画を通じた日韓の文化交流にも当たっている。 |
| 2004年に文化庁が主催して韓国で開催されたイベント「日本映画:愛と青春」(1965年から1998年に発表された日本映画46本を上映したもの)は、文化庁に在職していた寺脇が中心となって進めた企画だといわれているが、黒澤、小津ら、巨匠と呼ばれる監督の作品をあえて排し、日活ロマンポルノに属する作品を入れるというラインナップが物議をかもした『官僚批判』(2008年、講談社)239頁。 |
| インタビューでは「今の私にとっては日本の社会に準じるくらい自分の生活と結びついている社会だと思う」との理由から、外国映画は韓国のものしか観ないと答えている。 |
| 洋画を観ない理由として「アメリカだとかイギリスの社会は私とはあまり結びついているものではないから、それほど観たいとは思わない」と述べている |
| ピンク映画や、いわゆる「B級映画」についても言及することが多い。 |
| ピンク映画の世界では、親しみを込めて「ケンちゃん」と呼ばれている。 |
落語評論家
| フリーマガジン「らくご☆まがじん」顧問。 |
| 寄席情報誌『東京かわら版』に連載「演芸ノ時間」を持つ。 |
| 2009年12月12日に現役の内閣総理大臣(鳩山由紀夫)や仙谷由人行政刷新大臣(のちの国家戦略大臣)と会食した際に、「落語評論家」の肩書になっていた |
職歴
| 1975年4月文部省初等中等教育局教科書管理課。 |
| 1976年文部省初等中等教育局教科書検定課。 |
| 1978年10月文部省大学局高等教育計画課。 |
| 前畑安宏企画官以下7人のチームで放送大学学園法の法案作成にあたる『官僚批判』(2008年、講談社)74頁。 |
| 1979年4月文部省大学局高等教育計画課法規係長。 |
| 1981年4月文部省大臣官房総務課審議班審議第二係長。 |
| 1981年9月第二次臨時行政調査会事務局。 |
| 1983年4月文部省大臣官房総務課。 |
| 第二次臨時行政調査会を受け高石邦男官房長及び加戸守行総務課長の下、4人のチームで機構改革を担当、教育所政局、高等教育局、大臣官房政策課の新設や、大学局、管理局の廃止等を行った『官僚批判』(2008年、講談社)93頁他、臨時教育審議会設置法案の作成に携わる『官僚批判』(2008年、講談社)95頁。 |
| 1984年4月福岡県教育庁指導第二部指導第二課長。 |
| 1986年4月文部省高等教育局私学部私学助成課課長補佐。 |
| 1988年4月文部省社会教育局社会教育課課長補佐。 |
| 生涯学習局新設のため文部省組織令改正案作成に携わる『官僚批判』(2008年、講談社)142頁。 |
| 1988年7月文部省生涯学習局生涯学習振興課課長補佐。 |
| 生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律の法案作成にあたる。 |
| 業者テストの廃止や総合学科高校制度の創設等を行う。 |
| 1993年12月広島県教育委員会教育長。 |
| 1996年4月文部省高等教育局医学教育課長。 |
| 1997年6月文部省生涯学習局生涯学習振興課長。 |
| 専門士の称号を有する外国人への就労ビザ発給制度、大学入学資格検定の合格点の60点から30点への引き下げ等を実施する『官僚批判』(2008年、講談社)230頁。 |
| 1999年4月文部省大臣官房政策課長。 |
| 2001年1月文部科学省大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)。 |
| 2002年8月文化庁文化部長。 |
| 2006年4月文部科学省大臣官房広報調整官。 |
| 2007年4月京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授。 |
| 2008年4月コリア国際学園理事。 |
| 2009年4月特定非営利活動法人ジャパン・フィルム・コミッション理事長。 |
著書
| 『映画を追いかけて年鑑1987年日本映画全評』(1988年、弘文出版)。 |
| 『映画をみつめて年鑑1988年日本映画全評』(1989年、弘文出版)。 |
| 『映画に恋して年鑑1989年日本映画全評』(1990年、弘文出版)。 |
| 『動き始めた教育改革教育が変われば日本が変わる!!』(1997年、主婦の友社)。 |
| 『21世紀の学校はこうなる』(改題 2001年、新潮OH!文庫)。 |
| 『なぜ学校に行かせるの?』(1997年、日本経済新聞社)。 |
| 『何処へ向かう教育改革「どうなる学校」の疑問に全回答』(1998年、主婦の友社)。 |
| 『中学生を救う30の方法』(1998年、講談社)。 |
| 『韓国映画ベスト100「JSA」から「グエムル」まで』(2007年、朝日新書)。 |
| 『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(2007年、扶桑社)。 |
| 『さらばゆとり教育学力崩壊の「戦犯」と呼ばれて』(2008年、光文社)。 |
| 『百マス計算でバカになる常識のウソを見抜く12講座』(2009年2月、光文社)。 |
共著
| 『教師としての「責任のとり方」』(1998年、明治図書出版)共著:向山洋一。 |
| 『野獣系でいこう!!』(1999年、朝日文庫)共著:宮台真司。 |
| 『21世紀の教育と子どもたち4 教育環境の再生をめざして』(2000年、東京書籍)共著:谷川彰英、無藤隆、門脇厚司ほか。 |
| 『どうする「学力低下」激論・日本の教育のどこが問題か』(2000年、PHP研究所)共著:和田秀樹。 |
| 『論争・学力崩壊』(2001年、中公新書ラクレ)編:中央公論編集部。 |
| 『教育の論点』(2001年、文藝春秋)編:文藝春秋。 |
| 『論争・学力崩壊2003』(2003年、中央公論新社・中公新書ラクレ)編:中井浩一。 |
| 『教育3.0誰が教育を再生するのか?』(2007年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)共著:宮川俊彦。 |
| 『民主政治のはじまり 政権交代を起点に世界を視る』(2010年、七つ森書館)共著:山口二郎、寺島実郎、西山太吉、外岡秀俊。 |
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1952年
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寺脇 研(てらわき けん)は元文部省官僚。ゆ... |
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