| 1916(大正5)年6月29日、東京都渋谷区に生まれる。 |
| 父親は、盆景の神泉流家元の小山潭水。 |
| 兄弟は、兄の正忠(農芸化学者)と妹の悌子。 |
| 1936(昭和11)年4月、東京府立四中(現・都立戸山高校)から弘前高等学校文科乙類に進学。 |
| 校友会雑誌に小説などを発表。 |
| 1938(昭和13)年7月、弘前からの帰省中、杉浦明平の紹介により、立原道造と知り合う。 |
| 10月、盛岡へ旅行中の立原道造を訪ねる。 |
| 1939(昭和14)年4月、東京帝国大学支那文学科に入学。 |
| 9月、中村真一郎とともに、同人雑誌「山の樹」の同人になる。 |
| 11月、中学時代からの親友、山崎剛太郎の参加する同人雑誌「阿房」の同人になる。 |
| 1941(昭和16)年6月、雑誌「四季」にエッセイを発表。 |
| 山本書店から刊行された「立原道造全集」全3巻の編集に参画。 |
| 12月、帝大を繰り上げ卒業。 |
| 卒業論文は「魯迅」。 |
| 1942(昭和17)年8月、日本出版文化協会に入社。 |
| 9月、「四季」の「萩原朔太郎追悼号」から、塚山勇三、野村英夫、鈴木亨、日塔聰とともに、編集実務に携わる。 |
| 10月頃から、加藤周一宅で開かれた文学サロン(いわゆる「マチネ・ポエティク」)に参加。 |
| 1943(昭和18)年4月、日本出版会に入社。 |
| 1944(昭和19)年7月、岸田常子と結婚。 |
| 1945(昭和20)年4月、召集を受けるも健康上の理由で除隊。 |
| 5月、東京山の手一帯の空襲により罹災。 |
| 常子夫人の縁故で、姫路市、後に益田市に疎開し、終戦を迎える。 |
| 10月、東京に戻り、田宮虎彦のいる文明社に入社。 |
| 1946(昭和21)年1月、中等学校教科書株式会社(後の中教出版株式会社)に入社。 |
| 6月、第一詩集『雪つぶて』を赤坂書店より刊行。 |
| 7月、雑誌「四季」の後継を意図し、「胡桃」を創刊するも、一号のみで廃刊。 |
| 1948(昭和23)年1月、長男正見誕生。 |
| 1955(昭和30)年11月、書肆ユリイカより『逃げ水』刊行。 |
| 1956(昭和31)年12月、雑誌「山の樹」が復刊され、同人として参加。 |
| 1957(昭和32)年4月、書肆ユリイカより『愛し合ふ男女(銅版画・駒井哲郎)』を限定152部で刊行。 |
| また、第三次となる「立原道造全集」全5巻(角川書店)の編集に参加。 |
| 1967(昭和42)年1月、潮流社より復刊された「四季」に参加。 |
| 7月、彌生書房から「立原道造詩集」を編集刊行。 |
| 中央公論社の嘱託となる。 |
| 「日本の詩歌」「書道藝術」「文人画粋論」などのシリーズに貢献。 |
| 12月、「四季」同人となる。 |
| 1968(昭和43)年4月、思潮社より『散ル木ノ葉』を刊行。 |
| 1969(昭和44)年4月、関東短期大学助教授になる。 |
| 8月、平凡社より、小野忍との共訳で中国古典文学大系17『唐代詩集上』(の杜甫の部分を担当した)を刊行。 |
| 1970(昭和45)年1月、社会思想社より現代教養文庫『海外の詩人たち』に「杜甫」を執筆。 |
| 1971(昭和46)年、第四次となる「立原道造全集」全6巻(角川書店)の編集に参加。 |
| 12月、思潮社より『山の奥(銅版画・駒井哲郎)』を、限定150部で刊行。 |
| 1974(昭和49)年、「津村信夫全集」全3巻(角川書店)の編集に参加。 |
| 1977(昭和52)年7月、思潮社より『風毛と雨血』を刊行。 |
| 1978(昭和53)年1月、講談社より、小野忍、佐藤保との共訳により講談社学術文庫『杜甫詩選』全3巻を刊行。 |
| 4月、関東短期大学教授になる。 |
| 「野火の会(高田敏子主宰)」による中国旅行に参加。 |
| 1983(昭和58)年1月、潮流社より、昭和50年に終刊した「四季」の後継雑誌「文学館」創刊され、同人となる。 |
| 2月、平凡社より、小野忍、佐藤保との共訳で『漂泊の詩人・杜甫』を刊行。 |
| 1984(昭和59)年7月、潮流社より『雪つぶて』を復刊。 |
| 1986(昭和61)年5月、潮流社より『山居乱信』刊行。 |
| 1987(昭和62)年3月、関東短期大学を定年退職。 |
| 9月、坂口昌明が『一詩人の追求-小山正孝氏の場合』(假山荘)を刊行。 |
| 1989(平成1)年7月、山梨県八ヶ岳大泉村の自在舎(現、八ヶ岳高原文庫)の「立原道造と優しい仲間たち展」に参加。 |
| 1991(平成3)年1月、思潮社より現代詩文庫1043『小山正孝詩集』を刊行。 |
| 1999(平成11)年8月、潮流社より『十二月感泣集』刊行。 |
| 2000(平成12)年10月、『十二月感泣集』により、第7回丸山薫賞受賞。 |
| 2001(平成13)年6月、日本現代詩人会より「先達詩人の顕彰」を受ける。 |
| 2002(平成14)年11月13日午後10時54分、関東労災病院にて、肺炎のために死去。 |
| 葬儀は同18日、横浜市の妙蓮寺にて行われた。 |
| 2004(平成16)年11月、三回忌を記念して、小山正孝を偲びつつ、現代詩を考える会として、感泣亭例会が開催される。 |
| 感泣亭例会は、その後、毎年11月に開催されている。 |